歴史秘話ヒストリア 名作選 オラたちの関ケ原〜天下分け目の合戦VS.農民

『歴史秘話ヒストリア』(れきしひわヒストリア)とは、2009年よりNHK総合テレビジョンで放送されているNHK大阪放送局制作の歴史情報番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年10月7日(水) 16:05~16:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
16:05~

慶長5年9月15日徳川家康率いる東軍と石田三成中心の西軍が激突した関ヶ原の戦い。実はこのとき山の上から固唾を呑んで見守っている関ヶ原の村人がいた。天下分け目の戦いの裏で村を守ろうと奮闘した人々の知られざる関ヶ原の戦いがあった。

オープニングテーマ:storia/Kalafina

キーワード
徳川家康
石田三成
関ヶ原の戦い
storia
Kalafina

episode1 兵士が村へやってきた (バラエティ/情報)
16:07~

当時関ヶ原一帯には8つの村合わせて妬く2000人が暮らしていた。この村人は合戦の間なにをしていたのかは記録が残っていない。だが実際に関ヶ原に行ってみると当時の村人が苦労したことがわかる。

石井正則が関ヶ原を訪れた。最初に訪れたのは関ヶ原町歴史民俗資料館である。ここに当時の関ヶ原を描いた絵がある。重要な街道沿いに多くの民家があることがわかる。合戦当時ここには村が8つあり2000人が暮らしていた。この絵の元になったのは関ヶ原の領主が作らせた検地帳である。2009年に地元の融資が検地帳をもとに当時の関ヶ原を調査した。そして合戦当時の詳しい村の様子が明らかになった。関ヶ原は原野だと思われがちだが数百人の人が住んでいてその人たちも戦争に巻き込まれたのである。

当時関ヶ原に一番多く住んでいたのは農民である。だが暮らしは厳しかった。村人は米だけでは足りないため麦も栽培し貧しくも暮らしていた。そんななか石田三成率いる西軍が進軍してきた。総勢8万5千の西軍は8月10日に大垣城に入る。9月3日には関ヶ原に大谷吉継が布陣した。大谷軍が布陣した関ヶ原村には西軍が村人に協力を求めた書状が残っている。西軍から要請を受けた庄屋は集まって会議をした。当時関ヶ原の領主は竹中重門である。実は重門は留守であったので伺いを立てることができなかった。村人たちは西軍に関ヶ原周辺を詳しく案内した。また無給で土木作業にも借り出された。

この間徳川家康の東軍も岐阜城を攻略し関ヶ原に近づいていた。地元の寺が家康に柿を献上した。それを見て家康は大垣を手に入れたと話した。だが柿を献上した狙いは禁制をもらうことにあった。だが関ヶ原の人たちには禁制を出してもらう余裕はなかった。関ヶ原が戦場になれば妻がさらわれる危険があった。こんなとき戦国時代の農村では女子供を山奥に隠した。さらに村では稲の借り入れ前であった。これまで秋に合戦を行うことは戦国時代にはありえないことであった。

戦国時代初期、農民は戦になると兵士として参加した。そのため大事な収穫時期には合戦を行わないのが一般的である。だが戦国時代半ばになると兵農分離が進んだ。そのため武将たちは収穫時期でも兵士を動員できるようになったのだ。なので戦になれば稲が全滅する恐れもあったのである。なので村人たちは青田刈りを行ったのである。関ヶ原の戦いは目前に迫っていた。

キーワード
関ヶ原(岐阜)
石田三成
大谷吉継
竹中重門
徳川家康
関ヶ原の戦い

episode 2 逃げろ隠れろ 合戦だあ! (バラエティ/情報)
16:23~

石井は大垣城に向かった。三成は当初この城を拠点に戦うつもりであった。天守からは家康の陣地がよく見えた。合戦前日に三成を大垣城から出したい家康は一計を案じた。家康は大垣城での決戦を避け大阪へ向かうと言い出したのである。家康はあえてこの話を西軍に漏れるようにした。これを聞いた三成は急遽陣を移すことにした。突如西軍の主力が関が原に移動した。西軍は朝になるまでに陣を完成させなければならないので村人たちは土木工事に従事させられた。東軍も関が原に移動し先鋒を任されたのは福島正則であった。9月15日早朝、村人たちは一斉に逃げ出した。真念寺の裏山にはこうした時に村人の集まる場所があった。

午前8時関ヶ原の戦いが始まった。霧が晴れると村人たちの眼下には戦の様子が広がった。また領主であった竹中重門は西軍から東軍に寝返っていた。関ヶ原にいる何万もの兵士が田畑を踏みにじった。殺到する東軍に対し三成は大砲を使用した。戦闘は一進一退であった。三成は午前10時に総攻撃の狼煙を上げた。だが正午過ぎに西軍の小早川秀秋が動いた。攻撃したのは同じ西軍の部隊であった。そこから側面を付かれた西軍は総崩れとなった。午後2時頃西軍が敗走した。関ヶ原の戦いは終わったが村人の戦いはここから始まるのである。

キーワード
石田三成
徳川家康
福島正則
竹中重門
小早川秀秋
関ヶ原の戦い

episode 3 関ヶ原 もう一つの戦い (バラエティ/情報)
16:34~

合戦後避難していた村人が見たのは数々の死体であった。この合戦の犠牲者は両軍合わせて1万2000人である。家康は合戦後「勝って兜の緒を締めよ」と話したとされるが地元では違う言い伝えがある。合戦の翌日こっそり勝鬨を上げたがこの時近くにあった石を天下に見立てペタペタ踏んで上機嫌であった。また家康は関ヶ原の後始末を竹中重門に命じ近江へと向かった。

この頃村では深刻な事態となっていた。逃げた村人の多くが戻ってこなかったのである。すぐに麦をまかなければならないので村の一大事である。合戦から8日後村人は家康を追いかけた。天下人になる家康に村人が直接禁制を要求したのである。もし機嫌を損ねれば村の運命も吹き飛んでしまう。これにより9月23日に関ヶ原で禁制が出された。これにより村はようやく落ち着きを取り戻した。

関ヶ原の戦いでは落ち武者狩りは行われなかったようだ。合戦は村にとっては迷惑だったに違いないのに村人は傷ついたひとを受け入れたのである。また東にある首塚に村人は首を集め丁重に弔った。合戦前から合戦後まで全てに役目を負ったのは勝ち負けに関係ない村人だったのである。

関ヶ原の旧街道から脇に入った森のなかに西軍の島津氏が陣を敷いた場所に亡くなった兵を弔う石塔がある。兵士の遺族がわざわざふるさとの石で作ったと伝えられる。徳川の天下になり西軍を弔うのが憚られたなか遺族は小ぶりな石をこっそり懐に入れて運んだのである。村人は彼らを暖かく迎え西軍の陣跡に案内したそうだ。こうした村人の伝統は今も息づいている。

BGM:Kalafina「夢の大地」

キーワード
竹中重門
徳川家康
夢の大地
Kalafina

エンディング (その他)
16:46~

エンディング映像。

Kalafina「夢の大地」BGM

歴史秘話ヒストリアの番組宣伝。

キーワード
夢の大地
Kalafina
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