歴史秘話ヒストリア あなたを助けたい〜女医第1号 荻野吟子の恋〜

『歴史秘話ヒストリア』(れきしひわヒストリア)とは、2009年よりNHK総合テレビジョンで放送されているNHK大阪放送局制作の歴史情報番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年11月20日(水) 22:00~22:45
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

オープニングテーマ“storia”Kalafina

女性の社会進出が閉ざされていた明治時代に、男社会に果敢に挑戦した女性。女性医師1号の荻野吟子。裕福な家庭に生まれ、好青年との結婚が茨の道の始まりだった。医師の道は男社会の壁が立ちはだかった。突然現れた年下男性との出会いで地位と名声を捨ててしまった。

キーワード
storia
Kalafina
荻野吟子

episode1 どうして私が… (バラエティ/情報)
22:03~

埼玉・熊谷市で生まれた荻野吟子。ここでは最近、町おこしのために荻野吟子にまつわる郷土料理が誕生した。地元の婦人たちが手にしているのはこの土地でとれた冬野菜で、作っていたのは「吟子鍋」と呼ばれるもので、使われている野菜は凍えるような寒さを耐え忍び、厳しい冬に旬を迎えるもの。そこに吟子の生き方を重ねあわせたという。

1851年、荻野吟子は代々村をまとめていた名主の家に生まれた。教育熱心な父親は近所の男の子を集め、儒学者を呼んで勉強させていた。そこに姿を現し、兄の隣で吟子は一緒に学んでいた。吟子の物覚えの良さは大人達を驚かせたほどだった。見た目も可愛らしく、特に目が美しかったと言われている。才色兼備だった吟子の噂は村を超えて広がり、18歳の吟子は別の村の裕福な家に嫁ぐことが決まった。相手は世間でも評判の好青年でまさに玉の輿だった。

嫁いでから2年後、吟子は嫁ぎ先で原因の分からない下腹部の激痛に襲われ、実家での静養を余儀なくされた。吟子は淋病という性病を患っていた。抗生物質のなかった当時、進行すると、至急の内膜や卵巣、卵管に感染する恐ろしい病だった。酒井シズさんは「男の人が吉原などに行ってうつされてきて、奥さんにうつすということが多かった。妊娠できなくなるというので、子孫にも影響を与える病気だった」と話す。吟子の病状は進行し、子どもが望めない体になってしまい、幸せだったはずの結婚は離縁に終わってしまった。

吟子は東京で治療を受けることとなった。吟子が入院したのは、現在の東京大学医学部である大学東校。ここでは日本で最も進んだ西洋医学を受けることができた。当時は女性が肌を見せるのもためらわれたご時世だったので、診察とはいえ男性に患部を見せることは耐え難いもので、入院中は毎日泣いて過ごしていたという。病状が進んでいた為、吟子の入院は半年に及んでいた。その間、自分と同じ性病で苦しむ多くの女性の姿を目にした。そして吟子は、医師になることを決意した。

吟子が医師を目指そうとした明治4年、これまでほとんど省みられなかった女性への教育に大きな変化がもたらされた。津田梅子や山川捨松などが日本初の女子留学生となり、アメリカへ渡ったのも明治4年。その直後には公の教育機関として、のちのお茶の水女子大学となる官立女学校が設立され、女性でもやる気があれば学べる環境が生まれた。

キーワード
荻野吟子
熊谷市(埼玉)
吟子鍋
淋病
東京都
津田梅子
山川捨松
アメリカ
官立女学校

episode 2 私は負けない! (バラエティ/情報)
22:13~

淋病の症状が治まり退院した吟子は明治6年、医師の勉強をしようと再び上京。明治の初め、近代化のために日本の医療制度は大きく変わった。国が実施する「医術開業試験」に合格sないと医師として認められないこととなり、合格率が数パーセントという極めて難しい試験だった。吟子は塾に入り必死に勉学に励んだ。周りは男子ばかりだったが、怯むことなく邁進した。10年以上のわたって勉強を続けた吟子は、ついに試験に臨む時がやってきた。しかし、当時日本に女医は一人もおらず、医術開業試験を受験した女性もいなかった。「前例がない」と何度願書を持って行っても受験することができなかった。

役人との交渉が2年に及んだ頃「本当に女性が医者になった前例はないのか」と疑問をいだき、様々な書物を読んだ。奈良時代に作られた法律の注釈書である「令義解」には、女医の育成に関する規則が書かれていて、かつての日本には女性の医者がいたことがはっきりと書かれていた。すぐさま吟子は役所に駆けつけ、その書物を突きつけた。この吟子の発見がひとつのきっかけとなり、医術開業試験の受験が許可された。吟子は男性に交じって試験に挑みんだ。

吟子は、試験を突破し見事合格。国家資格を持つ女性の医師第1号となった。すぐに東京・本郷に診療所を開いた。すると吟子が予想した通り、性病をわずらった女性達は、女性医師を頼って押し寄せてきた。患者たちは男性の医者には打ち明けられない症状や悩みも女性の吟子には話すことができ、吟子の望んだ女性による女性のための医療が実現した。新聞や雑誌では日本初の女性医師として特集が組まれ、吟子は社会的な地位を確率していった。しかし、医師になって5年目、吟子に運命の出会いが訪れる。

吟子が初めて国家資格を持った医師になり、その存在が注目される一方で、やはり女性は医者に向いていないという偏見は根強いものがあった。体力がないや、生意気などという意見に反論する吟子。その後吟子につづいて続々と女性医師が誕生し、5年後には5人、10年もたつと37人にもなった。

キーワード
荻野吟子
淋病
令義解
本郷(東京)

episode 3 あなたとともに… (バラエティ/情報)
22:24~

社会的地位を手に入れた吟子は、突然現れた年下の男性とともに東京を離れ、北海道・今金町に移り住んだ。明治23年、吟子は女性たちのリーダー的存在になっていた。そんな吟子のもとを訪れたのが志方之善という青年。クリスチャンの志方之善は、伝道のために東京にやってきて、知人から吟子を紹介され、少しの間宿泊させてもらうことになっていた。その夜、打ち解けた志方は吟子に自分の夢を語り始めた。当時の日本は富国強兵の一環として、北海道の開拓を急いでいた。志方は北海道開拓に加わり、理想郷を建設しようという夢を抱いていた。そして、夢物語ではなく志方は理想郷の建設地を選定し、開墾する手はずも整えていた。

夢を語る志方に、吟子は医師という夢に走っていた若き日を重ねたのか、吟子はいつしか志方と同じ理想をいだくようになった。出会いから数か月で2人は結婚を誓った。40歳と27歳、新郎が13歳も年下という、当時としては常識はずれの歳の差カップルだった。まもなく、吟子は周囲の反対を押し切って診療所をたたみ、北海道へと旅立った。

北海道・今金町には、志方に共感した人々が集まり、理想郷の建設が始まった。しかし、開拓は困難を極める。次々と病に倒れていく入植者たちを吟子は親身に看病し、懸命に志方を支えた。子どもが望めなかった吟子は、46歳の時に志方の姉の子を養女として迎えた。養女と45年前に会って、直接話を聞いたという常見隆さんは「志方之善さんは優しく、吟子さんは怖かったと言っていた。甘いお菓子を食べるようなすぐ愛情がわかるような愛情のかけ方ではなく、自立できる、行動と判断のできる人間になってほしいと、いつもそれを考えながら子どもの教育にあたっていたという」と話す。

開拓を始めてから4年、役所の検査が入り、開墾の進んでいない土地の没収が決定した。その結果、開拓作業が難航していた志方たちは、土地の殆どを手放すこととなった。明治29年、志方と吟子は北海道・今金町を去った。

北海道・今金町には、吟子と志方ゆかりの教会がある。吟子の熱くたくましい生き方は、今も人々の尊敬の念を集めている。北海道で診療を続けた吟子は、女性たちのための勉強会を開いた。特に力を入れたのは、次世代を担う子ども達だった。平成13年に亡くなった岩間キサさんは、北海道で助産師として働き3000人をとりあげた。キサさんは10歳から2年間、吟子の教える日曜学校に通っていた。吟子から自立して生きることの大切さを学んだという岩間キサさん。吟子の教えは、後に続く女性達が自ら歩く道を照らし続けた。

その後吟子たちは、北海道・せたな町へ移り住み、志方は牧師としてキリスト教を広める活動を始めた。吟子は、生活費と志方の活動資金を得るため、再び診療所を開いた。ここでも女性達の治療に熱心にあたっていたという。吟子は呼ばれればどんな時でも、どんなところへでも出向き、志方も活動の合間に吟子の往診に付き添い、二人仲睦まじく支えあって生活していたという。明治38年、吟子は夫に先立たれる。吟子は志方の為に墓を建てた。夫を亡くして8年後、吟子は静かに息をひきとった。

エンディングテーマ:夢の大地(Kalafina)

キーワード
東京都
今金町(北海道)
荻野吟子
志方之善
北海道
せたな町(北海道)
志方
夢の大地
Kalafina
岩間キサさん

エンディング (その他)
22:41~

エンディング映像。

次回予告 (その他)
22:42~

「歴史秘話ヒストリア」の番組宣伝。

  1. 前回の放送
  2. 11月20日 放送
  3. 次回の放送