歴史秘話ヒストリア 江戸の復興代官 奇跡の4年〜巨大地震・富士山噴火からの再生

『歴史秘話ヒストリア』(れきしひわヒストリア)とは、2009年よりNHK総合テレビジョンで放送されているNHK大阪放送局制作の歴史情報番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年3月6日(水) 22:00~22:45
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

江戸の復興代官 奇跡の4年~巨大地震・富士山噴火からの再生

オープニング映像と渡邊あゆみが放送内容の紹介。今回は富士山の宝永噴火からの復興に尽力した伊那 半左衛門 忠信の奇跡の物語を紹介する。

オープニングテーマ:“storia”kalafina

キーワード
宝永噴火
富士山
伊那 半左衛門 忠信
kalafina
storia

episode1 エリート官僚と未曽有の大災害 (バラエティ/情報)
22:03~

富士山の麓に位置する静岡県小山町の小山町立須走小学校では伊那半左衛門について学ぶ。伊奈半左衛門は富士山噴火の際に復興に力を尽くした。

江戸幕府が開かれてから約80年の元禄時代、天下泰平で経済も安定した世の中だった。幕府は江戸の町を拡張するため様々な都市開発を行なっていた。当時、関東郡代の伊奈半左衛門忠順が江戸の都市開発を指揮していた。伊奈家は代々江戸のエリート官僚一族で、利根川の改修なども手がけた。半左衛門は歌川広重の永代橋全図で知られる永代橋の建設工事を手がけ、隅田川周辺の湿地埋め立ても行なった。半左衛門は数々の功績で徳川綱吉の信頼を獲得した。1704年に関東一帯を大洪水が襲ったとき、半左衛門は決壊した堤防の復旧工事にいち早く着手し将来の水害の対策で川の流れを変えた。

大洪水から3年後、江戸の町を宝永地震が襲った。宝永地震は静岡から四国まで太平洋沿岸地域を震源とする巨大地震でマグニチュード9以上とも考えられている。津波被害などで死者は2万人を超えた。宝永地震の49日後、富士山が噴火した。現在の御厨地方と足柄地方は壊滅的な被害を受けた。伊奈半左衛門は綱吉に呼ばれ、現在でいう復興担当大臣に任命された。特に被害の大きかった富士山の麓が復興の重点地域とされた。

富士山の麓では火山礫と呼ばれる溶岩の破片が降り注ぎ火山礫の層になった。江戸の町は細かい砂粒が到達し数センチ積もった。人々は咳き込み苦しんだという記録もある。火山灰が0.5mm積もっただけで稲作ができなくなるといわれていて、農業にも深刻な影響を与えた。半左衛門が復興大臣に任命された同日、全国の大名へ災害復興のための資金を徴収する命令が出された。集まった資金は50万両。しかし半左衛門に渡されたのはその全額ではなかった。

キーワード
伊奈半左衛門忠順
利根川
隅田川
歌川広重
永代橋全図
徳川綱吉
宝永地震
富士山
伊奈半左衛門
綱吉
半左衛門
火山礫

episode 2 復興を妨げる驚きの真実 (バラエティ/情報)
22:14~

小田原市の酒匂会所という災害対策本部を置き復興の陣頭指揮をとった。宝永5年、半左衛門は復興基本方針のお触れを出したがその内容は「自力でなんとかしろ」というもので大規模な工事を期待していた被災者は衝撃を受けた。半左衛門は村々の援助より復興を優先すべき場所を指示されていた。幕府は降り積もった火山礫で酒匂川が反乱する事に危機感を抱いていた。

火山礫の除去などいずれも大規模な工事が必要だったが、幕府が集めた50万両のうち実際に半左衛門が使えたのは6万両あまりだった。残りのお金は江戸城の北の御所増築などに使われたと記録が残っており、復興資金を他の事業にも流用していた。

富士山噴火による火山礫の降り積もりにより、農民たちが半左衛門の元を訪ねてくるようになったという。地元の農家には半左衛門に託された嘆願書の数々が現在まで大切に保管されている。この農民からの陳情を受けて半左衛門は御厨地方を視察、ここで町の飛散な状態を目にした半左衛門は復興のための荻原重秀に予算の増額を求めたが、この申し入れは聞き入れられなかった。

工事開始から4ヶ月後の宝永5年6月、半左衛門は梅雨本番前に堤防の補強を完了させた。完成からまもなく足柄地方を豪雨が襲い急ごしらえの堤防はあっけなく決壊。家や田畑が濁流に飲まれた。

富士山噴火の噴火に起きた宝永地震が各地に大きな傷跡を残していた。徳川吉宗は復興資金を確保するための財政改革で、新田開発で年貢の増収を図り徹底的な倹約を行った。

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小田原市(神奈川)
江戸城
折たく柴の記
半左衛門
富士山
徳川吉宗
宝永地震
荻原重秀

episode 3 窮地の復興代官 起死回生の一手 (バラエティ/情報)
22:27~

食糧難は脱する事ができたが、被災者たちが安定した暮らしを取り戻すには田畑の復旧が不可欠だった。復興予算について勘定奉行に断られていた半左衛門は農民と共に直訴行脚を行った。半左衛門達が最後に向かったのは勘定奉行・荻原重秀の屋敷で、荻原ほか、それまでに実情を訴えた役人たちも同席する会議に半ば強引に乗り込んだ。その後まもなく直訴作戦が功を奏し河川改修工事の手当が増額され、幕府から放置されてきた火山礫の撤去にも予算が出された。

宝永6年、進まない富士山噴火からの復興に頭を悩ませていた半左衛門は酒匂川の工事に飢えに苦しむ農民たちを雇う事を決め、人々はこぞって工事への参加を申し出た。

しかし、火山礫を撤去する有効な方法は確立されておらず農民達は火山礫を空き地や田畑に捨てていた。しかしこの方法で処理を続けていけば農地が減り続け村の自立を目指す復興と相反する事になる。そこで表面の土と下にある栄養分の高い土を入れ替える土壌改良法である天地返しを応用し火山礫で溝を埋め掘り起こした土を火山礫の上に盛り返して田畑を回復させた。

半左衛門は復興代官就任から4年後に志半ばにして急死、その遺体は埼玉県川口市の源長寺に葬られた。半左衛門が亡くなった記録は残っていないが、半左衛門が復興に取り組んだ御厨地方には幕府の米を配った責を負って切腹したという言い伝えが残っている。

キーワード
半左衛門
富士山
天地返し
川口市(埼玉)
源長寺

エンディング (バラエティ/情報)
22:38~

半左衛門の死後、大岡越前守忠相は将軍・徳川吉宗の名を受け酒匂川改修を継いだ。そして、進歩した治水技術や優秀な技術者に助けられ反乱を食い止める事に成功した。幕府が足柄平野の復興を終えたのは富士山噴火から75年後だった。

キーワード
富士山
酒匂川
大岡越前守忠相
徳川吉宗

次回予告 (その他)
22:42~

歴史秘話ヒストリアの次回予告。

スポット

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