歴史秘話ヒストリア 「東京オリンピックに懸けた男たち」

『歴史秘話ヒストリア』(れきしひわヒストリア)とは、2009年よりNHK総合テレビジョンで放送されているNHK大阪放送局制作の歴史情報番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年1月9日(水) 22:25~23:10
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:25~

日本が初めてオリンピックに参加したのは1912年のストックホルムオリンピックで、初参加を実現したのが伝説の柔道家、嘉納治五郎。その嘉納が見出したのが金栗四三。さらに水泳の名指導者、田畑政治が育成した選手は数々の金メダルを量産。そして、1964年に東京五輪が開催。様々な困難を乗り越え、オリンピックにかけた人々の思いに迫る。

storia / Kalafina

キーワード
嘉納治五郎
金栗四三
田畑政治
ストックホルムオリンピック
東京五輪
Kalafina
storia

東京オリンピックに懸けた男たち (バラエティ/情報)
22:28~

今回の3人の主人公は日本人初のIOC委員を務めた嘉納治五郎、日本人初のオリンピック選手の金栗四三、東京オリンピックの招致で尽力した田畑政治。

東京高等師範学校(現在、筑波大学東京キャンパス)で校長を務めた嘉納治五郎は柔道の創始者で、スポーツの普及に熱心だった。留学生とのスポーツ交流にも取り組んでいたなか、近代オリンピックの父と称されるピエール・ド・クーベルタンから日本のオリンピック参加を要望すると記された手紙が届いた。クーベルタンはスポーツで互いを理解すれば争いはなくなると提唱し、1896年に近代オリンピックは開催された。嘉納はストックホルムオリンピックに参加すべく、全国の教育関係者らに呼びかけた。

1911年にオリンピック予選会が開かれ、運動に自信のある若者が集結。嘉納は海外選手にも通用する選手はいるかと注目したところ、東京高等師範学校の2年生だった金栗四三の走りに瞠目した。初マラソンで金メダルレベルの実力があったためで、金栗の脚力は故郷で往復1時間もかけて高等小学校に通学した時に養われたものとみられる。その道程はほとんどがアップダウンの激しい山道だった。金栗は日本代表に選ばれたが、ネックだったのは船賃や滞在費などの費用は自己負担だったこと。嘉納は東京高等師範学校の中で後援会を設立し、寄付金集めに奔走。費用面の心配を解消し、選手らは17日かけてストックホルムへ向かった。

現地では金栗四三は注目を浴び、さらに人々は金栗らが使っていた足袋に奇異な視線を送ったという。金栗は連日の洋食、北欧特有の白夜や慣れないベッド、レース当日の猛暑に悩まされ、本番ではマラソンの練習不足、ハイペースが祟ったのか意識を失った。なお、レースでは64人中34人がリタイアし、1人が落命したという。ゴールすらできなかったことに気落ちする金栗に対して、嘉納治五郎は培った経験を次に生かせばいいと励ました。日本にとって初オリンピックは悔しい結果に終わったが、金栗はその後、オリンピックに2度出場し、世界記録を2度更新。引退後は箱根駅伝の発案、女子スポーツの推進の他、後進の育成に尽力した。

日本のオリンピック初参加から19年が経過した1931年、東京オリンピックを1940年に開催するという計画が持ち上がっていた。嘉納治五郎は各国を歴訪し、開催に向けて奔走し、日本がスポーツの一等国と示すべく、水泳競技で指導者として大きな成果を出していた田畑政治にアプローチ。田畑らが設立した浜名湾游泳協会の関係者によると、田畑は近寄りがたい雰囲気を醸し出していたといい、指導面では流れが速い場所で選手らを鍛えたという。組織づくりではバラバラだった水泳団体を一本化し、コーチ育成、競泳用プールの建造などを効率的に進めた。その田端は1932年のロサンゼルスオリンピックで結果を出すべく熱意に溢れていた。

ロサンゼルスオリンピックで田畑政治率いる水泳代表は目覚ましい活躍を見せ、男子自由形で100m、1500mで金、銀、100m背泳ぎでは表彰台を独占。最終的に18個のメダルを獲得したが、うち12個は水泳のメダルだった。1936年にIOC総会で東京での五輪開催が決まったが、翌年に日中戦争が勃発。嘉納はラジオで呼びかけたり、38年にはエジプト・カイロで開かれたIOC総会に出向いた。だが、帰路の船上で体調を崩し、息を引き取った。日本は最終的に開催権を返上し、各スポーツ団体は解散。その後、第二次世界大戦に突入し、オリンピック再開は48年まで待つこととなった。

第二次世界大戦で田畑政治は多くの教え子を失うも悲嘆に暮れず、敗戦の2か月後に日本水泳連盟を再建。さらに48年の五輪への参加を打診するも、国際社会からの日本に対する風当たりは強く、参加は許されなかった。そこでロンドン大会の水泳大会決勝と同日同時刻に日本選手権を開き、橋爪四郎、古橋廣之進がマークした記録はオリンピックの記録を上回った。翌年にはロサンゼルスに乗り込み、オリンピックの覇者であるアメリカ代表と直接対決。古橋は4種目で世界新記録をマークし、現地では「フジヤマのトビウオ」と報じられた。

52年のヘルシンキオリンピックに日本選手団は出場を果たし、田畑政治は東京オリンピックの開催に向けて招致活動をスタート。経済効果を試算し、200億円の予算に対して約400億円の収入が見込め、戦後復興にも寄与すると支持を取り付けた。59年に開かれた総会で田端は元外交官で嘉納治五郎の最後を見届けた平沢和重にプレゼンターを頼み、平沢は東京での開催の意義を訴えた。結果、64年の東京での開催が決まり、オリンピック運営の総責任者として田端はアテネをスタートし、アジアの国々を走るという壮大な聖火リレーを発案。10月10日、東京オリンピックの開会式が開かれ、競技場には最終ランナーの坂井義則が聖火とともに登場。原爆投下の当日に広島で生を受けた青年だった。

東京オリンピックで女子バレーボールの圧勝など日本人選手が大活躍。一方、エチオピアのアベベ・ビキラ、チェコスロバキアのベラ・チャスラフスカなどの海外アスリートに耳目が集まった。そして、閉会式では選手たちは自由に手を繋ぎ、行進した。

五輪後、田畑政治は水泳指導に貢献し、晩年にはオリンピックに関する著作で「スポーツは戦争が生み出す刺々しい空気を和らげ、恨みまでも流してしまう。国際親善の実をあげる行事が他にあるか」などと綴った。金栗四三は教育者として生涯、マラソンの普及に尽力。その後、途中棄権したストックホルムオリンピックの55周年を記念した式典に招待され、ゴールを切って貰うというサプライズが行われた。場内放送で、今の記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3と流れた。その金栗と田畑政治が映った写真が浜松市立中央図書館で公開された。

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エンディング (その他)
23:09~

エンディング映像。

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