歴史秘話ヒストリア 鳥羽伏見の戦い

『歴史秘話ヒストリア』(れきしひわヒストリア)とは、2009年よりNHK総合テレビジョンで放送されているNHK大阪放送局制作の歴史情報番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年1月5日(土) 10:05~10:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
10:05~

1868年1月3日、戊辰戦争の幕開けを告げる鳥羽伏見の戦いが勃発した。総兵力では徳川慶喜率いる旧幕府軍が圧倒的優位に立っていたが、激戦の末に敗北。資料を紐解くと驚きの実態が。

storia / Kalafina

キーワード
西郷隆盛
徳川慶喜
戊辰戦争
鳥羽伏見の戦い
Kalafina
storia

鳥羽伏見の戦い (バラエティ/情報)
10:08~

1868年1月3日、戊辰戦争の幕開けを告げる鳥羽伏見の戦いが勃発した。旧幕府軍は開戦前、勝利間違いなしと見られていたが、大敗北を喫した。

薩摩藩によって新政府が樹立し、要職につくはずだった徳川慶喜は政権からはじき出された。滝川具挙は薩摩の暴挙は許し難しと慶喜に進軍を提案した。集結した兵力は1万5000に達し、フランス士官のもと、ヨーロッパ式の軍事が仕込まれていた。精鋭の伝習隊にはフランス製最新鋭のシャスポー銃も支給されていて、ミニエー銃で1発撃つ間に4発撃つことができる。対する新政府軍の勢力は約4000だった。1868年1月3日、鳥羽街道で旧幕府軍と新政府軍が激突。新政府軍は砲撃や奇襲の準備を整えていたのに対して、旧幕府軍は銃に弾をこめていなかったという。古野庸一氏は内集団バイアスによって、自分自身が所属する組織が優れていると思い込み、新政府軍を過小評価していたのではないかと考える。

鳥羽伏見の戦いにおいて、新選組は近代兵器を有していた新政府軍に敗北。土方歳三は「刀の時代は終わった」と語ったという。また、今回は淀藩の裏切りに注目する。

鳥羽伏見の戦いについて、佐々木圭一氏は新政府軍の敗因として軍におけるコミュニケーションの失敗を挙げた。旧幕府軍は淀藩に連絡を怠る一方、新政府軍は藩の重臣にアプローチし、旧幕府軍サイドについてはならないと説諭した。最終的に淀藩は忠義を果たすべき対象である旧幕府につくことを拒んだ。

鳥羽伏見の戦いを描いた「戊辰戦記絵巻物」に注目すると、戦乱に巻き込まれた町人の姿も描かれている。戦地から我先に逃れようとする人もいれば、商機と捉えて新政府軍に水や食事を提供するという人もいた。

徳川慶喜には圧倒的兵力を生かして敵勢力を京都に留めることで兵糧攻めし、戦わずして勝利できるという戦略があったが、戦に闘志を燃やす兵士らの姿から、開戦せざるを得なかったという説がある。その後、新政府軍に旧幕府軍は予想外の敗北を喫し、味方かと思われた淀藩も裏切ってしまった。さらに慶喜は戦争継続を重臣たちに訴えておきながら、味方を置き去りにして本拠地の大阪から江戸へと移動。その理由は何だったのか、様々な説がある。主君を失った旧幕府軍は戦意を喪失し、脱走兵も相次いだ。1月9日、新政府軍は大阪城を掌握。そして、慶喜は新政府に従う意思を表明した。その後、戦いは次のステージである戊辰戦争へ。

新選組副長の土方歳三は旧幕府軍と運命を共にし、五稜郭で散華した。東京・日野市で開かれる「ひの新選組まつり」では土方を慕う人々が当時の扮装に身を包み、街を練り歩く。福島・会津若松市では戦で散った将兵の魂を鎮めるため、「会津まつり」が開かれている。一方、淀城跡では10月に藩士の子孫たちが先祖を祀るために集まった。淀藩は不要な戦死者を出さず、藩を存続させることができた。

キーワード
西郷隆盛
徳川慶喜
戊辰戦争
鳥羽伏見の戦い
薩摩藩
滝川具挙
伝習隊
シャスポー銃
ミニエー銃
椎原小弥太
桑名藩戦記
組織行動研究所
内集団バイアス
鳥羽街道
伏見(京都)
土方歳三
和泉守兼定
淀城
稲葉正邦
淀藩
京地変動淀大軍実録
三条実美
戊辰戦記絵巻物
徳川慶喜公伝
ひの新選組まつり
会津まつり
淀城跡
会津若松市(福島)
日野市(東京)

エンディング (その他)
10:49~

歴史秘話ヒストリアの次回予告。

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