歴史秘話ヒストリア 三菱をつくった男 岩崎彌太郎 海の明治維新

『歴史秘話ヒストリア』(れきしひわヒストリア)とは、2009年よりNHK総合テレビジョンで放送されているNHK大阪放送局制作の歴史情報番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年6月23日(土) 10:05~10:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
10:05~

日本において経済を支える貿易は99%以上が海運で、輸送力は世界第2位とされる。海洋国家としての揺籃期に活躍したのが岩崎彌太郎で、坂本龍馬とも親交があった他、三菱の礎を築いた。

storia / Kalafina

キーワード
坂本龍馬
三菱
Kalafina
storia

岩崎彌太郎 海の明治維新 (バラエティ/情報)
10:07~

三菱財閥の創業者である岩崎彌太郎は高知・安芸市の出身で、土佐藩の下級武士の子として生まれた。21歳だった1854年、江戸へ上京し、学問を修めようと励むも、殴打された父が重篤という知らせが届き、土佐へと飛んで帰った。加害者を訴えようとするも奉行所は相手にせず、激高した彌太郎は奉行所に落書を記した。それにより、入牢することになったが、そろばん上手な同房者からそろばんを習得。その後、当時としては日本最大の貿易港だった長崎港で藩の貿易事業に関わり、そろばん術を買われて会計を担当。彌太郎は膨大な借金に対しては、外国商人に硬軟織り交ぜた対応をして、返済を先延ばしにした。多摩大学の河合敦客員教授はハッタリをかますなど交渉術も卓越し、信頼も勝ち得ていたと話す。また、商会で働いていた彌太郎の日記「瓊浦日歴」には海援隊を率いていた、才谷(坂本龍馬)が度々登場している。

岩崎彌太郎は坂本龍馬と親交があり、激論を交わしたという。龍馬はユーモアがあったと同時に聞き上手だったとか。1867年4月23日、海援隊が操舵していたいろは丸が瀬戸内海で紀州藩の船舶と衝突し、いろは丸は積載していた荷物とともに沈没した。いろは丸は他藩から借り受けていた船とあって、土佐藩には弁済義務が生じた。5月15日、紀州藩との談判が始まり、坂本は国際的な航海規則である万国公法に則るべきと訴え、紀州藩に過失を認めさせることに成功。積荷と船を弁償させることとなった。なお、龍馬らの訴えでは積載物には銃も含まれていたとされているが、近年の調査ではその証拠が見つかっていない。吉崎伸氏はハッタリをかけ、賠償金とともに最新式の銃も入手する算段があったのではと推測。それに関与したのが岩崎彌太郎と考えられる。その後、龍馬は京都で凶刃に斃れた。

いろは丸事件が一段落すると、坂本龍馬は大政奉還のため長崎を離れることとなり、出発の日に岩崎彌太郎は仙台平という最高級の袴を進呈。別れの際には落涙したという。その後、彌太郎は海運業に専念する決意を掲げ、勤務していた土佐商会の借金を背負うかわりに船を貰い受けた。旗印のデザインは岩崎家の家紋、土佐藩主の家紋を合わせたものとされる。だが、半官半民の日本国郵便蒸気船会社が立ちはだかった。政府の年貢米の輸送を独占する他、所有する船舶は岩崎彌太郎の5倍以上だった。これに対して、彌太郎は社員に前掛けや法被で商人のような格好をさせ、横柄な態度を封印しておかめのようなスマイル接客を志した。右腕だった石川七財は接客対応に反発するも、彌太郎は「小判が描かれた扇子に叩頭するつもりでやれ」と言い聞かせた。

会社経営において、岩崎彌太郎は蒸気船のエンジニアなどで外国人を登用。また、働きが目出度いものにはボーナスを支給した。さらに台湾出兵の折、政府からのオファーを引き受けることを決意。政府が購入した最新の船を借り、台湾に部隊や食料を移送した。政府からは高く評価された上に助成金も約束された。一方、業績が下向いていた郵便蒸気船会社は解散となった。

日本の海運市場では欧米の船舶が蒸気エンジンにより、輸送力とスピードで日本の船舶を圧倒していた。だが、1875年、三菱は日本の会社として初めて、外国定期航路に参入。壮烈な価格競争の末、アメリカの会社はこの定期航路から撤退。翌年にはイギリスが上海航路に参入したなか、幹部の給料を1/3カットし、彌太郎自身も給料を半分にして、ことにあたった。さらに船を荷物を預ける商人に積荷を担保にしてお金を貸す、荷為替金融を発案。東京や大阪の問屋組合と契約を結び、イギリスも撤退を余儀なくされた。三菱は日本の海運業をほぼ独占し、金融、造船など事業を多角化していった。すると、反発を強める明治政府は新たな海運会社、共同運輸を設立。運賃の値下げ合戦、どちらが先に目的地に到着するかというスピード合戦も行われた結果、痛み分けとなった。そして、1885年2月、岩崎彌太郎は胃がんにより52歳で死去。後のことは実弟の岩崎彌之助に託された。

BGM:Kalafina「into the world」

岩崎彌太郎の死後、世論はその功績を讃えるようになり、葬儀の参列者は5万人にのぼったという。三菱を引き継いだ岩崎彌之助は共同運輸の代表者と密かに会談し、合併に至った。日本郵船の誕生である。白地に二本の赤いラインが走る旗には「三菱と共同運輸がともに地球を横断する」意味が込められている。1893年にはボンベイ定期航路を開設し、インドから独自に綿花を輸入できるようになったことで綿糸は日本を支える輸出品となった。三年後には三代定期航路を開いた。さらに東京・隅田川に架かる永代橋には岩崎彌太郎が船を校舎として設立した、三菱商船学校が係留された。多くの学生を輩出することとなった。現在の東京海洋大学である。

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エンディング (その他)
10:49~

歴史秘話ヒストリアの次回予告。

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