NHKスペシャル 誰にも言えなかった〜震災の心の傷 母と子の対話〜

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年3月15日(木) 1:15~ 2:05
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
01:15~

東日本大震災の被災地では今も多くの子供が心の傷に苦しんでいる。小学4年生の佐藤結衣ちゃんと母・明美さんはあの日家族3人を津波で亡くした。2人は7年前の3月11日を受け入れられずにいる。佐藤さん一家は沿岸部の釜石市で被災、街を飲み込む津波からかろうじて逃げたが、祖母と祖父と叔父を亡くした。その心の傷が結衣ちゃんに異変をもたらしたのは震災から5年後。それ以来、あの日が近づくと封じ込めた悲しみや恐怖が蘇り、情緒不安定になる。結衣ちゃんはトラウマの治療を受け、封じ込めた記録を少しずつ話し始めた。結衣ちゃんの様に震災から歳月が経った今も心のケアを必要とする子供は1万人を超える。母・明美さん自身、家族の死を受け入れられていない。

キーワード
東日本大震災
盛岡市(岩手)
釜石市(岩手)

誰にも言えなかった 震災の心の傷 母と子の対話 (バラエティ/情報)
01:19~

岩手・大槌町は東日本大震災により1200人以上の死者・行方不明者が出た。復興事業が進み、学校では子供らが元気に遊んでいるが教育現場では今でも緊張が続く。避難訓練でパニックなどを起こす子どもが相当数おり、表層に現れることが少なくなっているだけと副校長の佐藤氏は語る。被災地では多くの子どもが津波に襲われた恐怖などを未だに受け止めきれず、家族をなくした子どもは1800人に上る。

子どもらが封じ込めた気持ちに向き合う取り組みが被災地学校では続けられている。高校生らはショックが大きく誰にも言えなかった、言えないというより言ってはいけなかったなどと話した。

岩手・盛岡で昨年12月、津波のトラウマで学校を休みがちな結衣ちゃん(仮名)は2年前から、津波で亡くなった祖父母らを母の明美さん(仮名)と共に作り始めた。明美さんは人形遊びを通し結衣ちゃんに悲しみと向き合って欲しい、本人も辛いだろうが少しずつ気持ちを吐き出した方が前に進めるのではと語る。結衣ちゃんらは震災前は大槌町で暮らしており震災当日は釜石市の祖母宅に遊びに行っており被災。結衣ちゃんは明美さんに抱えられ神社に逃げ助かったが祖父母・叔父の3人は津波に飲み込まれた。結衣ちゃんは冬になると震災時の記憶が蘇り学校にいけなくなる。父母が死にひとりぼっちになることへの不安があるのではと明美さんは話す。

震災後、結衣ちゃんは震災のことを口にせず普通に過ごしていたが5年ほど経ったある日、2年の冬休みの夕方に突然泣き出し祖母に会いたい、寂しいと言い始めた。その日から2週間、夕方に成ると涙が止まらなくなった。明美さんは結衣ちゃんを連れ岩手医科大学こどもケアセンターを訪れた。結衣ちゃんの異変はトラウマによるもの。結衣ちゃんは世界的に効果を認められた認知行動療法を受けた。感情を見つめ、極端な思い込みなどを治していく。絵本を用い自分を客観的に見る訓練、気持ちを色で表す訓練などを行った。結衣ちゃんはハートを不安などを表すとした青などで塗りつぶした。その1ヶ月後、今まで離さなかった5年前の出来事を語り始めた。震災当時、結衣ちゃんは3歳だったが津波の後に目にした光景を記憶していた。祖母とはぐれ、みんな流され死んでいた、6人ほどの死体が棒を持ち逃げ道を示していたなどと話した。

作文を読んで封じ込めていたトラウマ体験に触れさせようとすると子供は読むことを躊躇し、咳き込んでいた。震災から数年立って体に異変が起こる結衣ちゃんは被災地に数多くいる。岩手県の報告によれば、トラウマの症状が現れてケアが必要な子供が1万4000人。富永良喜さんは阪神・淡路大震災でも心の傷で苦しむ子どもたちは時間が立ってから数多く現れたと話す。トラウマの治療を続けた結衣ちゃんは悲しくても泣けなかったと話す。コレがきっかけとなって結衣ちゃんは徐々にあの日の事を話せるようになった。今では祖母の人形で遊べるようになった。

5年も経ってから娘に異変が起こったのは自分にも原因があるのではと明美さんは思っており、3人の死を受け入れられていなかった。明美さんは主治医に悩みを吐露。結衣ちゃん一家が住んでいた大槌町では心のケアの授業を全学年で続けてきた。小学二年生の授業の題材は ライオンを恐怖や辛い体験に見立ててトラウマを克服する物語。学校は専門のカウンセラーと共にケアをしている。12月23日結衣ちゃんが祖父母と津波に襲われた釜石に行きたいと急に言いだしたと明美さんは話す。車で宮城まで向かい、被災地に向かった。今は更地となった祖父母の家があった場所を眺めながら当時のままの神社を参拝し、明美さんは故郷が消えたことにショックを受けた。

三日後、結衣ちゃんは母親にあの時は本当は怖かったのだと打ち明けた。更に被災地で見た海を見て怖いと話す。被災地を訪れたことで母と子は素直な気持ちを表に出せるようになった。年月が経ち、次の一歩を踏み出そうとする子も増えた。周囲の支えで前に進み始めようとする一人佐々木健祐さんは小学5年生の時に被災した。津波と火災で集落が孤立。家族が別れ別れになり、その時感じた孤独感がトラウマになっている。傷が癒えないまま中学生の時に受けた暴力で孤独感を深め学校にいけなくなった。八木先生の治療を通し、自分が孤独ではないことに気づき、症状を回復させていった。佐々木さんはこの春定時制高校を卒業した。

3月11日まで後二ヶ月。結衣ちゃんはばぁばハウスを遠ざけるようになっていた。母親はとにかく3月が来るのが嫌と話しているとコメント。あの日が近づくにつれて母と子は気持ちがふさぎ込んでいた。1月17日この日は新学期初日の登校日。結衣ちゃんは学校に行けないと言い、先生に今の行けない気持ちを書いた。登校時刻を少し遅れて結衣ちゃんは学校に行き、教室には入れなかったが職員室で勉強した。翌日明美さんは直視できなかった3人の遺影をばあばハウスに置き、家族の死から目を背けないと決めた。2月結衣ちゃんは学校に毎日通い、教室で友達と一緒に勉強できるようになった。ばあば人形にはもうばあばを通してみることが無くなったと明美さんは語る。3月11日が来るのは嫌だと言う気持ちは割と無くなったと答えた。3月11日まで一ヶ月。結衣ちゃんは今の自分の気持ちを書いた。

キーワード
大槌町(岩手)
東日本大震災
宮古市(岩手)
山田町(岩手)
盛岡(岩手)
釜石市(岩手)
いわてこどもケアセンター
岩手医科大学
盛岡市(岩手)

エンディング (その他)
02:03~

エンディング映像。

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