スタジオパークからこんにちは 明日へ つなげよう 証言記録 東日本大震災

『スタジオパークからこんにちは』は, 1995年3月22日から2017年3月17日まで, NHK総合テレビジョンで平日午後に放送されたトーク・情報バラエティ番組。基本的には生放送の番組で(ゲストトークは録画の場合もある), NHKスタジオパーク内のCT-450スタジオから、毎週月曜日から金曜日まで公開生放送を行っており(休止日は後述), NHKとNHKエンタープライズ共同制作番組で、このほかにジェイクリップ、アズマックスなど外部制作会社が1社ずつ各回の制作協力として加わっていた。トークが基本路線で, NHKで放送中あるいは放送予定の番組の出演人物をゲストとして招くという番組宣伝の要素もあるが、「ここが聞きたい」や「私スタイル」のコーナーでは番組宣伝から離れたトークが中心であった。略称は「スタパからこんにちは」、ないしは単に「スタパ」である。通算放送回数は3667回、出演ゲストは延べ2268人に上る。

出典:goo Wikipedia

放送日 2016年6月10日(金) 14:05~14:54
放送局 NHK総合

番組概要

NHK54局からこんにちは (バラエティ/情報)
14:05~

NHKには全国で54の放送局があるが、各放送局が製作したよりすぐりの番組を紹介していく。金曜日は東日本大震災からの復興を応援する番組。今回は「明日へ つなげよう 証言記録 東日本大震災 第53回「ピアノよ 被災地へ届け」。

宮城・石巻市にピアノが届いた。ピアノは被災者を支援する団体の「被災地へピアノをとどける会」から送られた。これまでにおよそ500台のピアノが公民館などに届けられた。

宮城・気仙沼市の音楽教室 講師の小山紀子さんは、被災地へピアノをとどける会の支援で教室を再開。小山紀子さんが被災したのは、自宅でレッスンをしている時だった。小山紀子さんの自宅は2階部分だけかろうじて姿をとどめ、1階にあったグランドピアノは残骸すら残らなかったという。

小山紀子さんはピアノのある生活に早く戻りたいと思う一方で、身内を亡くした人々の気持ちを考えると、どうしても教室を再開できなかったという。ピアノを弾くことに後ろめたさを抱いていたが、生徒たちの親から「子どもたちには音楽が必要」だと言われた。その後、小山紀子さんは被災地へピアノをとどける会の支援により、グランドピアノを受け取り、教室を再開。教室には被災した子どもたちが通ってきて、のびのびと練習している。

宮城県仙台市の音楽教室の一角を借りて「被災地へピアノをとどける会」は活動している。全国の家庭などからピアノを寄贈してもらい被災地へ届けており、この5年間で約500台を届けているという。メンバーは作詞家や作曲家などプロの音楽家。さらに全国の調律師にも協力してもらい提供されるピアノをチェックしている。副委員長の吉川さんは、被災者が単に楽器が欲しいんじゃないことがわかってきて、これは自分の命の再生のために楽器が欲しいという思いがあることを知り、楽器のチェックは細かく行っているという。代表のピアニストの庄司さんは会の立ち上げのきっかけとなったのは南三陸町歌津の避難所で行った演奏会だったという。

演奏会の開かれた避難所で世話役をしていた高橋さん。120人ほどの人達が2ヶ月に渡り避難所で生活をしており、落ち込みうつむき生活をしていたと高橋さんは言う。津波で全てをねこそぎ持って行かれた人たちの前で、庄司さんは音楽が何のたしになるか不安になっていたという。うつむいた被災者たちの前で演奏会が行われ、うつむく皆さんの姿を見てもう何曲かでやめようとメンバーで話し合っていたという。しかし、ゆっくりと被災者の人たちの心に染み入り、最後の故郷では口ずさんでいる人も居たという。庄司さんは音楽にこんな力があるのかなって嬉しかったと話した。

そして演奏が終わった時に小さな女の子がピアノを弾きたいと、庄司さんの元へやってきた。そして「わぁ久しぶり」と楽しそうにピアノを弾き始めたという。庄司さんは「こういう光景が無くなったんだな」と感じたと語った。

被災地へピアノをとどける会に対し、仙台市の会社は倉庫を無償で提供している。調律師の阿部隆さんもボランティアでとどける会に参加している。阿部さんは震災当時石巻市渡波に住んでいたが、仕事先で地元が津波に襲われたことを知ったという。家族は無事だったが愛用のピアノが流されたという。

石巻市の須田さんは、娘たちが嫁いだ50代半ばからピアノを始め、介護の合間に義理の母に聴かせるのが日課だった。震災では2人で一旦避難したものの、義母の薬を取りに戻ったところで大津波に襲われ、津波の流れを必死で耐えたという。翌日なんとか避難所にたどり着いたが、義母は慣れない避難生活で体調を崩し、市内の病院を転々としたものの、結局3か月後に亡くなった。

須田さんはその後、母のために建て直していた新居に移ったが無気力から抜け出せない状態になってしまい、病院で心の病気と診断された。そんな中、友人の勧めで被災地へピアノをとどける会からピアノを受け取った。ピアノに向かうことができないまま2年が経ったが、ある日ピアノに触れてみようと思うようになり、ピアノの音で気持ちも軽くなったという。現在は、震災前に義母に聴かせた童謡の練習をしているという。

被災地へピアノをとどける会でピアノの寄贈者にも様々な思いがある。福岡県の夫婦に手紙には「まるで娘をお嫁に出した気持ち」などと書かれ、東京都の女性の手紙には「かわいい園児に囲まれなんて幸せなピアノなんでしょう」と書かれている。

さいたま市の齋藤さんは、自宅の音楽教室で使っていたピアノを寄贈した。震災前年に夫を亡くしたが、ピアノに向かうことによって気持ちの整理になったという。被災者の心を癒やす役に立てばとピアノの寄贈を決め、そのピアノは現在石巻市の小学校にある。

被災地へピアノをとどける会(仙台市)に、届いたピアノで一度は諦めた国立音楽大学への進学を果たしたという手紙が届いた。手紙を出した阿部さんは新地町に実家があるが、中学2年で被災、地震によって家と家財道具が破壊された。使っていた電子ピアノも調子が悪くなり、音大受験のためには新しいものが必要だったが、妹たちのことを考えると新しく買うことは言い出しにくかったという。そんな時、学校でとどける会を知り、ピアノが届くと合格に向けた猛練習が始まった。その後、ピアノは妹たちに引き継がれている。

被災地へピアノをとどける会代表の庄司美知子さんが、ピアノを届けた石巻市の保育園ミルクの入園式に招かれた。とどける会の活動が始まって5年、今もピアノを求める声はなくならない。庄司さんは、私たち音楽家ができる一つの仕事、役割としていくらか気持ちを和らげられたら良いと思うと話した。

奥羽大学(郡山市)で行われている公開復興サポート 明日へ in 郡山の紹介。テレビ・ラジオの公開収録やイベントが行われ、「きょうの料理」ではグッチ裕三が登場、「ガールズクラフト」ではニコルとともにイヤリングなどの制作が行われた。

「東北発☆未来塾」では池上彰を迎えてニュースを読み解きながらこれからの復興を考え、「福島をずっと見ているTV」でもトークセッションを開催。「ハートネットTV」では震災を詠んだ歌会を開催。イベントの詳細は番組ホームページまで。

郡山に暮らす方たちの声を紹介。それぞれ「自分史で福島県を元気に!!」、「次の世代につなげろ!」、「また来たい蔵になろう」と主張した。

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池上彰
郡山市(福島)

エンディング (その他)
14:53~

「コントレール~罪と恋~」の番組宣伝。

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