スタジオパークからこんにちは 明日へつなげよう証言記録(60)大船渡市〜ガレキ

『スタジオパークからこんにちは』は、1995年3月22日から2017年3月17日までNHK総合テレビジョンで平日午後に放送されていたトーク・情報バラエティ番組。基本的には生放送の番組で(ゲストトークは録画の場合もある)NHKスタジオパーク内のCT-450スタジオから毎週月曜日から金曜日まで公開生放送を行っていた(休止日は後述)。NHKとNHKエンタープライズ共同制作番組で、このほかにジェイクリップ、アズマックスなど外部制作会社が1社ずつ各回の制作協力として加わっていた。トークが基本路線でNHKで放送中あるいは放送予定の番組の出演人物をゲストとして招くという番組宣伝の要素もあるが、「ここが聞きたい」や「私スタイル」のコーナーでは番組宣伝から離れたトークが中心であった。略称は「スタパからこんにちは」、ないしは単に「スタパ」である。通算放送回数は3667回、出演ゲストは延べ2268人に上る。

出典:goo Wikipedia

放送日 2017年2月3日(金) 14:05~14:54
放送局 NHK総合

番組概要

NHK54局からこんにちは (バラエティ/情報)
14:05~

NHKには全国で54の放送局があるが、各放送局が製作したよりすぐりの番組を紹介していく。金曜日は東日本大震災からの復興を応援する番組を紹介。今回は「明日へつなげよう 証言記録 東日本大震災」。

大船渡市のセメント工場は東日本大震災の津波で大きな被害を受けたが、キルンは一基無傷で残った。キルンは高温で石灰石を分解して、セメントを作る機械。このキルンが津波で発生した瓦礫を処理する原動力になっていた。瓦礫をセメントに、かつてない試みが始まった。この計画を実現したのは大阪の廃棄物処理の会社。阪神・淡路大震災での処理を活かせるのではないかということだった。ところが、大阪から来た会社の方針に地元が反発。しかし、最後には地元の人々も瓦礫を街のために役立てたいと参加した。様々な困難を乗り越えたセメント工場の再開。再生への一歩を踏み出した証言。

大船渡市の海沿いの街の中心部には震災前に4万人が暮らしていた。太平洋セメント大船渡工場は東北一のセメント工場だった。

東日本大震災で大船渡市は10mの津波に襲われた。翌日、街は瓦礫が街を覆っていた。視察にきた市長は、瓦礫を撤去しないと復興は始まらないと考えた。撤去は道路を塞いでる家屋から始まった。瓦礫は85万t。処理の責任者に市長は都市整備部長の佐藤さんを指名した。佐藤さんは運ぶだけではなく、運び先で分別して再処理や燃やすなどする必要があると思ったと話した。

佐藤さんが瓦礫の再処理が必要と考えたのは、震災の七年前の不法廃棄物処理の経験からだった。ゴミは35万t。この時、7割を処理したのが大船渡の工場だった。セメントは石灰石に粘土などを入れて作っていたが、代わりに下水から出る泥などを使用して、今では様々な廃棄物が使われている。佐藤さんは同じように処理できないかと考えていた。しかし、一連の仕事を任せられるプロのチカラが必要。不法投棄の仕事では、専門の業者が行っていた。

3月16日に大阪から佐藤部長を訪ねてきたのは、産廃会社の副社長だった田中さん。かつて、不法投棄問題に佐藤さんと取り組んでいた。まずは、お見舞いに訪れた田中さん。会うのは7年ぶりのことだった。その時、瓦礫の処理分別のことを話し、もう離さないぞ。という思いだったと佐藤さんは話した。

佐藤さんが処理先として期待を寄せていた太平洋セメント大船渡工場だったが、被害は深刻だった。震災で水蒸気爆発が起きて、設備の7割が破壊されていた。製造現場の小池部長は、当時の立場で暗い顔をしていたりしたら、いけないと思ったと話す。

3月21日、小池さんは市役所へ向かう。佐藤部長がガレキ処理の関係者を集めたのだ。佐藤さんの一番の心配はセメント工場で、再開の可能性を小池さんに尋ねた。前向きに取り組んでいく意志が強く感じられたと佐藤さんは当時のことを話す。

小池さんが再開を前向きに語ったのは5号キルンが無事だったから。高台にあり被害を免れた。しかし、従業員には家族や家を失った人も少なくなく、なにから初めていいか見当もつかない状況だった。電気設備を担当する外川さんは、当時多くの従業員が不安を感じていたと話す。

製造部長の小池さんは、明確な目標が必要だと思い、臨時の朝礼を行った。会社の方針は出ていたなったが、絶対に復活すると話したという。

4月になると建物の撤去が始まった。被害家屋は5千軒にのぼった。市内で建設会社を運営する中澤さんは、会社のあった街を担当になった。市役所で行われたガレキ処理の会議には地元の建設業者の代表も参加していた。

4月初めにガレキ撤去の手順が示された書類が 配布され、そこには現場で木くず・不燃物・金属に分別するように書かれていた。しかし、中澤さん達は反対の声があがった。現実的でないし、スピードを求められるので構ってられないということだった。

会議で分別の提案したのは、大阪の会社の森さん。上司の田中さんから計画を作るように求められていた。森さんの計画では、ガレキを段階的に分別して、セメント工場に送る。このときに、最初に分別を始めるとその後のスピードが上がるという。

森さんの説得に建設業者も理解し、次の仮置き場から分別を始めることになった。続いて、森さんはガレキの仮置き場の下見。道の状態や生活している方の邪魔にならない場所をと思った。森さんたちの会社はかつて、阪神・淡路大震災のガレキ処理もおこなった。仮置き場は騒音やホコリが酷く、周辺の道路にも渋滞を引き起こしたので、教訓から地元に迷惑をかけないことを最優先にした。候補地の一つは現在、仮設住宅が建っている。当時は広い駐車場で現場から500mの近さだったが、道の狭さですぐに候補地から外した。結果、市役所の上げた候補地19のうち、5ヶ所を除外した。4月半ばには搬入がはじまり、木材や金属などに分ける最初の分別を行い、二人三脚で走り始めた。

一方、工場では5号キルンを稼働させようとしていた。しかし、電力が復旧していなかった。工場には専用の高圧線で電気が送られていたが、鉄塔が津波でなぎ倒されストップ。修理を担当していた東北電力の田村貢さんは、震災の翌日に上空から被害状況を確認、津波で3本の鉄塔が流されていた。3t、4tのチカラを加えても壊れないが、それが引きちぎられていたのを見て、最初から設計するなら1年以上はかかると想像していたと話す。

セメント会社は電力会社との働きかけを要請。市長は交渉に臨んだ。その時、5月の連休までに復旧していただきたいと話した。電力会社はその場で返事はしなかったが、すぐに調査を開始。鉄塔は非常に強いチカラで引きちぎられたので、基礎が健全だった。基礎を利用し、その上に地上部分をつなぎ合わせれば、工期が大幅に短縮できると田村さんは考えた。電線の調達や作業員の確保も順調にいき急ピッチで進んだ。セメント工場も5月の復旧を目指していたが、電気設備の被害が深刻で、部品は全面交換となった。設備の図面も6割が流されていた。時間との勝負で、公表した以上は、きちんと受けてやるという感じは思っていたと外川さんは話した。

震災から約2か月後の5月9日、高圧線からの電力供給が復旧。工場は煙突のライトアップを行った。

海水に浸かっていた工場のがれきには大量の塩分が含まれ、セメントに許される量を超えており問題となった。がれきから塩分を取り除く研究を大阪の「リマテック」が行ったが、水洗いでは絶えず新しい水を流す必要があることがわかり、ベルトコンベアで7時間をかけて洗うなどの装置建設案が検討された。

大阪の「リマテック」ではその後、がれきからの塩分除去として土砂洗浄用の装置の転用を発案。改良してから被災地のセメント工場に持ち込んだ。現地で10月にプラントが完成、1日500トンのがれきの処理が可能となった。

リマテックの森さんはその後、がれきの2次選別所の広大な候補地を探した。昼夜を問わず候補地を回ったという。

がれきの2次選別所の18ヘクタールの敷地は7月に稼働を開始、がれきの分別には地元の建設会社29社が参加した。がれきから金属を取り除く重機の操作には東京での2週間の講習が必要といい、ある建設会社の社長は自ら進んで資格をとったと答えた。分別には地元住民約70人も参加、人の手による分別を行った。作業員だった男性は、がれきに触れてもとは各家の財産だったことを強く感じたと答えた。分別された原料は1日300トンにのぼり、セメントの原料の4割を占めた。

セメント工場は11月4日に稼働を再開、8か月ぶりに製造が始まった。大船渡市では震災1年前に27万トンのがれきを処理した。市では現在も道路や防潮堤の工事が続き、セメントが活用されている。当時の市職員は、協力を惜しまない地域の人々の熱意を感じたと答えた。その他、大阪の会社社長、セメント会社の当時の役員のコメントを紹介した。工場では去年の暮れから熊本地震のがれきの受け入れも始めている。

NHKオンデマンドでの再配信を案内した。

この挑戦が成功したカギはひとりひとりの熱い思いとチームワーク。

避難指示解除の場所を紹介。福島浪江町のひとびとの半分はもどらないと決めている。鹿山さんはもどるかもどらないか悩んできたひとのひとり、夜は仮設住宅にもどるという二重生活を選んだ。どうしても浪江町から離れることはできない。帰還困難区域に住む小林さんは多くのひとと過ごす賑やかな正月が恋しいという。

いわき市の殿岡さん「いつも笑顔で!」、落ち込みがちになったり焦ったりしがちな仮設住宅生活でも前向きに笑って過ごしたい。

いわき市の箱崎さん「新しい町づくりこそお年寄りの出番です。」、人生の大先輩のお年寄り活躍の場をもってほしい。

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エンディング (その他)
14:53~

「お母さん、娘をやめていいですか?」の番組宣伝。

来週月曜日のゲストは林三平。NHK54は宇都宮放送局の「下野 芭蕉の道を辿る」。

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