ファミリーヒストリー お笑いコンビ千鳥・ノブ〜カヤの木に守られて〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年4月26日(金) 0:55~ 2:07
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
00:55~

今回は千鳥ノブ。バラエティだけでなくCMやドラマでも大人気。本名早川信行、岡山県井原市芳井町で3人兄弟の末っ子として育った。

TVCMスマートニュース「キサーマ篇」の映像。

今田はノブについて、仕事がうまくいっている人の意見をすぐ取り入れるので今は私服が菅田将暉と一緒だと語った。

キーワード
連続テレビ小説 なつぞら
スマートニュース 「キサーマ」篇
芳井町(岡山)
菅田将暉

お笑い芸人 千鳥・ノブ (バラエティ/情報)
00:57~

千鳥ノブのヒストリー。岡山県井原市芳井町には約20軒の早川性の家があり、ノブの家はその本家。家の前のかやの木は樹齢450年。実家の屋号は池ノ内で、この地に移り住んだのは永禄元年だということがわかった。実家の書物には広島と岡山にまたがって建設されていた相方城という記述があり、ここを居城にしたのは毛利氏と争っていた宮氏に、ノブの先祖は仕えていたと考えられる。宮氏は毛利元就率いる軍勢に敗れ、備中へ落ち延び、早川家も現在の場所に移り住んだ。早川家の裏の坂道は備後の国に行く最短コースとなっていて、敵の侵入を見張る役をしていたと考えられる。

千鳥ノブのヒストリー。江戸時代になると戦もなくなり、早川家は農民となった。実家には先祖伝来の火縄銃がある。鑑定すると寛永から安永の頃のもので、キジや山鳥やうさぎなどの狩猟に使われていた可能性が高いという。この銃の鍛冶職人は摂州の職人で、井原市文化財センターにある資料で村には18丁しか銃が無かったことがわかった。

千鳥ノブのヒストリー。親戚同士を株内と呼んで助け合ってきた早川家はかやの木をご神木としていた。するといつの頃からかかやの木は早川のカヤと呼ばれるようになった。工事で枝を切ると作業員が怪我をしたこともあるという。

ノブは関係があった城の名前が「相方」という字を書ことに縁を感じたと明かした。

千鳥ノブのヒストリー。ノブの四代前の高祖父利市は酒を呑むために財産をなくし、借金を抱えたという。利市の長男孟二が早川家を建て直すために博労などを行った。当時を知る人は孟二は博労として信頼されていたと語った。孟二は父の借金を返して田畑を取り戻したが、火事で家は全焼してしまったという。かやの木にも燃え移って葉っぱが一度全焼してしまった。孟二の長男でノブの祖父・正は25歳で隣村の農家の娘・清子と結婚する。太平洋戦争が始まると3年後に正も招集された。

千鳥ノブのヒストリー。太平洋戦争に招集されたノブの祖父・正は補充兵として小柴昌俊の父・小柴俊男の下で働き、大陸打通作戦に参加した。

ノブは高祖父利市の金遣いの荒さと酒好きが大悟とそっくりと語った。

千鳥ノブのヒストリー。大陸打通作戦に加わったノブの祖父・正は中国大陸を行軍した。そこで正は 部隊から遅れ、取り残されてしまった。ノブの兄は、そのとき正は草の中に隠れて過ごしたと聞いたと語った。そして部隊に追いついた正は、川を渡って攻撃をする過酷な作戦に参加して桂林を占拠した。その後も行軍を続けた正はマラリアに感染して生死をさまよった。昭和20年に終戦し、かろうじて命をとりとめた。

千鳥ノブのヒストリー。昭和21年ふるさとに戻った正は博労の仕事に復帰した。一年後にノブの父・勝治が誕生。正は養豚場の仕事を始め、勝治は興譲館高等学校に進学し、隣町の織物工場に就職した。そして見合いで紹介された千代子と結婚することになった。

ノブは「おじいちゃんが戦争から帰ってなかったら僕、生まれてないってことですよね」と驚いた。

千鳥・ノブの母方である三宅家、三宅家は岡山県高梁市川上町の集落にある。母・千代子の兄である三宅征弘さんを取材した。かやぶきの実家は7年前に取り壊された。征弘さんは三宅家は裕福だったという。江戸時代の末期、ノブの5代前の勘治が船の船頭として大きな財をなした。高梁市教育委員会の田村啓介さんは「この地域は江戸時代に高瀬舟が就航していた」と説明。高梁川で高瀬舟に銀や米などを積み込んで玉島港まで運んでいた。高瀬舟は上流に登る時に浅瀬では船頭が船を引っ張り上げる必要があった。明治に勘治の息子の近平が近隣の山を買い占め、まつたけを採って売った。征弘さんはおもしろいくらいに採れたという。

千鳥・ノブの母方である三宅家、祖父の昭夫が1922年に誕生した。1942年に泰子と結婚、翌年に昭夫に召集令状が届いた。配属先は朝鮮半島の竜山だった。その後ニューギニアに送られる予定だった。戦史研究家の白石博司さんは「ニューギニアは道なき道の作戦で、道路を作りながら食料も届かないような作戦だった」と説明。昭夫は能力を評価され上等兵に昇進、1943年4月8日に射撃訓練中に仲間が撃った弾が大腿部を貫通したという。同じ部隊の兵士は戦地に送られた。昭夫は教育係で終戦を迎えた。1946年にノブの母・千代子が生まれた。宮田重子さんは千代子さんについて頭が良かったと振り返った。その後、早川勝治と見合い結婚。1972年に祝言を挙げた。

スタジオトークで、ノブは人間万事塞翁が馬という言葉一喜一憂するなということで、大事だと思っていたが同じことを経験していたと振り返った。今田耕司は生命力の強い家系だとした。

千鳥ノブの父・勝治は母の千代子に農作業をさせないと言っていたが、勝治が勤める間は農作業を手伝わされた。勝治さんは結婚する前はいいように言ってこき使ったとし、千代子さんは新婚旅行帰ったらすぐ稲刈りだったと話した。千代子さんは養豚の仕事も率先して手伝った。1年後に長男の恭弘が誕生。千代子さんは家事をして睡眠時間を削って仕事を手伝った。ある日、恭弘が生まれた時に祖父・正が千代子に車を買ってくれた。

千鳥ノブの実家である早川家の養豚業の赤字が膨らんだ。父・勝治さんは養豚業を辞め、29歳で転職。1976年に米やプロパンガスを扱う会社だった。柳本隆司さんは14歳年上だったが、仕事ぶりを振り返った。上司の藤岡勇蔵さんは勝治さんは頑張って売っていったとした。入社3年後に営業成績トップになった。1

1979年にノブが誕生した。兄の智和さんはノブはいじめられっ子タイプだったと思うと振り返った。ノブは井原市立芳井小学校に通った。岡本健校長は卒業文集を紹介、日本テレビの社長だとしていた。ノブは1995年に岡山県立笠岡商業高校に入学し、ここで大悟に出会った。河内昭弘さんは高校3年時に文化祭の司会を務めた映像を披露。大悟は「めちゃくちゃすべってお笑いの世界大変やな」と言っていたとした。福山市の大手電機メーカーに就職した。ノブはとにかく田舎から出たかったと振り返った。大悟は大阪で一緒にお笑いをしようと誘った。しかし勝治は猛反対した。大悟は「成功しようが認めない」という雰囲気だったという。2000年に千鳥を結成、ノブの上司だった中谷晴彦さんは当時の映像を紹介した。中谷さんは心配で見に行っていたという。千鳥は故郷の岡山をネタにすることを考えた。ノブは結局、都会に出ても地元の話をして岡山弁をいまだに使っていると話した。千鳥は岡山の観光大使となり伊原木隆太知事とPR動画に出演している。

スタジオトークで、ノブは父が転職したことを知らなかったとした。今田耕司はあのお父さんの頑張りは怒ると指摘。今田耕司はノブは芸能人好きで都会に憧れていると暴露、ノブはさっき栗山千明さんとすれ違ってテンション上がったと話した。ノブは服は全部菅田将暉みたいなのに顔は千代子だとした。

2001年千鳥ノブの父勝治さんは専務まで上り詰めて定年退職した。その後、町議会議員に出馬して当選。議員時代に道路の造成工事に尽力した。勝治さんはノブ兄の子どもたちを紹介した。成福寺での福来い観音大祭で千鳥は結成4年目でゲストに呼ばれた。早川石夫さんら親戚もノブの活躍を喜んでいる。勝治さんはノブがデビューして以来、カヤの木に祈願してきた。

キーワード
芳井町(岡山)
府中市歴史民俗資料館
井原市文化財センター
カヤ
早川利市
早川孟二
早川正
太平洋戦争
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川上町(岡山)
高梁川
高梁市教育委員会
井原市立芳井小学校
岡山県立笠岡商業高等学校
伊原木隆太
栗山千明
菅田将暉
成福寺
カヤの木

エンディング (その他)
02:06~

エンディングトークで、ノブは本当に感動したと話した。

次回予告。

番組宣伝 (その他)
02:06~

鶴瓶の家族に乾杯番組宣伝。

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