プロフェッショナル 仕事の流儀 うなぎ職人・金本兼次郎

『プロフェッショナル 仕事の流儀』(-しごとのりゅうぎ)は、2006年1月10日に放送が開始されたNHK総合テレビジョンの情報・ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年8月2日(金) 0:40~ 1:30
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
00:40~

うなぎ職人の道を歩んで70年。その腕は神業とも呼ばれている金本兼次郎。料理評論家の山本益博も大絶賛する絶大な腕を持っているが、それでも前に進む。そんな彼の職人魂に今夜は迫る!

主題歌:Kokua「Progress」

キーワード
Progress
kokua

うなぎ職人・金本兼次郎 (バラエティ/情報)
00:43~

早朝午前4時の麻布。うなぎ職人の金本兼次郎の一日は既にはじまっていた。生粋の江戸っ子で、決めた事は曲げない性格。自分の決めた歯磨き時間をこなしたあとは、すぐに着替えて自宅の下にいる厨房へと訪れうなぎをさばく作業が開始。

あるていど裂きの作業が終わったとこで若い弟子達が続々と集まり、串うちの作業にとりかかり、最後は素焼きの作業が行なわれた。焼きの作業ではニオイの元となる皮と身の間の脂の層を焼ききる事に重点が置かれていた。焼きが終わると蒸しの作業。金本は1時間ほど蒸して柔らかさを追及していた。

9時になると一度自宅へと戻り朝食をたべる。そして1時間ほど仮眠をとり、この後待つ焼きの作業のために身体を休めた。

現代に伝わるうなぎの調理法が確立したのは江戸時代のこと。金本兼次郎氏のお店が出来たのもそのころで、依頼その技術と伝統を守り続けてきた。タレも創業から継ぎ足して使われてきたものだった。

85歳のうなぎ職人、金本兼次郎に密着。午前11時30分、厨房に戻った金本はうなぎにタレをつけて焼く作業が始まるが、この焼きこそが金本の真骨頂だった。

焼きは一瞬の隙が命取りの真剣勝負。タレをつけて焼く。その作業を4回繰り返して絶妙な色合いと味わいに仕上げるが、少しでも表面にコゲが付くと繊細な味わいが崩れてしまうのだった…。焼きあがったうなぎはコゲがなく、黄金色に仕上がっていた。

85歳のうなぎ職人、金本兼次郎に密着。焼きは一生といわれるうなぎ職人の世界だが、金本もやはり現在も焼きの更なる向上を目指し日々精進を続けていた。

85歳のうなぎ職人、金本兼次郎に密着。金本の仕事は常に独自の哲学に貫かれている。例えばそれは裂きの作業では常に同じ仕事をする事を心掛ける…といったもの。常に同じ仕事をすることで狂いを生じさせないのだった。

85歳のうなぎ職人、金本兼次郎に密着。金本が常日頃から弟子に伝えているのは、仕事を作業にしない事。「日々の工程を深められるのか考えられる姿勢がないと、仕事ではない」そう考えていた。

85歳のうなぎ職人、金本兼次郎に密着。18時になり夜の営業が開始。夜にはお酒を楽しむお客も多くなってくる。通常うなぎには日本酒を合わせるが、金本の店では先駆的に30年も前からワインを出し、マリアージュの妙味を提案していた。当初は老舗の伝統にふさわしくないとの批判もあったが、前に進む姿勢を示した。

1日の営業が終わると、金本はその日を振り返り日記をつけるのが日課だった。日々同じ仕事に変わらぬ集中力を注げるかが職人としての勝負だと、金本は考えていた。

85歳のうなぎ職人、金本兼次郎に密着。毎週土曜日には支店めぐりをする事となっている。店はデパートにあり、客と同じ目線で判断するため、必ず席について蒲焼きをチェックする。

金本兼次郎は昭和3年に麻布のうなぎ店に生まれた。江戸時代から大名にひいきにされたという名店で、4代目だった父の勝次郎氏はその名を広く知られた職人だった。戦時中にも先祖伝来のタレは絶対に守れと教えられてきた。

金本兼次郎が5代目として店を継いだのは昭和33年30歳の事。しかし店を継いで間もなく天然うなぎが急減。かわりに養殖うなぎが出回ったが、出す気にならず、天然うなぎが入らない日は店を締めると決めたが、天然うなぎはさらに減少し、数年後には1年で4か月も店を開けられない日々が続いた。豊漁の時期に天然うなぎを仕入れ、借りた田んぼに放して確保する方法も試したが、うなぎは全滅してしまった。8年を過ぎた頃、養殖ものを使うしかないと思ったが、5代目の自分がその決断をしていいものか、苦悩は続いた。

養殖うなぎを使っていいのか?悩む金本兼次郎に転機が訪れたのは40歳の時。天然うなぎを求めて渡った香港で、初めて日本以外の街を目の当たりにして、激しい変化の中で逞しく生きる人々を見て、老舗というしがらみに縛られすぎていた自分に気付いたのだった。

養殖うなぎを使っていいのか?悩んでいた、若き日の金本兼次郎。しかし、老舗というしがらみに縛られすぎていた事を気付き、養殖ものを使う事を決断。ただ養殖を使ったから味が落ちたといわれぬよう、焼きや蒸し時間をさらに研究し、料理の工程を位置から見直した。さらに白焼きにキャヴィアを添え、ワインとのマリアージュを楽しむ新たな提案を行うなど新しい道にも踏み入れた。

金本兼次郎さんの趣味は登山。登山をしている時の映像が流れた。

85歳のうなぎ職人、金本兼次郎に密着。6月下旬のうなぎ屋にとって最も忙しい季節季節に入ろうとしていたが、今年はシラスウナギが極度の不漁で、養殖うなぎの値段が極度に高騰しており厳しい状態に。さらに流通が少ない天然うなぎも、霞ヶ浦産など原発事故の影響で出荷できないところが出るなど、受難の時代を迎えていた。

夏の繁忙期を前に金本はシャルル・ド・ゴール空港へと降り立った。ブルゴーニュ地方へと移動した金本はワイン醸造家のドミニク・ラフォンと対面した。彼はこれまでの栽培方法を見直し、農薬や化学肥料を一切使わない栽培方法にした人物で、150年の伝統を背負いながらも変革を続けてきた人物。2人は畑でワインを飲みながら伝統と革新について心行くまで語り合った。

85歳のうなぎ職人、金本兼次郎に密着。土用の丑の日が近づき勝負の時期を迎えていた。例年この前後は客入りが増えるが、その最初のヤマ場は三連休の最後7月15日だった。15日は仕入れは普段の3割増、この忙しい日に全てのうなぎを完璧に仕上げられるかが、職人の闘いだったが、金本はあくまで平常心で仕事に取り掛かっていた。

昼が近づくと、開店前から店の前には行列が出来る盛況ぶり。金本は弟子に今すべき仕事と今後の動きを指示してまわったが、客入りが想定を超えて、あらたにうなぎの準備をする必要も出てくる状態に。金本も焼きの作業に回ったが、全てのうなぎに最大の集中力を発揮。この日の昼の客は今年最多の200人だった。

仮眠をとる前、金本は「若いときはただ無我夢中でやっているが、いまは何かを振り返りながら、もっとすばらしいやり方があるのではないかなんて考えたりする。年とって、そういう考えがなくなったときがおしまいなんだろうね」とつぶやいた。

迎えた夜の営業。この営業も客の数が想定を超えてしまいうなぎが足りない状況に。必死の仕込が続くがこのままではお客を待たせすぎてしまう。そんなとき金本は、電話を入れ下準備の済んだうなぎを支店までとりに行き、大ピンチを脱出。営業を終えると、金本は何事もなかったかのように包丁を磨ぎはじめた、いつもと同じように。

85歳のうなぎ職人、金本兼次郎。彼は「職人として一流のプロはどこまでも追求新がある。もう一ついうならば人柄、愛される人間にならなきゃかわいそうな人間だと思う」と語った。

プロフェッショナルの番組ホームページのURLと番組ツイッターのアカウントを表示がされた。

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土用の丑の日
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プロフェッショナル仕事の流儀 番組ツイッター

エンディング (その他)
01:26~

エンディング映像。

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次回予告 (その他)
01:27~

「プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル」の番組宣伝。

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