NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 外交 世界の中で 第3回 “平和国家”の試練と模索

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年6月21日(日) 21:00~21:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
21:00~

アメリカ・ワシントン郊外の高台に、硫黄島での戦勝を記念して建てられた兵士たちの像がある。戦後、1951年に吉田茂首相の日米安全保障条約調印によってアメリカと同盟を結び、驚異的な経済成長を遂げて先進国の仲間入りを果たした。しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が終結すると、日本は国際社会の荒波に飲み込まれる。アメリカのアーミテージ元国務副長官は、世界の問題に関わる日本の姿勢を示すために「ショー・ザ・フラッグ」と言ったと話した。ラムズフェルド元国防長官は、日本の対応は日本人が決めることだと話した。その後、国際世論が割れる中で始められたイラク戦争では、日本がどのような役割を果たすのか、自ら判断することを迫られた。竹内行夫元事務次官や中山太郎元外相は、当時の苦悩を話した。世界の中で模索を続けてきた日本外交を振り返る。

日本の戦後外交を振り返る連続企画の第3回。今夜は、冷戦終結後の日本外交を見つめる。冷戦が終結して世界に平和が訪れると期待されていたが、1991年に世界を揺るがす湾岸戦争が勃発し、日本の外交の有り様が厳しく問われることになった。

キーワード
日米安全保障条約
吉田茂首相
先進国首脳会議
三木武夫首相
ベルリンの壁崩壊
海部俊樹首相
クリントン大統領
宮澤喜一首相
アーミテージ元国務副長官
ラムズフェルド元国防長官
イラク戦争
竹内行夫元事務次官
中山太郎元外相
ワシントン(アメリカ)
湾岸戦争

世界の中で 第3回 “平和国家”の試練と模索 (バラエティ/情報)
21:04~

ベルリンの壁が崩壊した1989年、ブッシュ大統領とゴルバチョフ議長による米ソ首脳会談が行われ、冷戦終結が宣言された。その約1年後、イラクのクウェート侵攻をきっかけに湾岸戦争が始まり、国連の安全保障理事会はイラクに対する武力行使を容認する決議を採択、日本を含む全ての国に支援が求められた。当時海部内閣で外務大臣を務めていた中山太郎氏は、ベーカー国務長官から自衛隊の派遣を求められ、「とんでもないことになった」と思ったという。日本は、国連の多国籍軍に協力するため、自衛隊の派遣を検討した。この時に急遽整備された国連平和協力法案では、自衛隊は物資の輸送など後方支援を行うとされていた。しかし、法案が国会に提出されると、野党は強く反発し、国会審議は紛糾した。世論の反対も強く、法案は廃案となった。自衛隊の派遣を見送った日本は、資金援助という形をとった。湾岸戦争終結後、クウェート政府は世界各国に感謝を示した広告を新聞に掲載したが、そこに日本の名はなかった。

ゲストの中山俊宏と五百旗頭真を紹介し、冷戦後の世界情勢についてトークを展開した。五百旗頭は、米ソの秩序がなくなってなんでもありになり民族紛争や宗教紛争が頻発したと話した。湾岸戦争における日本の対応について中山は、当時日本はバブル時代で、アメリカから「タダ乗りして責任を果たしていない」という見方が強かった、アメリカでは「日本異質論」が巻き起こったと話した。

湾岸戦争を皮切りに、旧ユーゴスラビア紛争など世界各地で紛争が発生。その中で日本外交は国連PKOへの参加によって「顔の見える貢献」を模索していく。1992年、宮沢喜一首相のもとで、停戦後の平和維持に限って自衛隊を海外に派遣するPKO協力法案が審議・可決された。カンボジアに派遣された自衛隊は、停戦監視やインフラ整備などを行い、カンボジア総選挙開催に貢献した。その後、モザンビークやゴラン高原にも自衛隊を派遣、国連の枠組みの中で国際貢献を進め、湾岸戦争で揺らいでいたアメリカとの関係も見直された。北朝鮮の核開発疑惑が浮上し、台湾近海では中国が大規模な軍事演習を行うなど東アジアで緊張が高まったこともあり、日米は日本が地域安定に向けて努力することで合意した。当時の橋本龍太郎首相は、将来へ向けての(日米)両国の協力の出発点とすると話した。

日本の国連平和維持活動への参加についてトークを展開。五百旗頭真は、宮沢喜一首相が「平和的な枠内での自衛隊の国際活動をやらなければ、日本は国際社会のメンバーとして立ち行かない」と判断したのだと話した。活動する中で犠牲者が出て、撤退すべきだという世論が高まったが、半年後にカンボジア総選挙を機に日本の世論も変わっていったと話した。中山俊宏は、冷戦後に日米同盟の存在意義が問われ、日本国内にも反米感情が蓄積されていたが、北朝鮮の核開発疑惑が浮上して、自衛隊にはまったく備えがないことから、同盟が漂流しているという感覚が日米で共有されたと話した。

世界は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロを境にテロとの戦いに入っていく。ブッシュ大統領は、「テロとの闘いに突入した」と宣言した。アメリカは、アフガニスタンが事件の首謀者を匿っているとして攻撃、日本をはじめ、国際社会も支持を表明した。日本は、テロ対策特別法を成立させて自衛隊をインド洋に派遣、アメリカ軍への給油活動など後方支援を展開した。

しかし2002年、ブッシュ大統領が一般教書演説で「イラクが大量破壊兵器を開発している」と非難しイラクに対する武力行使へと舵を切り、日本外交は警戒感を強めた。日本はアーミテージ副国務長官を通じて外交交渉による説得を試みた。アーミテージ氏は当時を振り返り、「日本側は、ブッシュ大統領頭とサダム・フセインが殴り合うのではなく、国際社会が一致団結した形にしたかったようだ」と話した。その結果ブッシュ大統領は、武力行使は国連安保理の決議に基づいて行うと宣言した。

しかし、国連安保理でフランスやドイツがアメリカの武力行使に強く反対し、国際社会が2つに割れてしまった。ワシントンやギリシャなど各地で反戦デモが起きた。しかし、ブッシュ政権下では国防総省の発言力が強まり、ラムズフェルド国防長官は「フランスとドイツは古いヨーロッパだ」と表明。アメリカは有志連合による攻撃も辞さない構えを見せた。外交による説得が行き詰まる中、竹内行夫は小泉純一郎首相に、自衛隊の派遣に関して、民生復興支援において主導的役割を果たすために新法を準備するよう進言したという。

2003年3月、アメリカは国連決議のないままイラク戦争に踏み切った。小泉首相は、各国に先駆けてアメリカへの支持を表明した。その背景には、北朝鮮の核開発疑惑があったという。日本は人道復興支援のために自衛隊をイラクに派遣する準備を進めたが、イラクではアメリカが大規模戦闘の終結宣言を行った後もテロや戦闘が相次いだ。ラムズフェルド国防長官の支持で来日したローレス氏は日本に対し、人道復興支援ではなく治安維持に当たるよう求めてきた。2004年1月、日本は人道復興支援のために自衛隊をイラクのサマーワへ派遣した。このために作られたイラク支援法では、自衛隊の活動範囲は非戦闘地域に限られるとされた。しかし、撤退するまでの間に、自衛隊の宿営地にはロケット弾などが13回撃ち込まれた。

米国同時多発テロとイラク戦争をめぐる日本外交についてトークを展開した。五百旗頭真は、ベトナム戦争を繰り返すことになるのではないかと危惧したという。9.11を機にアメリカは人格が変わってしまい、ブッシュ大統領はテロと戦う運命にある人だったと話した。中山俊宏は、当時のブッシュ政権は過剰な脅威認識にとらわれていたと同時に、中東民主化の理想主義もない混ぜになっていたと話した。また五百旗頭は、サマーワで自衛隊に犠牲者が出なかったことについて、イラク派遣を拒否したドイツはアフガニスタンの復興支援で55人犠牲になっている。自衛隊は幸いだったのだが、後の対応を甘くしてしまう危険性があると指摘した。中山俊宏は、イラク戦争についてはアメリカでも「間違っていた」と再検証され、イギリスでもブレア首相が責任を取る形になっているが、日本ではきちんと検証されていないと指摘した。

バリ島での爆弾テロ事件やケニアでのテロ事件などが相次ぐ中、日本は主体性を発揮できる役割を模索し、人道支援や復興支援に力を注いでいく。その先駆けとなったのが、アフガニスタンでの復興支援。日本は83の国と国際機関を東京に招き、アフガニスタン復興支援会議を主催した。アフガニスタンのカルザイ大統領は、日本はアフガニスタンに惜しみない支援をしてくれたと話した。

政府とイスラム武装勢力の間で戦闘が続いてきたフィリピン・ミンダナオ島では、日本が和平に向けた取り組みを行った。緒方貞子はイスラム武装組織のトップであるムラド・エブラヒムと会談し、日本が開発支援を始めた。その後戦闘が激化して各国は要員を減らす中、日本は要員を増やして支援を続けた。そして日本は、2011年に実現した和平の仲介役に指名された。アキノ大統領とムラド議長の初会談は、日本の成田で行われた。緒方は、フィリピンは日本が戦争したところなので、復興・発展において責任があると話した。

日本の外交があげた成果についてトークを展開した。中山俊宏は、9.11によって、社会が直面している脅威の性質が大きく変わった中で、日本としてポジティブに貢献できる部分を特定していく必要があると話した。五百旗頭真は、フィリピンの例では、もっと悲惨な状態になりかけたところで、もうひと踏ん張りして乗り越えた。スリランカでも似たようなことがあり、偉大な努力だと話した。戦後の日本外交を通じて学ぶべきことについて中山は、日本も秩序形成を担っていかなければならない時代になってきたと話した。

キーワード
ベルリンの壁が崩壊
ブッシュ大統領
ゴルバチョフ議長
米ソ首脳会談
海部俊樹首相
湾岸戦争
ベーカー国務長官
国連の安全保障理事会
多国籍軍
自衛隊
後方支援
クウェート
バブル時代
日本異質論
旧ユーゴスラビア紛争
国連PKO
宮澤喜一首相
PKO協力法案
カンボジア総選挙
橋本龍太郎首相
カンボジア
モザンビーク
北朝鮮
中国
ゴラン高原
国連平和維持活動
北朝鮮の核開発疑惑
同時多発テロ
テロ対策特別法
アフガニスタン
インド洋
一般教書演説
大量破壊兵器
アーミテージ元国務長官
サダム・フセイン
国連安保理
イラク
パウエル国務長官
ドビルパン外相
国防総省
ラムズフェルド国防長官
小泉純一郎首相
ワシントン(アメリカ)
ギリシャ
フランス
ドイツ
イラク戦争
小泉首相
サマーワ(イラク)
米国同時多発テロ
ベトナム戦争
ブレア首相
バリ島爆弾テロ事件
アフガニスタン復興支援会議
ケニア
カルザイ大統領
アキノ大統領
成田(千葉)
ミンダナオ島
フィリピン
9.11
スリランカ

エンディング (その他)
21:47~

エンディング映像。

スポット

この番組で紹介されたアイテムは登録されていません。
  1. 前回の放送
  2. 6月21日 放送
  3. 次回の放送