NHKスペシャル 沖縄戦 全記録

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年6月14日(日) 21:00~22:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
21:00~

今回は昭和20年日本軍とアメリカ軍が激しい戦いを繰り広げた沖縄戦特集。沖縄の密林の中の洞窟には未だに戦死者の遺骨が眠っている。死者は軍と県民合わせて20万人にのぼる。今回被害の全貌を知るための重要な手がかりを入手、住民戦没者の記録を解析した。また、住民の肉声を記録した1000本の証言テープを公開。

キーワード
沖縄戦
沖縄県

沖縄戦 全記録 (バラエティ/情報)
21:05~

住民の犠牲が最大となった沖縄戦。今回、番組では糸満市役所に残っている戦没者の調査の記録を取材すると個人名は控えるも、いつどこで亡くなったのかのデータを解析すると82074人が死亡日や場所が不明になっている事が伝えられた。ここで4月1日から1日ずつの死者数を3Dで説明。ここで4月20日、781人が死亡した理由が紹介。場所は沖縄・伊江島で当時、アメリカは日本本土への攻撃拠点で伊江島をポイントにしようと陸海空から攻撃を仕掛けた。日本も第32軍は国を守ろうと空港を破壊するなど対策をねったが余りの人数不足に当時、長勇参謀長は県民に「全県民が兵隊になる事だ。一人十殺の闘魂を持って敵を撃砕するのだ」と語ったと伝えられた。

今では、サンゴ礁に囲まれた美しい島、沖縄だが70年前は1000を超すアメリカの船で埋め尽くした。当時、アメリカの海軍が撮影した1000本のテープから映像と共に専門家の検証結果が説明。最大54万人のアメリカ軍は太平洋の島を次々と突破し日本に辿り着いた経緯が紹介。当時日本軍も10万人を引き連れるも54万人のアメリカ軍には叶わず、また国家は本土に入り込むまでの持久戦を沖縄に託したと伝えられた。そして4月1日、アメリカ軍が上陸、壮絶な戦いが始まった。当時、アメリカ第10軍のサイモン・バックナー司令官の指示内容を記録していたのはジェームス・バーンズ曹長である。今回の取材でアメリカ軍の機密扱いとなっていた陣中日誌「オキナワダイアリー」が見つかった。そこには、「住民の死体の山が放置されている。殺害した4700人のうち2000人が沖縄の住民だった」など住民という言葉が多く綴られていた。

今回の取材で1000本のテープから40年前、沖縄の本土復帰直後に初めて戦争体験を語り始めた人々の証言が収められていた。そこには当時、17歳だった女性が1人でもアメリカ殺しながら死のうねと仲間と話している音声などが伝えられた。日本軍の攻撃が最後にかけた4月20日には島の女性らも斬り込みに入り、住民同士で靖国神社に兵隊と一緒に祀られるから、当時は全員が死なないといかんと思うから何でもないですよと音声が流れた。戦争末期、昭和天皇は「一億玉砕」を掲げ天皇を守る為、命を顧みない考えになっていた。当時、9歳だった男性79歳は家族で隠れる中、アメリカ軍に降伏を言われると持っていた爆弾を入れ集団自決した中で自分が生き残ってしまったと語っていた。

5月14日、アメリが軍が日本軍司令部の目前に迫った。シュガーローフの丘をめぐっては、11回も攻守が入れ替わる激しい戦いとなり、アメリカ軍の死傷者は4000人にのぼった。ジェームス・バーンズの陣中日記には、この戦闘で231人の戦闘神経症の兵士が出たとある。首里攻防戦の1か月で命を落とした住民は、2万1600人。山内榮は当時の映像を見て、米兵が狙い撃ちにしていたのは民間人だったのではないかと指摘した。

アメリカ・ボストンに住む、シュガーローフの戦いを生き延びたジョー・ドラゴ元伍長を訪ねた。ドラゴ氏は、日本兵と沖縄の住民を見分けることは難しく、常に疑心暗鬼の状態だったという。戦中にアメリカ軍が日本軍の戦術を分析したインテリジェンス公報には、日本兵が着物を着て住民に偽装している写真が掲載されている。日本軍の内部文書を英訳した資料には、「住民の服を着用するように」との命令が記されていた。題32連隊に所属していた伊東孝一元大尉は、部下の中には住民に偽装する者もいたと証言した。アメリカ軍の無差別攻撃は、さらに上記を逸していく。地下壕を見つけては逃げ道を断ち、火炎放射器で中を焼きつくした。伊智万里子さんは、狂気を帯びたアメリカ兵の姿が今も頭から離れないという。

5月31日、首里の日本軍司令部が陥落し、日米の戦いは事実上決着がついた。バーンズ曹長は陣中日誌の中で「沖縄で見た光景の中でもっとも凄惨なものだった」と記している。

4月終わりから5月にかけて、沖縄本島では日本軍司令部がある首里をめぐって、沖縄戦最大の攻防が繰り広げられた。アメリカ軍は、戦場に残った住民の被害を極力抑える方針だった。司令官の側近であるジェームス・バーンズ曹長の陣中日誌には、「我々の敵は沖縄の住民ではない」と記されている。しかし、首里をめぐる攻防の1か月間での犠牲者多くは、防衛召集という制度で集められた沖縄の人々だった。防衛召集は、沖縄戦の半年前に、台湾の防衛部隊の兵力不足を補うために大本営が定めた制度。浦添市など首里の防衛戦があった場所には、今も旧日本軍の地下壕が残っている。日本軍はこれらの地下壕に身を潜め、敵を待ち伏せる作戦をとった。地下壕で軍民が混在する状況が生まれ、住民の犠牲がさらに膨らむことになった。

防衛召集は、沖縄戦の半年前に、台湾の防衛部隊の兵力不足を補うために大本営が定めた制度。浦添市など首里の防衛戦があった場所には、今も旧日本軍の地下壕が残っている。日本軍はこれらの地下壕に身を潜め、敵を待ち伏せる作戦をとった。地下壕で軍民が混在する状況が生まれ、住民の犠牲がさらに膨らむことになった。

北海道日高町に住む濱本俊則元上等兵は、「(防衛召集者は)軍事訓練もろくに積まずに、一番危ない仕事をしていた」と話す。防衛召集者の肉声テープには、「(装備は)竹やりと手りゅう弾くらい。爆破する時には(手りゅう弾を)抱いていって、戦車の下に入って爆発させる」と記録されていた。

防衛召集以外にも、戦場に駆り出された住民たちがいた。老人・子ども・女性の一部は県内外に疎開させるはずだったが、渡慶次ミツ子さんは、首里攻防戦の最前線を転々とし、軍とともに地下壕に身を潜め、弾薬運びや地雷埋め、炊事などを行っていたという。住民の犠牲を避けるという考えは、当時はなかったのか。横浜在住の、当時題32連隊に所属していた伊東孝一元大尉が取材に応じ、当時は兵士どころか弾薬も食料も、すべてが不足していたという。

首里が陥落した後も、4万6000人以上が犠牲になっている。決着がついていたにも関わらず、全体の半数以上が命を落としていた。第32軍の牛島満司令官が、首里を撤退して南部で戦いを続ける決断を下した。沖縄本島の最南端に本部を移し、防衛召集された人々や行き場を失った住民も南部に殺到した。ジェームス・バーンズ曹長の陣中日誌には、「一時休戦を申し入れ(南部に逃れた)住民を保護すべきではないか」と記されている。しかし、アメリカ軍は南部で掃討戦を開始した。海からも艦砲射撃を浴びせ、犠牲が拡大した。

住民たちが身を守るためには、地下壕や洞窟に逃げこむしかなかった。しかし、日本軍が作戦で使用している地下壕は使用できず、また、住民が身を隠していた地下壕を日本軍によって奪われることもあったという。濱本俊則元上等兵は、「兵隊は自分の身を守るだけでやっとだった。案外(住民を)利用したかもわからない」と話した。住民同士の間でも、赤ちゃんが泣きだすとアメリカ軍に見つかるから地下壕を追い出されたり、泣き止まない子どもを親の目の前で窒息死させてしまうこともあったという。3か月にわたって軍とともに最前線にいた渡慶次ミツ子さんは、「沖縄の人間はなぜこんなに…。(南部へ逃れる途中で砲弾が直撃して亡くなった)姉と一緒に亡くなっておれば一生こんなに苦しい思いをしなくてよかったのに」と、涙ながらに話した。

6月20日、喜屋武半島では、逃げ場を失った住民たちが、次々に断崖から身を投げた。南部掃討戦に従事していたグレン・ニュート元伍長は身を投げて死んだ子供の姿を見て、「どうか戦争を終わらせてください」と神に祈ったという。そして6月23日、牛島満司令官は「最後まで戦え」との命令を残して自決した。伊東孝一元大尉はその後も南部の地下壕に隠れてゲリラ戦を続け、投降したのは終戦後の8月末だった。陣中日誌を記したジェームス・バーンズ曹長は戦後に作家となり、ピューリッツァー賞を受賞した。しかし、沖縄戦については生涯書くことがなかった。元妻のジャネットさんは、「夫は毎晩悪夢にうなされていた」と話した。陣中日誌の最後は、「戦場のすべてを見た。もう十分だ」で締めくくられている。

沖縄戦での戦没者は、約20万人。そのうち3000人以上が、遺骨さえ見つかっていないという。父親を亡くした女性は、いつどこで亡くなったのかもわからず、生きていた証は慰霊碑に刻まれた名前だけだという。今年も、100体近い遺骨が発見されたと伝えた。

キーワード
沖縄県
沖縄戦
サイモン・バックナー司令官
ジェームス・バーンズ曹長
伊江島(アメリカ)
長勇参謀長
昭和天皇
シュガーローフの戦い
戦闘神経症
バーンズ
インテリジェンス公報
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バーンズ曹長
防衛召集
首里(沖縄)
大本営
浦添市(沖縄)
日高町(北海道)
渡慶次ミツ子さん
横浜(神奈川)
牛島満司令官
喜屋武半島
ピューリッツァー賞
ボストン(アメリカ)

エンディング (その他)
21:57~

エンディング映像。

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