NHKスペシャル 東日本大震災「最後の避難所〜原発の町・避難住民の選択〜」

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年12月27日(金) 22:00~22:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

埼玉・加須市にある東日本大震災の避難所がまもなく閉鎖される。廃校になった旧騎西高校で避難を強いられた福島・双葉町の住民が暮らしており、今年になっても100人以上が残っていた。ここに小さな故郷を築き、互いに支えあってきた。しかしこの夏、町は避難所を閉鎖する方針を打ち出した。住民は互いのつながりが絶たれると不安に陥った。そして始まった住民の引っ越し。それぞれが苦渋の決断を迫られる。最後の避難所の閉鎖に向けた日々を追った。

キーワード
東日本大震災
加須市(埼玉)
双葉町(福島)
旧騎西高校
原発事故

最後の避難所~原発事故の町 住民たちの歳月~ (バラエティ/情報)
22:03~

2011年3月、東京電力福島第一原子力発電所の事故で、双葉町の全住民が避難を強いられた。住民の多くは、埼玉に逃げてきた。1400人が廃校だった騎西高校に入った。当時の双葉町の町長、井戸川克隆町長が決めた。老人会の女性部長、伊澤恭子さんは「役場について歩いている、(福島の)川俣町から(埼玉の)スーパーアリーナで、今度はこちらで元気で双葉に帰れると思う」などと話していた。校舎には双葉町役場なども置かれた。

埼玉・加須市の旧騎西高校から鎌田靖が年明けにも閉鎖されると紹介。福島県双葉町は、今年5月長期にわたり帰還困難区域に指定される。さらに、6月には双葉町役場が移転し、避難所閉鎖の方針が伝えられた。そして今日最後の住民が退去した。

月日が経ち、残ったのはお年寄りだった。車いすの親子、娘の渡部三恵子さんと、母、渡部マサさん。マサさんは塞ぎこむうちに歩けなくなり、認知症が進んだ。夫の渡部正義さんが暮らす教室には、合わせて10人が暮らしている。教室を保健師や介護士が回っており、近くには病院もある。渡部三恵子さんは「今は小さなしあわせで生きていくしか無い」と語り、涙を流した。

原発事故から2年の2013年3月、避難者は130人に減っていた。残った人たちは、避難所を自分たちの小さな故郷にしようとしていた。にこにこ合笑団は、双葉町の暮らしを少しでも取り戻そうと集まった。「双葉町民の歌」を歌う映像が映る。にこにこ合笑団リーダーの高野一美さんは「皆さんの顔を見ながら話をしながら、やっぱりやすらぎが湧いてくる」などと話した。にこにこ合笑団の林日出子さんは、以前のように野菜を作り、仲間に食べさせるのを楽しみにしている。

5月、避難所の住民に衝撃が走る。一時的に帰宅した林日出子さんは、町の異変を「目の前に汚染水を入れるタンク、ぽんぽんと建ってる陰に、(原発の)5・6号機の原子炉が見える」などと話し「だからもうあそこには帰れない」と話した。福島第一原発には、汚染水タンクが次々と建てられていた。2013年5月、国は双葉町の大部分を帰還困難区域に指定した。老人会の伊澤恭子さんは、若い頃から双葉町で身の回りを写真に写してきた。その故郷には帰れない。伊澤さんはここが新たな故郷に定め、避難所の暮らしを映し続けた。

6月、新たに就任した双葉町の伊澤史朗町長が、役場を福島・いわき市に移すと決めた。避難所のお年寄りが頼りにしていた様々な町の機能が消えていった。避難所の114人は閉鎖が近いと感じていた。伊澤恭子さんの周りでも家探しをする人が出始めた。伊澤恭子さんは「双葉町に帰れるとなったら福島に行きますけど、それでなければ他の福島にはもう行きません」などと話した。車いすの渡部マサさんんと娘の三恵子さん。マサさんは、この2年で近くの病院が掛かり付けになっていた。母の通院のため、福島には戻らないと決めた美恵子さんは近くの物件を探し始めた。原発事故や津波の被害者には、月6万円まで家賃が補助される。問題は、車いすでの出入りが自由かどうか。懸命に調べる美恵子さん。母が安心して暮らせるのか。美恵子さんたちは部屋探しを続けた。

部屋探しを始められない兄弟がいた。弟の菅本章二さんは、津波で家族を流され、その後の原発事故で探すことも出来なかった。それ以来、時が止まったよう。「母親が津波で流されて行方不明」と話した。同じ避難所の兄の菅本章一さんも先のことは考えられずにいる。双葉町で家族3人で暮らしていた兄弟も、今は殆ど会話ができない。母が行方不明になってから、二人の間に壁ができた。

弟の章二さんは、福島・双葉町で母を探し続けている。原発事故直後、立ち位置が制限された双葉町だが、月に1度入れるようになり、毎月のように入っている。しかしいくら捜しても、母の写真すら見つからない。親子3人で暮らした家は、跡形も無い。章二さんは、津波が来た時、目の前で流されていく母を助けられなかったことで、自分を責め続けている。罪の意識で、最後の様子を未だ兄に話すことが出来ない。兄・章一さんも罪の意識を感じていた。津波の直前に、家を離れていた章一さんは、なぜ母たちを家に残したのか、そればかり考え先に進めずにいる。

7月、残った住民が柔道場に集まり、避難時閉鎖の方針を町から説明された。双葉町の伊澤史朗町長は「一時避難場所については、今後皆様が次の生活に映るための対策を講じていきたい」等と話し、健康面で不安だと説明し、賃貸物件を紹介した。その後も説明会を重ね、理解を求めた。しかし住民はつながりが絶たれると恐れた。住民は9月までに行き先を報告するよう、部屋探しを迫られていた。皆、焦りを募らせていた。

行き先が決まり、避難所を出る人も現れ始めた。高野サダ子さんは、役場が移ったいわき市に夫と引っ越すことになった。夫の高野一美さんはにこにこ合笑団のリーダー。ついに避難所を去る日を迎えた。仲間と別れる前に、最後に歌ったのは、「よりそい人」という曲。高野一美さんは「やっぱりいざ出かけるとなると気持ちが寂しいね」などと話した。そして夫婦で車で避難所の学校を出て行った。

校舎の脇に、花オクラを植えていたにこにこ合笑団の林日出子さんが楽しみにしていた花が咲いた。林さんも閉鎖が迫る中、アパートを見に行き、少し落ち込んでいた。「なんで今からこういう所見に来て今から入って生活しなちゃならないと思ったら、昨日涙が出た」「寂しい」と語った。

9月に入ると、住民たちは次々と引っ越しをし、避難所を出て行った。まだ行き先の決まらない伊澤恭子さんは、人が減っていく避難所の様子を写していた。双葉町では、娘夫婦と孫の4人で暮らしていたが、娘たちは他の県に引っ越している。同居を誘われたが負担になると思い断ってきた。この日、避難所の閉鎖を伝えた。伊澤さんは、娘夫婦が同居を言い出す前に、電話を切ってしまった。娘一家には迷惑を掛けたくないが一人暮らしの自信もない。88歳の伊澤さんは途方に暮れていた。

双葉町に墓参りに向かう、にこにこ合笑団の林日出子さん。防護服で進む故郷。放射線量は国の基準の10倍を超えている。林日出子さんは、アパートを借り、埼玉に永住すると決めていて、先祖の墓に、お詫びの報告に来た。そして、原発からわずか1キロの自宅に向かった。もう一つ大切用事があった。動物に荒らされた家の奥に進み、仏壇の奥に閉まっていたご本尊の阿弥陀仏の絵を持ち帰った。林さんは故郷に永遠の別れを告げた。

10月、林さんが避難所を去る日がやってきた。別れを惜しむ仲間に、林さんは明るく振舞っていた。引越し先は、避難所からわずか2キロのアパート。避難所を出る住民に冷蔵庫やテレビが配られている。今後は、原発事故への精神的損害への賠償、月10万円相当が暮らしの支えになる。ご本尊を収め、先祖の写真を飾る。双葉町も、避難所の小さな故郷も失った林さん。たった一人、82歳の再出発。林さんは「原発さえなかったらこんな生活しなくて済んだ」と涙を流した。

避難所近くの県営住宅に、渡部三恵子さん正義さんの夫婦が引っ越してきた。母のために見つけた車いすが使える部屋だが、肝心の母・マサさんの姿がない。マサさんは近くの病院に入院していた。引っ越し中に足の骨を折ってしまっていた。避難所で認知症も進んだまささんは、故郷に帰ると言ってきかない。足が治っても帰る先は埼玉の県営住宅であることを、マサさんは知らない。

11月下旬、ほとんどの住民が避難所を去り、この時残っていたのはわずか11人の避難者だった。その一人、菅本章二さんも退去を迫られ、避難所を後にする。この機会に、母の最期の様子を兄につたえようと心に決めていた。

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