NHKスペシャル 東日本大震災「津波から命を守れ〜浸水域に暮らす人々〜」

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年11月8日(金) 2:10~ 3:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
02:10~

台風が迫る中、宮城県石巻市では波が防潮堤を超えていた。東日本大震災で470人あまりがなくなったこの地区はほぼ全てが津波に飲まれたが、その津波浸水域に多くの住民や事業者が戻っていた。津波の恐怖を目の当たりにしたこの場所になぜ多くの人が戻ってくるのか?どうやったら被害を防げるのか…今回はその秘密に迫る。

キーワード
津波
東日本大震災
石巻市(宮城)

津波から命を守れ~浸水域に暮らす人々~ (バラエティ/情報)
02:13~

「次に津波が来たら、何よりも身を守らなくてはいけない」それは東日本大震災で多くの人が学んだ教訓で、そのためには高台移転などが必要というのを多くの人が共有していた。しかし今津波浸水域に、戻って暮す人も数多くいる。今回は津波の恐怖と隣りあわせで暮す人々の事情に迫る。

石巻市渡波地区には、6月にこの地区に戻ってきた一軒の家があった。この家は津波によって2階の床まで水が押し寄せたが、その住宅を修理して暮らしているのだった。津波の恐怖を体験した住民が、再び津波浸水域に戻った理由の背景には、住宅の再建をめぐる線引きがあった。

この住宅の目の前の防潮堤は高さを引き揚げる工事が始まっておらず、さらに地震の影響で地盤沈下も始まっているが、土地が買い上げ対象となっておらず、経済的な理由から戻らざるを得ない…というのが実態であった。水道契約に注目して、どれだけの人が浸水域に戻ってきているのかを調査してみると、半分以上の住民が戻ってきている事が判明した。

何故石巻市は新水域の住民全てを移転させなかったのか。それは市街地が海沿いにあり、ほぼ全域が浸水したため、市役所や学校鉄道も含めて全てを内陸に移転するには現実的ではないと判断したからだった。これらの住民は自ら命を守る必要があるが、避難できるような高い建物がないという現実もあり、それは昨年12月の大きな地震の時に表面化した。

渡波地区の区長の男性は、この時地震直後に近くにある橋に避難。これは指定の避難所までは徒歩で20分かかるため、間に合わないと判断したからだった。このときは津波の高さは1メートルで住民に被害はなかったが、高い津波が再び襲ったらどうなるのか…悩みは一層深くなった。

浸水域から移転できず、再びこの地域へと戻ってきた男性。お盆には子供たちが孫を連れて遊びに来たが、津波への不安から「家に泊まっていけ」とは言えなかった。今月16日には大型の台風が直撃し、目の前にある防潮堤を波が次々と超えている状況を目撃したのだった。

危険だとは分かっているものの、この場所で住まざるを得ない…。津波の浸水域では、そのような声を多く聞くことが出来た。被災者原因を高台に移住させるためには、土地も予算も足らない現実がこのような状況を引き起こしているが、それは沿岸部の市町村ではどこも抱える問題で、水道契約数で見てみると、震災前の34%の住民が再びこの場所に戻ってきているのだった。

津波の危険と隣り合わせの人たちが共通するのが、どのようにして避難するのか。宮城県南部の山元町では、防災訓練で避難の際に車を利用する…という訓練が行なわれた。東日本大震災では気仙沼など各地で渋滞が発生し、そこを津波が襲い多くの人が犠牲となった。国は避難時には徒歩を原則としているが、車を使った訓練を行なったのは何故か。

山元町は海岸から内陸部まで平坦な土地が広がり、浸水域には震災前の2割程度の住民が戻っている。取材を受けた女性の住む地域では、津波発生時には2km離れた高台に避難する必要があるが、これは国が徒歩で10分以内に避難できる場所としちえる500メートル以内に高台がないからだった。徒歩では間に合わないことから、住民達は車での避難を検討する事となった。東北大学災害科学国際研究所の調査でも、96%の住民が車で避難すると回答している。

今年度中に新たな防災計画を作る山元町では、住民の意向を受けて車避難に向き合わざるを得ない事となった。車避難で最も大きな問題が渋滞。住民の車に対して、復興事業に携わっている車までが道路を走ると激しい渋滞となるため、地震発生時には作業員が車に乗り合わせて移動することに決定し、これによって自動車の数を3分の1に減らす事に成功。住民達も車を持たない近所の住民を分担して車に乗車させ、さらに避難済みの目印を残すことにした。

8月31日の訓練当日には、800台の車両が参加し避難訓練が行なわれたが、やはり国道と交わる幹線道路で渋滞が発生していた。一方アンダーパスを通り、近所のお年寄りを乗せたグループは、出発こそ遅れたものの、出発後は4分で浸水域を脱出する事に成功。

ガレキ処理場では計画通り車に乗りあって避難が開始。渋滞する幹線道路を避けて別のルートで移動することとしたが、そのルートでも渋滞が発生。災害発生時には、車を放置して徒歩で逃げる人も出てくる可能性があり、もしそうなったならば…との不安も高まった。このルートでは作業員全員が浸水域を抜け出すのに43分もの時間がかかってしまった。

実際の災害発生時には、住宅の倒壊など更なる混乱も予想され、初めての訓練はより具体的な課題が見える結果となった。訓練から一週間経った9月7日に東北大学の保田助手から訓練の分析結果が住民に伝えられた。国道6号線が大きなネックで、これを出来るだけ回避するのが、現状では一番の方法であった。

津波からの避難では徒歩での避難が原則となっているが、安全な避難場所のない浸水域では車による避難を検討せざるを得ない状況も現実として存在。全国の自治体でも避難計画作りが行なわれているが、その地域の現実を直視し、実情に合った計画を自治体や住民が作り出せるのかが重要なポイントとなる。

浸水域では東日本大震災での経験を踏まえて、人々の命を守る側の撤退ルールについても検討が行なわれた。これまでいつ救助活動を切り上げ、現場を離れるかはそれぞれの団員の判断に任されてきていたが、陸前高田市の消防団では、津波到達時刻の10分前には安全な場所に逃げておく事…との撤退基準がもうけられられた。

市の南西部を受け持つ気仙分団の分団長は、撤退ルールに対して「住民が残っているのに、自分達が逃げてもいいのか」との複雑な思いを抱えていたが、同時に津波で団員6人の命を失った悔しさと責任も背負っていた。

113人の職員が犠牲となった市役所も今年撤退ルールを作成。それは津波が来るおそれがあれば、職員が浸水域に入ることそのものを禁止するというものだった。このような救助する側の撤退ルールは、他の浸水域にも広がっている。

救助する側の撤退ルールが策定され、公的な救援が届かず取り残される可能性もある浸水域。陸前高田市では、水道契約数ベースで見てみると、震災前の25%が浸水域へと戻ってきていたが、これらの地域ではどのように命を守ろうとしているのか。市南部の沿岸部・福伏地区には自主防災会があったが、当日は仕事で不在の人も多く、限られた人数で対応を行なった。住民達は一度避難場所に集まったが、その場所にも津波が迫り、さらに高台に避難する最中に津波に飲まれた人を、残念ながら救う事が出来なかった…

今後も公的な救援に頼れない中、1人の犠牲も出さないようにするにはどうすべきか。浮かび上がったのは災害時に動ける人を、どのようにして確保するかだった。そこで住民達は、役割を順繰りに交代制で担当し、もしもの時に他の足りない班をカバーできる体制作りを行なう事にした。

キーワード
東日本大震災
津波
石巻市(宮城)
渡波地区(宮城)
石巻市(岩手)
山元町(宮城)
気仙沼市(宮城)
陸前高田市(岩手)
福伏地区(岩手)

エンディング (その他)
02:57~

震災によって多くの人が地震や津波に対する考えを根底から覆された。あの日から2年半がたち、多くの人たちが津波の危険と隣り合わせの浸水域に戻るという苦渋の選択を強いられている。果たしてこのままでいいのかという疑問もあるが、住民達はその現実のなかで、地域の実情に合わせて命を守る方策を探っていた。巨大津波が各地で想定されるなか、浸水域に戻った人々のこのような姿勢から学ぶべき事は数多くある。

キーワード
津波
東日本大震災
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