NHKスペシャル 平成史 第3回▽“劇薬”が日本を変えた〜秘録小選挙区制導入

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年12月27日(木) 1:00~ 1:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
01:00~

劇薬は戦後政治を一変させた。平成日本の舵取りを担った政治家たちが真相を語る。1994年に衆議院で導入された小選挙区制。“劇薬”とも言われた選挙制度の元で自民党は政権の座を一度野党に奪われ社会党は僅か2議席にまで激減した。第3回の今回は政治家の肉声から浮かび上がる小選挙区制導入に至る1800日の舞台裏に迫る。

キーワード
小沢一郎
森喜朗
小選挙区制
社会党
小森龍邦
後藤田正晴

”劇薬”が日本を変えた〜秘録 小選挙区制導入 (バラエティ/情報)
01:04~

1989年は自民党が歴史的敗北を喫するなど政治が大きく動き始めた年だった。きっかけは戦後最大級の疑獄事件・リクルート事件。与野党は利害を抱えながら議論していたのは選挙制度のあり方だった。平成の初め中選挙区制を変えるか否か、日本の政治の最大の焦点となっていた。

自民党本部に地下倉庫に選挙制度改革の原点を記した未公開の資料が眠っていた。高まる政治不審に危機感を強めた自民党が平成元年に「政治改革委員会」を立ち上げ、後藤田正晴が会長を務めた。70歳を超えていた後藤田は政治改革を最後の仕事と考えていたという。当時の政治体制は自民党が過半数、社会党が2分の1の議席を分け合う55年体制と呼ばれるもので、与野党がもたれ合う“十年一日”の如き体制では新しい時代に対応できないと後藤田は考えていた。衆議院への小選挙区制導入、これこそが後藤田が日本の政治を立て直すために処方すべきと考えていた“劇薬”だった。しかし自民党にとっては政権の座を奪われかねない危険な制度でもあった。後藤田が会長を務めていた政治改革委員会でもほとんどが反対意見だった。

後藤田が党内の強い反対を押してまで目指した小選挙区制。導入の鍵を握ったのが、当時47歳だった小沢一郎。“保守と保守 二大政党制”を施行していた小沢は以前から強く小選挙区制を主張していた。小沢が所属していた最大派閥「経世会」は他派閥から独断専行だと猛反発を受ける。1991年8月、海部内閣は政治改革法案を国会に提出。しかし小選挙区制への党内外の反発を抑えきれず法案はほとんど審議されないまま廃案に終わった。後藤田がまとめ上げた「政治改革大綱」には地方分権の確立や国会の活性化など6つの抜本的改革を掲げていた。

政治改革法案が廃案になった後、強い反発を招いていた経世会。派閥内部でも小沢一郎への不満がくすぶっていた。経世会の会長の座を巡り新小沢vs.反小沢の対立が先鋭化。その急先鋒が中村喜四郎氏だった。後にゼネコン汚職事件で有罪判決を受けマスコミとの接触を断った中村氏だが今回24年ぶりにカメラの前にたった。経世会のプリンスと呼ばれ40歳にして閣僚を経験した中村氏は小沢氏とも近い存在だったという。

当時小選挙区制に最も強硬に反対していた小泉純一郎氏。経世会内部で反小沢を鮮明にした中村氏は小泉氏と行動を共にするようになる。中村氏は「小泉純一郎さんだけは鮮明に覚えている。彼はあの時に経世会は割れる。割れれば時代は自分たちに来る、そうなれば自分も。と思ったかもしれない」と当時を振り返った。この後、総理大臣になった小泉氏。小選挙区制のもと行われた郵政選挙で大勝した。

政治改革を求める世論のうねりは選挙制度改革へと姿を変え55年体制を崩壊させた。1993年金丸信が逮捕。後に自民党幹事長として難しい対応を迫られる森喜朗は、社会が政治改革という熱に浮かされていたと振り返る。この頃後藤田正晴は宮沢内閣の副総理として政治改革法案の成立を目指していたが、宮沢内閣も法案を成立させることはできなかった。1993年の宮沢内閣、不信任決議案では小沢氏らは野党に同調し賛成票を投じた。この直後、小沢を含む44人と共に側近だった平野貞夫らは自民党を離党した。

1993年7月。衆議院解散を受けた選挙で新たに作られた政党が躍進し自民党は初めて下野し55年体制は終焉した。2度に渡り頓挫した政治改革法案は自民・共産を除く7党1会派で発足した細川連立政権に引き継がれた。この時主導権を握ろうと動いたのが武村正義だった。武村氏は「政治改革の具体的な中身については、もうあれこれ言わないような雰囲気があって並立制でいいやという割合荒っぽい判断ができた。あの瞬間だからできた」と明かした。

武村正義の案をもとにした政治改革法案成立の鍵を握ったのが政権内で第一党だった社会党の動向だった。憲法改正阻止の議席を確保するためには中選挙区制が有利だった。社会党がなぜ小選挙区制を受け入れて行ったのか、日本最大の労働組合の中央組織に関する、初代会長・山岸章の6000枚に及ぶ発言録を入手した。山岸氏は以前から小沢氏らとは異なる二大政党制を構想していたという。社会党議員だった大脇雅子は「政党助成金はあめの役割を果たしていたんじゃないでしょうか。お世話になった方がここまで“恥を忍んで”とおっしゃることに対して胸が詰まってしまいました」と振り返った。17人の社会党議員が反対票を投じたことで法案は否決した。

1994年1月28日。細川総理大臣と河野総裁のトップ会談が急きょセットされた。この会談を水面下で取り仕切っていたのが森喜朗氏と小沢一郎氏。当時自民党は離党者が続出し政治改革に後ろ向きに見られることを恐れる議員も多かった。森氏は党の分裂も招きかねないと悲壮な覚悟だったという。また小沢氏は自民党に壊滅的ダメージを与えるために衆議院解散も視野に入れていたことを明かした。

1996年、小選挙区制の選挙が初めて行われた。与党に返り咲いていた自民党。それに対し小沢氏が新たに結党した新進党。後に政権を取る民主党が挑んだ。これまで7回行われた衆議院選挙でも自民vs.非自民の構図は変わらなかった。非自民側は離合集散を繰り返し社会党は2議席にまで激減した。1999年から自民党と連立を組んだ公明党。選挙では小選挙区は自民、比例代表は公明と支持母体に呼びかけ存在感を示している。制度導入後、2度政権交代が実現。政治主導の政策決定が目立つようになったのも大きな変化だった。しかし死票が多く政治に多用な意見が反映されにくくなったという指摘も無視できない。小沢氏は「日本はまだまだ小選挙区制導入をやったばかりですから、政権交代があることにより政治が緊張感を生んで野党に取られるという思いでしっかり政治も行われる。それでこそ議会制民主主義だと私は思ってる」と語った。森氏は「小選挙区制にふさわしい政治家が出ているかどうかというと疑わしくなるところが多い。もういっぺんきちんとした制度をどう作り上げていくかということはやるべきだと思う」と語った。

「国会議事堂」には憲政史に名を刻んだ政治家を顕彰した銅像が置かれている。しかしその中に1つだけ銅像の乗っていない台座がある。政治は常に未完であることを示しているという。後藤田正晴は2005年、91歳でこの世を去った。政治改革について後藤田は「制度に絶対のものはない。運用を誤れば成果は上がらない、いや逆効果さえ生ずるおそれがある」「国家国民のためにあるのが政治である」と書き残している。

キーワード
小選挙区制
社会党
土井たか子
リクルート事件
藤波孝生
中選挙区制
選挙制度改革
後藤田正晴
55年体制
田辺誠
金丸信
尾身幸次
甘利明
経世会
小此木彦三郎
政治改革大綱
小沢一郎
中村喜四郎
小泉純一郎
山崎拓
加藤紘一
武村正義
鳩山由紀夫
新党さきがけ
細川護煕
河上丈太郎
山岸章
連合
河野洋平
新進党
民主党

エンディング (その他)
01:48~

エンディング映像。

「NHKオンデマンド」の告知テロップ。

キーワード
NHKオンデマンド

番組宣伝 (その他)
01:49~

NHKスペシャル「女7人おひとりさま みんなで一緒に暮らしたら」の番組宣伝。

行くぞ!最果て!秘境×鉄道 ~モンゴル絶景列車~の番組宣伝。

「証言ドキュメント 大谷翔平 二刀流へのまなざし」の番組宣伝。

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