NHKスペシャル 平成史 第1回「大リーガーNOMO〜トルネード・日米の衝撃」

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年10月21日(日) 21:00~22:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
21:00~

大谷翔平をはじめ平成まで57人が大リーグに立った。始まりは平成7年22歳の若者の挑戦がスタートだった。野茂英雄はカメラの前で初めて波乱に満ちた野球人生を語った。

テーマ音楽:千住明

今回の番組概要をダイジェストで紹介。

オープニング映像。

演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

キーワード
千住明
東京フィルハーモニー交響楽団
大谷翔平
野茂英雄
大リーグ

大リーガーNOMO〜トルネード・日米の衝撃~ (バラエティ/情報)
21:03~

1995年5月2日のアメリカ・サンフランシスコで、野茂英雄が大リーグのマウンドに登板した映像を振り返る。マウンドに上がって、やっとメジャーに立てたと思ったが、その後は投げることに集中した。最初は本当に嬉しかったと野茂英雄が対談で語った。1995年は阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件などが起こった。リポートの大越は、大リーグの選手が日本人に立つことは当時としては考えられなかったと語る。野茂英雄は自分がパイオニアと言われるが、日本人だからこうだとか言われたくないのはスタッフなどを含めみんなが思っていることだと思うとコメント。

プロ野球入りから野茂英雄を振り返る。平成元年に野茂英雄はドラフト会議で1位指名で8球団から声がかかる。8球団の指名の記録は破られていない。入団の条件はフォームに手を加えないことだった。トルネード投法と呼ばれるフォームは型破りなものだった。プロに入り野茂英雄は三振の山を築いていった。1年目は18勝8敗。8つのタイトルを総ナメにした。足高圭亮はパ・リーグの宝だったと振り返る。野茂英雄にとって信じた球を堂々と投げ込む。エースはマウンドでは動じない。いつも変わらないのがエースだったと語る。シンプルに理屈をつけてというのは考えられないと語る。

大リーグでもストレートとフォークで打者に挑んでいった。ジャイアンツの4番マット・ウィリアムスと対戦したときを振り返る。マット・ウィリアムスはワインドアップに印象が残っている。背を見たあと、どこからともなく球が飛んでくる。タイミングをストレートに合わせようとしていたが、全部ストレートに見えたと語る。

大谷翔平、田中将大、松井秀喜、イチローなどメジャーリーグでの活躍は当たり前の事になっているが、かつて日本のプロ野球とアメリカの大リーグの間には壁があった。江夏豊はかつて、マイナーリーグに挑戦した過去があった。当時は日本は全く認められていなかったと語る。野茂英雄と話をしたときには一度も頑張れと語られたことがなかったと語る。野茂英雄は、プロ3年目の日米野球のときに、アメリカを見据えていた。まっすぐがどのくらい通用できるかと思って投げるとフィルダーなどに打たれ、レベル高いなと思った。そこでレベルが高いところでやりたいなと思ったとコメント。

大リーグへの想いを深めた野茂英雄は、大リーグの映像を自ら編集し、見るようになった。教法を熟読し、科学的なトレーニング方法も導入することになった。さらに日本球界の体質について違和感も覚えるようになった。従うことが絶対とされる風潮。野茂は首脳陣との対立が増えていく。立花龍司は走ることは大事だが、闇雲に走ればいいもんじゃないと語る。さらに野茂英雄は、入団4年目の1995年1月9日に大リーグ挑戦を表明。日本野球機構は大リーグ挑戦を厳しく批判を表明していた。94年の契約更改に対し当時、契約更改前に任意引退になっていると思うと語った。野茂英雄は任意引退書にサインし交渉を行ったことを明かした。前田泰男元近鉄球団社長と交流があった井箟重慶氏は前田泰男が近鉄に契約するしかないと思っていたと語る。任意引退の制度で保有権が無いことを野球機構の中で当時の代理人が注目していたとジーン・オーザ弁護士が語る。日本球団が交渉権を持たないとアメリカも交渉できると球団側に伝えたと語る。また当時の質問状では、任意引退から復帰の場合は元所属球団としかできない。しかしアメリカの球団はその限りではないと記されていた。日本野球機構は当時近鉄に一任していたと当時パ・リーグ連盟会長の原野和夫氏が語る。

大リーグ挑戦が公になる前に、秘密交渉が行われたことがわかった。秘密交渉で野茂を近鉄が引き留めようとしていたこともわかった。破格の内容だった。秘密交渉では近鉄の残留を説得されていた。佐藤道朗氏は当時野茂は黙ったままだった。代表に対し行かしてあげようと動いていたことを佐藤道朗氏が明かした。野茂英雄は当時の最低保障年俸およそ1000万円で海を渡ることを選択。見返りがまったくない状況での選択だった。野茂英雄はプロ野球入りまで自分の意志ではなく、アメリカのプロ野球入りに関しては自分の意志で行きたかったと意志の固さを語った。しかし当時はその行動を「わがまま」「通用しない」と言われ、追われるように大リーグに向かう。その半年には野茂英雄は大リーグのオールスターに登板していた。

1995年野茂英雄の挑戦を振り返る。アメリカに渡るとピーター・オマリ氏は当時の野茂英雄に対し勇気ある挑戦として敬意を持って迎えたと語る。特別視しない絶妙な空気が流れていたという。自分自身で成功して欲しいとマイク・ピアザ氏は語った。ピーター・オマリ氏野茂英雄のチャレンジに対し、パイオニアになるのは難しいこと。選手獲得は重要であることはチームの関係者が全員理解していたと語る。野茂英雄は自分の功績を誇らず、大リーグでプレーしたいというのは野茂英雄らしくそれが本心だと思うとかたった。野茂英雄は運が本当に良かったとピーター・オマリ氏の出会いを語った。

日本野球機構のコミッショナーを務めた加藤良三氏は、日本球界とアメリカ球界の間でだんだん今のシステムが育まれたということ。関係をどういう風にするかという知恵をステップ・バイ・ステップで出していく過程だと思っているとコメント。

ドジャースタジアムに訪れるファンは野茂英雄が来たことを、最近の様にファンが語る。バブル崩壊で自身を失った日本への光明だった。野茂英雄の大リーグ渡米は最も大リーグが危機に瀕していたときだった。前の年、球団と選手側が対立。ストライキが行われ、ワールドシリーズも中止になった。ファンの多くが見離そうとしていた。そんな中、最低保障年俸で勝負を挑んできた。当時野茂英雄は最強と言われたロッキーズ打線相手に快投を見せていた。球場完成以来初のノーヒットノーランを達成した。当時の大リーグ選手会事務局局長のドナルド・フェア氏は大リーグを救ったのは野茂英雄だと語る。ストライキの傷が癒えたのは野茂英雄のおかげだと語る。野茂英雄の大リーグ挑戦後にはポスティングシステムが確立。日本以外のアジア出身の大リーガーも増えた。現在は25カ国350人が活躍。バド・セリグ氏は現在は30年間で最も良い状態と語る。

野茂英雄は1999年に大きな転機が訪れた。緊急手術で本来の投球ができなくなっていた。自分自身もどうすれば良いのかわからなくなったと語る。感覚が違い、ボールが違うところに行くようになっていたと語る。日本はそのころ金融破綻の後遺症に苦しんでいた。失業率は5%に。明日への不安を抱えていた。野茂は地位を失いかけていた。メッツに移籍をしていたが、3月26日に解雇。4月1日にカブスにマイナー契約をするが、23日にカブスから解雇。その後ブリュワーズに移籍をするがマイナー契約だった。大川達也は当時、苦しんでいる様子を間近で見ていた。投手は肩周りの筋肉を鍛えるのはリスクがあったが、野茂英雄は復帰のためにそのリスクにかけていた。野茂英雄は復活を賭け、マウンドに登板。ブリュワーズの当時の監督は鮮明に覚えているとヒットを打たれた場面で、降板を伝えようとすると、野茂はボールを渡さなかった。その後ピッチングを続けるように指示したとフィル・ガーナーは語る。野茂英雄はこの年に史上3番目の速さで1000奪三振を達成。12勝を挙げ復活を果たした。野茂英雄は自分はチームのために何か出来るんじゃないかな、投げていないときも何かできるのではと野球をもっと見るように、自分のチームの選手もよく見るようになったと語る。

アメリカ野球殿堂博物館から、野茂英雄の記念ボールが保管された。2001年に達成した2回目のノーヒットノーランのボールを紹介。両リーグノーヒットノーランを達成したのは4人目という。2001年4月4日レッドソックスに移籍した野茂英雄はこの日ストレートで打者に挑んでいた。最後のバッターはデライノ・デシールズ氏は元チームメイト。1度目のノーヒットノーランの時には2塁手として立ち会っていた。デライノ・デシールズ氏は同じ映画を2回見たようだったと語る。野茂英雄は唯一無二の存在だと語る。ジェイソン・バリテック氏はその後5人も日本人の球を受けた。優れた野球選手は日本もアメリカも関係ないことを学んだと語った。その後日本人が来た時に広い視野でお互いを理解したという。

野茂英雄は2005年7月デビルレイズを解雇され、その後はマイナー契約で再起のチャンスを待ち続ける。2007年松坂大輔が60億円という入札額で話題になる中、野茂英雄はベネズエラで投げ続けていた。

ドジャースのキャンプ地を取材。ピーター・オマリ氏がグラウンドに招き入れた。野茂英雄は日本に戻らなかったという。野茂英雄は引退はしたくなく、マウンドが好きだったと語る。

キーワード
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