NHKスペシャル “樹木希林”を生きる

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年10月20日(土) 16:00~17:13
放送局 NHK総合

番組概要

NHKスペシャル (その他)
16:00~

オープニング映像。

“樹木希林”を生きる (バラエティ/情報)
16:00~

取材を始めたのは去年6月29日。これまで希林さん長期に渡る密着取材の依頼を断ってきたが、今回、撮ってもいいと初めて許してくれた。カメラの前で希林さんは普段目にすることない素顔を見せてくれた。密着中には思いがけない告白もあった。

7月5日、希林さんはディレクターの木寺一孝の自宅の前まで迎えに来てくれた。仕事場までの往復は自分で運転し、ディレクターの送り迎えも引き受けてくれた。ディレクターが希林さんと出会ったのは3年前の「いとの森の家」に出演してもらったのがきっかけだった。はじめての演出に戸惑うディレクターに自分の思い通りにやればいいと声をかけてもらい、希林さんの魅力に惹きつけられたという。東京に転勤したあと希林さんをもっと知りたいと密着取材を申し出た。希林さんはこの1年に4本の映画に出演することを決めていて、現場に密着したら番組になるかもねと取材に誘ってくれた。最初の作品は実在の画家の物語「モリのいる場所」だった。この頃、希林さんの体調はなんの問題もないようにみえた。帰りの車の中で希林さんは「役の努力っていうより生きていく努力はあるかもしれない」などと話した。

2017年7月16日、希林さんは差し入れですと言いスイカを持ってきてくれた。希林さんが演じるのは偏屈な夫に文句をいいながらも寄り添い続ける妻。希林さん自身も破天荒なミュージシャンの内田裕也さんと30歳で結婚した。夫婦喧嘩がたえずすぐに別居。しかし離婚はせず40年以上不思議な関係を続けていた。もし内田裕也さんと結婚してなければ、重しを失い別の人生を歩んでいたかもしれないという。ディレクターの家庭も最近うまくいってないという話になり希林さんは「きっと感謝するときがきますよ両方で、そう思ったほうが面白いでしょ」などと話した。連日30度を超える暑さの中で撮影が続いた。全身がんであることを公表したのは5年前のこと、その後、放射線治療が効果をあげ仕事を続けてきた。1年前には治療に一区切りをつけたと宣言していた。

2017年7月28日、この日、希林さんは控室のベッドで横になっていた。撮影が5時間も遅れ出番は深夜にずれ込んでしまった。出番が来た希林さんベッドから起き「固まっちゃって動かないよ。背中と腰が腰痛とで全部出てね」などと弱音を吐いていたが現場では何事もなかったかのように撮影に臨んでいた。こうして一月に及ぶ撮影を乗り切った。

映画の撮影が終わった翌日の7月29日、行き着く暇もなく次の映画に取り掛かった。どうやって気持ちを切り替えるのかを聞くと希林さんは「昨日の台本は全部処分しました。人間に対しても名残惜しいなんて持てないから、物ぶは特にないですよね」などと話した。次の映画はパルム・ドールを受賞した「万引き家族」の撮影だった。万引き家族は犯罪で繋がった疑似家族の絆を描いた作品。希林さんが是枝監督の作品に出演するのはこれで6本目だった。打ち合わせの時に希林さんは「こういう人が家にずるずる入ってきちゃって、まぁいいかにならないんじゃないかな」などと疑問を投げかけた。希林さん演じる老婆の家には行き場のない人たちが集まって暮らしている。なぜ他人を老婆は受け入れたのかリアリティーを感じられないでいた。希林さんは「成立してないところがずいぶんあるから理解しにくい」などと話した。どうすればリアルな世界を描けるのか繰り返し議論を重ねた。その後、老婆には夫から捨てられた過去があったという設定が加えられた。

2017年8月7日。女優にとってはヌードになるより恥ずかしいのよと入れ歯を外して撮影に臨んだ樹木さん。とことんまで自分をさらけ出しながら役に向き合っていた。

2017年11月20日、3本目の映画「日日是好日」の撮影が始まった。今回演じるのは凛とした佇まいの茶道の師匠だった。このころ希林さんは新たな映画への出演依頼を全部断っていた。ディレクターが真意を聞くと希林さんは「そこまで行けるかどうかも思いつかない体調なのよ。筋力が落ちちゃって」などと話した。その一方で女優以外の仕事は引き受けていた。

2017年11月21日、撮影現場で希林さんは「気が張ってるからやれてるんだね、このまま辞めていいですよって言ったらシャッキリするかというとそうじゃないからね」などと話した。ディレクターはなぜ希林さんは現場に立ち続けるのか、なぜ取材を続けさせてくれるのはどうしてなのか、心の内を知りたいと思った。

2017年12月20日、希林さんは日に日に体調の悪さが目立つようになり、半年になろうとする密着取材にも苛立ちをつのらせていった。帰りの車の中で希林さんは「ただ漠然とついてきてなにか出てくるならいいけど、私からは何も出ませんよっていうのが本当のところ。なんか悪いから何かしゃべんなきゃなと思ってしゃべってる感じがするじゃない。それが負担というか悪いなと思って。なにかいい方法ないかね」などと話した。3本目の映画は年末に撮影を終えた。

2018年1月6日、万引き家族の撮影が再開された。希林さんは「何が面白くて撮ってるの?私が4本映画やるからくっついてきたらどうって言ったのが良くなかったんだけど、映画をどう向き合ってるかという話しするわけではないし、何に興味があって何に興味がないか教えてもらいたい」などと話した。ディレクターは希林さんに対して自分をさらけ出すことしかできなかった

1月15日「万引き家族」の撮影最終日を迎えた。この日は希林さんの75歳の誕生日。その日に演じるのは突然死を迎え床の下に埋められる場面だった。撮影が終了した後、ディレクターは楽屋に呼ばれ話したいことがあるからカメラを回すようにいわれた。希林さんは「体は大変だったけど幸せな日々だったんでしょうね、おわり。とりあえず終わり」などと話した。

2ヶ月後の3月22日、連絡の途絶えていた希林さんから久しぶりの電話があった、取材に同席してほしいという。ディレクターはなぜこの場に呼ばれたか検討もつかないまま時間は過ぎていった。新聞社のカメラマンが去ると希林さんは平成16年にがんになったときの資料を見せてくれた。3月5日に検査にいったらがんが全身に転移していることが分かった。医師にどれくらいいけますか?と聞くと、今年いっぱいでしょうと言われた。希林さんは「1年密着できたけど、これがあればすこし肝ができたか。これに対して木寺さんはどう思うか聞いてみたい」などと話した。初めて突きつけられた余命宣告、それを番組の材料につかいなさいと言い放つ姿を前にディレクターはカメラを回すしかなかった。

この日は以前からプロデューサーとして関わってきた映画「エリカ38」の現場に来ていた。希林さんは初めて資金集めからキャスティングまでを担っていた。主演に据えたのは浅田美代子だった。10代の頃から母親代わりとして公私にわたり面倒を見てきた。そんな浅田に俳優としての代表作を作ってあげたいと考えてきた。この日は浅田美代子の誕生日で希林さんが中心となって祝っていた。それからしばらくの間、希林さんからの連絡は途絶えていた。

6月15日、在宅治療を受けることになったから取材に来てほしいと初めて自宅に呼ばれた。希林さんはしばらく会わない内に杖がないと歩けない状態になっていた。希林さんは最後まで家族に迷惑をかけることなく自分の力で生きようとしていた。どんなことを思いながら日々を過ごしている?という質問に希林さんは「いつも死を考えている、だけど日常の日々の生活に追われる。この肉体も借り物だから、いい形で終了するといいなとは思っている」などと話した。

6月28日、ディレクターは希林さんの元を訪ね、これまでに撮影した映像の一部を見てもらった。希林さんの一言一言がいかにユーモアにあふれ的確か、そしてどれだけ人を魅了するのか伝えたいと思ったという。映像をみて希林さんはディレクターと一緒になって番組に向きあい1つ1つ確認するように1年の自分を見続けていた。希林さんは「人間としてこういう終わり方しかしなかったんだわねっていうことでいいんじゃないかな」などと話した。

7月、希林さんは4本目の作品に取り掛かった。出演するのはドイツ映画でこの日も、いつものように衣装を自分の手で直していた。これが57年に及ぶ役者人生の最後の撮影になった。残された映像には最後まで樹木希林を生き抜いた姿が刻まれていた。

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