NHKスペシャル 金メダルへの道 逆境を乗り越えて

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年2月26日(月) 19:30~20:43
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
19:30~

奇跡の復活を遂げオリンピック連覇を果たした羽生結弦。演技終了後に口にしたのは「ただいま」だった。ただいまという言葉には、ケガで練習もできないどん底からの復活、その喜びがこめられていた。平昌オリンピックでは過去最多のメダルを獲得した。栄光の影でメダリストたちはそれぞれ、挫折を味わい葛藤を抱えていた。知られざる戦いの舞台裏に迫る。

キーワード
平昌オリンピック

金メダルへの道 逆境を乗り越えて (バラエティ/情報)
19:31~

オリンピック連覇を成し遂げた羽生結弦。平昌での金メダルは前回にも増して特別なものだった。2017年9月羽生結弦はオリンピックで演じる予定だったプログラムを明かしていた。プログラムにはフリーとショート合わせて4種類の4回転ジャンプが含まれていた。しかしオリンピック本番で飛んだのは2種類だった。羽生結弦は「オリンピックは勝ちに行く試合じゃないと勝てないというのはすごく分かっている。勝てるプログラムにしないといけないと思っていた」などと話した。2017年11月、4回転ルッツに挑み転倒、右足首の靭帯損傷という大けがを負った。すべての試合を欠場し3か月間公の場に姿を見せなかった。羽生はカナダ・トロントでリハビリを始めた。ジャンプの感覚を忘れないために自らの映像を繰り返し見ていたという。

1月の第一週、羽生はケガから2ヶ月が経ちようやくリンクに立ったが右足に痛みが残っていてすぐに飛ぶことはできなかった。羽生をそばで見守っていたギスラン・ブリアンコーチは「練習再開から1週間後で3・4回転ジャンプを跳べると思っていたが違った。オリンピックが近づくほど不安が増していった」などと話した。ここで羽生は痛み止めを飲むという決心をした。羽生は「絶対に金メダルをとらなくてはいけないという使命感と意志はすごくあったので諦める選択肢はうかんでもこなかった」などと話した。この時期の羽生を同じリンクの上で見ていたハビエル・フェルナンデスは「痛みはまだあったと思うが羽生はもとの状態に戻ろうとしていた。ケガから回復する途中にいてジャンプがうまく跳べないこともあった」などと話した。ジャンプに変化があったのは1月の下旬だった、回転数を増やしていく過程で2回転半ジャンプを跳んだときだったという。2回転半ジャンプは失敗ばかりだった、体が三回転半の跳び方しか覚えてなかった。三回転半を跳んでみたらといったところ一発で決めたという。この出来事から数日後、羽生は4回転ジャンプを跳び始めた。オリンピックまで2週間を切っていた。

スキーフリースタイル、原大智選手やノルディック複合の渡部暁斗選手などの映像を紹介した。カーリング女子の選手は「メダルもそうなんですが、ここに来るまでの過程が本当に宝物だと思います」などと話した。

2月9日平昌オリンピックが開幕し羽生は、カナダ・トロントから直接現地に入った。インタビューに羽生は「どの選手よりも一番勝ちたいという気持ちが強くある、しっかりと頂点と言うものを追いながら頑張って生きたいと思う」と答えた。12日の練習では基本動作の確認だけを行った。4回転ジャンプを封印しライバルに手の内を明かさないようにしていた。この時、羽生はすでにショートプログラムの構成を変えることを決めていた。4回転ループを4回転サルコーに変えた。サルコーは得点はループよりも低いが滑っている勢いをそのまま活かして跳ぶことができる。羽生は出来栄え点を取る作戦に出た。しかし現地に入ってからの練習ではサルコーを中々成功させることができなかった。16日、前半のショートプログラムが始まった。羽生は最初の4回転サルコーを見事に成功させた。演技後つぶやいたのは「ただいま」という言葉だった。ショートの得点は111.68でトップ。羽生結弦は「自分の中では計画通り、自分の思った通りにできたんじゃないのかなと思っている」などと話した。

トップに立った羽生は翌日のフリーのために新たな戦略を練っていた。オリンピック前に考えていたプログラム、フリーでは4種類5本の4回転が含まれていた。まず羽生はループ、サルコー、トーループの3種類を考えた。2位のフェルナンデスとの差は4点、フリーの4回転ジャンプの本数は3本だった。3位の宇野昌磨との差は7点で3種4本の4回転ジャンプを跳ぶことを明らかにしていた。羽生結弦は「ショートとの合計点では勝てるという自信があったから、そういうことも含めてループはいらないかなと。サルコーで自分のベストの状態で演技をしようと決めた」などと話した。2月17日、金メダルをかけたフリー、最初の4回転をしっかり決めた。しかし4回転からの3連続ジャンプで、ジャンプに失敗し一本だけになり計画が狂った。その直後、とっさの判断で2連続ジャンプを3連続ジャンプに変更した。最後のジャンプはケガの原因となった3回転ルッツ、着地でバランスを崩したが耐えた。羽生結弦は「確実に転倒するおり方、なんか不思議ですあのルッツに関しては。本当に皆さんの応援の力が物理的に働いたのかなと思う」などと話した。演技が終わり羽生は何度も勝ったと叫び続けた。「自分に勝った、とにかく自分の勘定が爆発したような試合だった。たぶん初めてです。こういうの」などと話した。勝利への強い執念と緻密な戦略で勝ち取った金メダルだった。羽生結弦は「“”個めの金メダルというのは一番小さい頃の夢だったので、実現するために苦労がたくさん必要だなって思えた」などと話した。

スピードスケート500mで金メダルを獲得した小平奈緒。4年前ソチで味わった挫折が今回の金メダルに繋がったと明かした。小平奈緒は「ソチは自分自身の実力がないのにあるように見せなきゃいけない五輪の雰囲気に飲み込まれてしまったんじゃないかなと思ってます」などと話した。当時27歳の小平奈緒は数々の日本記録を打ち出し、エースとしてメダルが期待されていた。自信を持って臨んだ500m、結果は5位。勝ったのは韓国のイ・サンファだった。小平はコーチとともに自らの滑りを見つめ直した。明らかになったのは、カーブで骨盤が斜めになり、足で氷を強く押すことができない弱点だった。そこでヒップロックという理論を応用。骨盤周辺の筋肉を片方ずつ意識して鍛えるトレーニングを積み上げていった。その結果W杯で15連勝し平昌オリンピックの金メダル候補に躍り出た。一方韓国のイ・サンファは今シーズン怪我で出遅れていたが、自国開催のオリンピックが近づくにつれ小平とのタイム差を縮め調子を上げていった。しかし小平はライバルについて聞かれても勝負にこだわらないない姿勢を貫いていた。

むかえた平昌オリンピック。得意の500mの前に行われた1000mで小平は銀メダルを獲得。このレースが勝負にこだわらないと口にしてきた小平の心に乱れを生じさせた。小平奈緒は「自分のベストを尽くせればいいと思っていた。結果を見た時にやっぱり頂点に立ちたかった、この欲はなんだろうって思いました」などと話した。結城匡啓は「取りこぼしたような錯覚に陥って500mの自信の回路まで崩したくないと思った」などと話した。小平奈緒は500mをオリンピックレコードでゴールした。ライバルのイ・サンファは銀メダル。全レースが終わり小平は2位だったイ・サンファのもとに向い、ねぎらいの言葉をかけた。小平は「彼女からたくさんのことを学ばせてもらった。どういう結果であれサンファを称えることができたらいいと考えていた」などと話した。イ・サンファは「小平の顔を見た瞬間涙が止まらなかった。お互いを高めあった結果が小平の金メダルにつながった」などと話した。

スノーボードハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢。1年前得意の4回転で転倒し選手生命の危機を感じていた。背中を押したのは五輪連覇のショーン・ホワイトだった。平野歩夢は「ショーンは諦めない人、人間として強い、すごい刺激を感じる」などと話した。平野歩夢は本番、ケガをした4回転に連続で挑み成功させ95.25点を叩き出した。しかし王者のショーンも4回転を成功させ97.75点で金メダルと獲得した。ショーンは「平野歩夢がいたからこそ金メダルを取ることができた」などと話した。

1人では越えられない壁を4人の選手がチームで挑み乗り越えた。スピードスケート女子団体パシュートで日本はオリンピックレコードで金メダル。個人種目のメダリストを揃えたオランダを打ち破った。高木菜那は「みんなが自分たちの役割をちゃんと果たせたからこその優勝だったのかな」などと話した。高木美帆は「金メダルを取れる可能性は十分にある、それだけのことをやって来た自信もあった」などと話した。高木美帆の自信の原点には屈辱的な大敗があった。ソチオリンピックで日本はオランダに12秒もの大差をつけられ惨敗した。

オランダに負け改革に乗り出した日本、オランダで代表コーチを務めたヨハン・デ・ヴィットに1からの立て直しを託した。パシュートに選ばれたのは高木美帆、佐藤綾乃、高木菜那、菊池彩花の4人。1500mの自己タイムベストを比べると高木美帆は1分51秒台、他の3人は54秒以上かかる。オランダの選手は52秒台の選手が3人。個の力で上回るオランダに勝つために日本は日本は独自の武器を作り上げてきた。それが一糸乱れぬ隊列。手のふりや足の動きまでピタリと揃える、選手同士の距離は数十センチ。ぶつかりそうになるギリギリの近さだった。隊列を揃えるのには空気抵抗が深く関係していた。空気抵抗を20%もカットでき体力を温存できる。その結果先頭に出た時最高スピードで滑りきることができるという。これを可能にしたのは年間300日以上を寝食をともにしながら積んできた過酷なトレーニングだった。どんなときでも常に隊列を意識してきた。日本が独自に作り上げてきたもう1つの武器は高速の先頭交代だった。先頭交代を素早く終えることで空気抵抗を受ける時間をオランダより3秒以上短くしていた。オリンピック当日、勝負はあくまでもオランダとの決勝。準決勝は余裕を持って勝てるかが大事だった。2レースで4人全員の力を使い切ることが金メダルへの鍵だった。

決勝にできるだけ余力を残したいヨハン・デ・ヴィットは準決勝は2番手の佐藤綾乃を温存するため菊池彩花を起用、佐藤より0.5周多い1・5周を担う、その分エースの高木美帆のラストを0.5周減らすことにした。菊池彩花は「できるだけ足を使わないで温存して貰いたいという気持ちで自分がみんなの壁となって滑れればいいなっておもった」などと話した。日本は狙い通り余力を残して決勝進出を決めた。決勝は菊池に代わり体力を温存していた佐藤が2番手、準決勝に出場した高木菜那を1.5周から1周に減らしエースの高木美帆のラストを0.5周増やし、スタートを合わせ3.5周を任せることにした。その結果日本はオリンピックレコードで金メダルを獲得した。ヨハン・デ・ヴィットは「努力し続けていれば不可能なことはない。私たちは世界で一番早いことを証明した」などと話した。高木美帆は「個人の力でもいいところまで戦える。もっとこれからが楽しみになってくる」などと話した。

パシュートから3日後、高木菜那はマススタートに出場し、パシュートで磨いた技術で2つ目の金メダルを獲得した。

スキージャンプで銅メダルを獲得した高梨沙羅。重圧に苦しみメダルを逃した4年前、ひとり悩みを抱え続けた。転機となったのは仲間の存在だった。支え合いながら平昌を目指した。高梨沙羅は最高のジャンプをみせ銅メダルを獲得。高梨沙羅は「お疲れ様、すごいねって抱き寄せてもらったときに、すごいほっとした。自分が一人じゃないんだって思った」などと話した。

キーワード
平昌オリンピック
トロント(カナダ)
原大智選手
渡部暁斗
宇野昌磨
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吉田夕梨花
吉田知那美
藤澤五月
本橋麻里
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