NHKスペシャル  東日本大震災「それでも、生きようとした〜原発事故から5年」

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2017年1月9日(月) 22:00~22:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

2014年5月15日放送の「被災地からの声」に出演した福島に帰還を果たした夫婦は1年後、自ら命を絶った。原発事故で東京に避難していた年配の男性は故郷を思いながら震災から5年が経ってから自ら命を絶った。福島県の自殺率に関するSMR値を見ると震災から時間が経って急激に上昇した。24時間の電話相談では福島からの深刻な内容の相談が寄せられる。

キーワード
震災

それでも、生きようとした 原発事故から5年 福島からの報告 (バラエティ/情報)
22:03~

SMR値という自殺率の指標は100を超えればリスクが高いとされる。福島では震災直後、いったん下がったが4年目になって急激に上昇した。都内にある電話相談に寄せられる電話は400件以上になる。その中でも深刻なのが福島からの相談。自殺を防ぐためのNPOは保健所から依頼を受け危険な兆候がある人を訪ねて回っている。73歳の男性は原発事故で畜産の仕事を諦め避難先で一緒に住んでいた妻も亡くし一人になった。このNPO法人「相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会」は震災直後から福島で被災者の心のケアに当ってきた。去年から震災後の新しい環境に適応する人とそれが出来ず精神的に落ち込んでいく人の二極化が進んでいる。今警戒しているのは落ち込んだ人々の生活が荒れていく事。田中茂さん(仮名)が1人で暮らす部屋は年々汚れが目立ってきている。元々家は6代続いてきた米農家だったが原発事故の直後、作付けが禁止された。一緒に暮らしていた両親も亡くした。

2015年、SMRという指標を算出したところ福島県で震災から4年目になって急激に上昇した。自殺は高齢者に多いため高齢化が進む東北や九州などの地域では自殺率が高くなる。SMRでは年齢の偏りを是正する事でより正確な自殺率を示す事が出来る。100を平均とし東京の男性の2012年のSMRは88.6。一方、福島の男女合わせたSMRは震災3年目まで低かったものが4年目に急上昇。震災前の値を超えた。前田正治教授は震災の関連自殺を研究し「あいまいな喪失」を見つけた。

2015年、東京のアパートで5年近く避難生活を送っていた1人の男性が命を絶った。佐藤善也さんは震災直後から詳細な日記を付けていた。そこには佐藤さんの心の変化が記録されていた。南相馬市小高区に3世代で暮らし農業を営んでいた。2011年3月、すぐに避難指示が出された。東京の親戚のアパートに避難をしたとき、親戚から少し長い旅行のようなものと聞かされていた。2012年4月、福島の他の地域では帰還に向け除染が始まり佐藤さんの期待が高まった。2012年8月、小高区は昼間だけ立ち入りが認められるようになった。佐藤さんはすぐにバスを乗り継ぎ向かった。1年半ぶりの自宅は傷みは進んでいたがそのまま残っていた。佐藤さんの帰還への思いは強くなった。しかし小高区では予定されていた除染作業が何度も延期された。期待と落胆が繰り返される様子が日記に記されていた。帰還の時期が示されたがさらに2年半も先の事だった。前田正治教授は「明白な喪失、例えば津波で家が壊れてしまう。それに比べると希望は持てるという良さはあるんですね。あるわけですから家もね。元に戻れるんじゃないかと。しかしそれが逆に言うとあるものですからずっとその希望を持ち続けなきゃならない。いろんな意味でけじめがものすごくつきづらい。ここが非常にあいまいな喪失の問題の大きなところだと思います」と話した。

もうひとつ、前田正治教授が指摘するのが「コミュニティの分断」。原発事故で多くの人が故郷と切り離された。それでも当初は同じ地域の人や家族同士で避難し支え合う関係になった。しかし時間と共に帰還を希望する人や諦める人など境遇に違いが出てきた。避難した佐藤善也さんも3世代が同じアパートに住んでいた。この頃の日記にはバラバラになった友人と連絡を取り合っていたが、徐々に疎遠になりそういう記述は減っていった。同居していた家族も帰還の見通しが立たない事から職を求め別の地域へ移り一緒に暮らしていた孫も和歌山で就職した。

2015年11月、久しぶりに友人の佐々木清明さんと一時帰宅した佐藤さんは車窓から除染廃棄物の山を見た。小高区は市の方針で帰還が進む他の地域の廃棄物の一部を置く場所になっていた。それは佐藤さんの田畑の目の前の場所だった。佐藤さんはその翌朝もただ黙ってその風景を見続けていたという。東京に戻って5日後、佐藤さんは亡くなった。日記の最後には故郷の民謡の一説が書き残されていた。

2014年5月15日放送の「被災地からの声」で福島県川内村に住む家族を取材していた。遠藤さん一家は避難指示が解除されると真っ先に帰還した。地元で農業をしていた遠藤満弘さん・美代子さん夫妻は1年後、自ら命を絶った。2012年4月、川内村の避難指示が解除されると満弘さんの家族はいち早く避難先から帰還した。3ヶ月後には震災前から付き合っていた美代子さんと結婚し村に根を張り自分が農業を復活させると燃えていた。しかし、現実は厳しいものだった。野山の放射線量は下がらず雨が降る度、水が田んぼに流れ込んだ。それでも満弘さんは毎日田んぼに出た。放射性物質を吸着させる作業をただ黙々とこなしていった。この頃、村には県外から次々とボランティアが入っていった。満弘さんはそういった人たちと米作りのプロジェクトを立ち上げた。皆で汚染されていない井戸水を汲みあげ試験的に小規模な稲作を行った。放射性物質は検出されず地区で行われた品評会でも1位になった。

2013年10月、より面積を広げ大規模な稲作を始めると出来が良く放射性物質も検出されなかった。ところが米の値段はかつての3分の1になり赤字になった。知人のつてを頼りに県外で自主販売する道を探るもなかなか買い手が付かなかった。おにぎりを試食してもらうイベントを企画しかつて支援してくれた人や知人に声をかけた。しかしほとんど人は集まらなかった。夫婦がNHKの取材を受けたのはこの頃だった。満弘さんは生活のため地元の集積場でも働いた。そうした中、避難先にいた叔父が自ら命を絶った。それから明るかった満弘さんの笑顔が消えていった。家族の会話は減っていった。

2015年4月に満弘さんが突然家族に旅行を提案した。そこで青森県弘前への1泊2日の旅を行った。そこで久しぶりに家族は笑うことができたと伝えた。ただ旅行の帰り道では家族はあまり話をしなかった。1週間後、満弘さん夫婦は集落が見える山で自殺したと伝えた。

夫婦は前向きになろうとしていたが次第に孤立を深めていったと伝えた。取材で人が孤立感を深めていく背景には、時が経つに連れて被災地への関心が薄れていくということがあるのではないかと伝えた。こうした自殺を食い止めるためにNPO法人「相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会」ではアウトリーチという専門スタッフが被災者の生活に深く関わっていくサービスを行なっている。こうした活動で孤立させないことが取り組みの目的だと伝えた。

NPO法人「相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会」が最も注視しているのが故郷と切り離されて仮設住宅で孤立する人達だと伝えた。中には訪問を拒否する人もいるが、それでも訪問を続けていると伝えた。アウトリーチは手間と時間がかかるが、現場ではギリギリの戦いが行われている。

同慶寺では去年1人の男性の遺骨が納められた。それは5年近く故郷を思って東京で自殺した男性だと伝えた。寺では4人の檀家が震災関連自殺でなくなっている。そこで清掃結いという取り組みが行われている。バラバラになったコミュニティーを作り直す狙いがある。住職も心の悩みに耳を傾ける取り組みを行なっている。

キーワード
南相馬市(福島)
SMR
相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会
震災
台東区(東京)
遠藤満弘さん
弘前(青森)
同慶寺

エンディング (その他)
22:48~

エンディング映像。

NHKスペシャルの次回予告。

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