徹子の部屋 徹子の部屋 追悼・桂歌丸さん

『徹子の部屋』(てつこのへや)は、テレビ朝日系列で月曜 - 金曜の正午から放送されている長寿トーク番組である。前身の日本教育テレビ(NET)時代の1976年2月2日から、2018年現在、放送43年目を数える長寿番組で、黒柳徹子司会の冠番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年7月3日(火) 12:00~12:30
放送局 テレビ朝日

番組概要

オープニング (その他)
12:00~

今日は追悼桂歌丸さん。

緊急追悼・桂歌丸さん (バラエティ/情報)
12:00~

桂歌丸は結婚が早かった。そのため46歳で孫がいた。子供や孫に恵まれた桂歌丸だが、愛犬家でもあった。自宅で、ポメラニアンを多頭飼いしていた。長毛種のため夏に毛を刈っていたという。桂歌丸といえば、薄毛をネタにしていた。早い段階で毛が抜け始めたが、46歳で進行が止まったという。「落語家は噺を覚える以外ない」という桂歌丸は勉強熱心だった。しかしマクラをこしらえるのはやや苦手だった。

桂歌丸は独身時代、身の回りの世話を、隣の家のおばさんにやってもらっていた。そのおばさんの口利きで、妻の富士子さん(女優の山本富士子をおなじ名前)を紹介してもらった。おばさんと富士子さんは遠い親戚にあたり、富士子さんの実家は歌丸の実家の目の前にあった。所帯を持ってからも、歌丸夫妻は引き続きおなじ家に住み続けている。その家はたいした建物ではなかったが、経済力をつけた歌丸によって立派に建て直された。

キーワード
ポメラニアン
薄毛
山本富士子

緊急追悼・桂歌丸さん (バラエティ/情報)
12:09~

歌丸は祖母に育てられた。その祖母は遊郭を経営していた。祖母は、真金町(歌丸の育った色街)の三代ババアと呼ばれるほどのやり手だった。孫に対しては、厳しい反面、優しかった。真金町は戦後も赤線地帯として生き残った。多くの芸能人も訪れたという。郭噺をやるとき、歌丸はかならず実家のことをマクラにした。しかし戦前の郭噺、たとえば吉原の花魁の噺をするとき、師匠からの教えを忠実に守り、伝聞のかたちを取った。

桂歌丸といえば、病気のデパート。66歳当時、ひどい坐骨神経痛に悩まされていた。「笑点」の収録では座布団に座るのだが、積み重ねた座布団に座るのが辛いという。また、座った状態から立ち上がるのも辛いという。「笑点」では、隣に座る三遊亭楽太郎が補助をしてくれることがあり、助かるという。若い頃から神経痛を患っていた歌丸。加齢とともに目眩は無くなってきたが耳鳴りはしている。左の耳は難聴でつねにセミが鳴いているような状態という。

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真金町(神奈川)
桂米丸
古今亭今輔
三遊亭楽太郎
山田隆夫
笑点
林家こん平
坐骨神経痛

緊急追悼・桂歌丸さん (バラエティ/情報)
12:17~

小学校4年とき、ラジオから流れる落語をきいて、桂歌丸は落語家を志した。小学校を卒業したタイミングで入門する予定だったが、育ての親だった祖母に懇願されて中学までは卒業した。そんな桂歌丸は「落語を残すのも落語家の責任」「落語の好きな人を残すのも落語家の責任」という考えをもっている。

桂歌丸の楽しみのひとつが、曾孫の成長を見守ること。桂歌丸は「責任がないのでラク」などと話した。

ひ孫・しずくちゃんからの手紙を黒柳徹子が読み上げた。「いっしょに行ったディズニーランドが楽しかった」など、内容は他愛のないものだったが、桂歌丸はうっすら涙を浮かべた。黒柳徹子ももらい泣きした。桂歌丸によると「ひ孫に金をつかうのはばあば」「でも金を稼ぐのはじいじ」「だから高座に上がらなきゃなんない」ということだった。

キーワード
落語

緊急追悼・桂歌丸さん (バラエティ/情報)
12:25~

桂歌丸には落語への飽くなき探究心があった。たとえば、小道具をつかってどうやってキャラを演じわけるか、などを探究していた。桂歌丸によると「歌舞伎の世界から学ぶことが多かった」という。

80歳のとき、桂歌丸は笑点を勇退した。腸閉塞を患った桂歌丸はこのとき体重36キロ。体脂肪はマイナスだった。「胃下垂のせいで腸閉塞になるから太ってくれ」と医者から頼まれたが、歌丸は「それは無理」と返したという。ちなみに歌丸の生涯最高体重は50キロだった。

次回は追悼特集

キーワード
歌舞伎
笑点
胃下垂
腸閉塞

スポット

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