『世界の村で発見!こんなところに日本人』(せかいのむらではっけん!こんなところににほんじん)は、朝日放送テレビの制作により、テレビ朝日系列にて2013年4月5日から放送されているバラエティ番組である。なお、レギュラー化前に2008年より不定期特番として7回放送している。
放送日 | 2019年2月12日(火) 19:00~21:48 |
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放送局 | テレビ朝日 |
今夜はハプニング発生!緊急事態勃発!波乱の3時間SP。イスラエルにあの男が。番組初の緊急事態勃発!危険地帯で一体何が?ミャンマーの山岳地帯で鈴木砂羽がハプニング続出!!アラスカ極寒の地、宮川一朗太が限界ギリギリの日本人探し。ゲストは森口瑤子。
イスラエルの位置を地球儀で確認。今回探す日本人はゴネンという村で暮らしている。日本からイスタンブールを経由しベングリオン国際空港に千原ジュニアが到着。一人での日本人探しは初めて。まず空港の外へ。空港のあるロッドは宮崎市とほぼ同じ緯度。イスラエルは1948年にユダヤ人によって建国された。この地に住んでいたパレスチナ人はヨルダン川西岸地区などに移り住むことを余儀なくされた。それ以来争いが絶えない。外務省の海外安全情報ではレベル1以上。ガザ地区などはレベル3。シリアはレベル4。千原ジュニアは電車でエルサレムへ移動、気さくに笑いかけてくるエルサレムの人たちをかなり気にいった様子だった。
エルサレムは歴史的建造物が建ち並ぶ旧市街、近代的な建物がある新市街がある。イスラエルは女性の徴兵制度がある国。町ではユダヤ教の超正統派の姿も。ユダヤ人の聖地である嘆きの壁を見学。エルサレム旧市街にはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地がある。午後3時、日本人が住むゴネン村を聞き込み。いきなり冷たい態度を連発される。そこにはイスラエルが抱える複雑な問題が!
千原ジュニアがイスラエルで日本人探し。エルサレムで日本人が住むエゾルツァフォーンのゴネン村を聞き込み。ユダヤ人はヘブライ語、アラブ人はアラビア語を使う。エゾルツァフォーンはヘブライ語、ユダヤ人に不満を持つアラブ人はヘブライ語を嫌がるため冷たい態度をとられた。エゾルツァフォーンは北部地区、ゴネン村を知っている人がいないためエゾルツァフォーンの大きな町ナザレに向かうことにした。ここで1日目終了。
2日目。ホテルの良さに上機嫌だったが番組初の緊急事態が勃発する。午前8時、タクシーでバスターミナルへ向かおうとするが運転手の助言で安全に乗れるバス停へ移動する。エルサレムからテルアビブを経由しナザレへ。お腹の調子がよくない千原ジュニアはテルアビブでトイレへ。このあとさらにお腹は悪化。ナザレに到着しトイレを急いで探す。
♪ベンのテーマ/マイケル・ジャクソン
千原ジュニアがイスラエルで日本人探し。イエス・キリストが生活していたといわれるナザレに到着。間一髪でトイレに駆け込み日本人が暮らすゴネン村を聞き込み。バス会社でキリヤットシュモナ行きのバスに乗り途中で乗り換えると教わった。バス停に行くと渋滞で遅れたバスに乗ることができた。ゴメジャンクションで乗り換え、トイレを借りてゴネン村へ向かう。次のバスまで時間があり、バス停にいた青年がヒッチハイクをしているのを見たジュニアは…。
♪ベンのテーマ/マイケル・ジャクソン
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千原ジュニアがイスラエルで日本人探し。人生初のヒッチハイクが2分で成功、日本人女性が住むゴネン村に到着した。
千原ジュニアがユダヤ教超正統派の普段着を着て登場。千原家の便問題は急に来る、会った日本人がそこに住む理由にびっくりするなどと話した。
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千原ジュニアがイスラエルで日本人探し。イスタンブール、エルサレムなどを経由し日本人女性が住むゴネン村に到着。人口約380、ほとんどがユダヤ系イスラエル人。日本人情報を聞き込み。日本出発から49時間半、役場で日本人女性と対面した。
千原ジュニアがイスラエルで日本人探し。日本出発から49時間半、ゴネン村に住む石井直美と対面した。石井さんは村の役場に務め経理を担当している。仕事後に自宅へ。村から支給された家をリフォーム、間取りは3LDK。石井さんは集産主義的共同体キブツのメンバーになっている。生まれは相模原市。外資系企業の経理などを経験し28歳の時に転職を期に空いた4か月で、外国人ボランティア制度を利用しイスラエルに渡った。そして1人部屋を理由にゴネン村でボランティアを行った。
当初は不安があったがのどかなゴネン村をすぐに気にいった石井さんは、転職までの3か月の予定だったが、村で過ごすうちに日本へ帰るのが嫌になったという。そして村の人達も彼女を受け入れ37歳のときにイスラエルの永住権を取得した。イスラエルに来て今年で20年、一番たいへんだったのは2006年レバノン侵攻。当時は普通に仕事をしていた、ロケット砲が飛んでこない自信があったという。
翌日、石井さんはレバノン侵攻で使用したというシェルターを案内。さらに村の外れにあるイスラエルとシリアの国境を紹介した。石井さんは誰がどう思ってもずっとこのぬるま湯に浸かっていたいと語った。若さと勢いで飛び込んだイスラエル、怖い思いをしたこともあったが今は支えてくれる村の仲間とゴネン村で生きていく。ゴネン村からの帰り道、千原ジュニアは野外で用を足し死海に入った。
VTRを振り返り、なんとなく行った旅行で気がついたら20年、簿記が出来たから役場で経理ができたなどと話した。
ミャンマーとアラスカで日本人探し。日本人がいるのはミャンマー・カレーミョ、アラスカはマーフィードーム。
日本からクアラルンプールを経由しヤンゴン国際空港に鈴木砂羽が到着。2回目の日本人探しで初めてのミャンマー。鈴木砂羽は牡蠣にあたり体調が悪いなかの日本人探しとなる。タクシーで町の中心へ。ミャンマーは国民の9割が仏教徒。街の人は善行に熱心。日本人が住むカレーミョを聞き込み場所を確認した。
ミャンマー山岳地帯地獄のバス移動。
鈴木砂羽がミャンマーで日本人探し。ヤンゴンから日本人が住むカレーミョへバスで向かう。アウンミンガラーバスターミナルで聞き込み。経由地のマンダレーまで飛行機で向かうことに。お腹の調子も良くなりバーベキューの店で夕食を食べて1日目終了。
日本からシアトルを経由しテッドスティーブンスアンカレッジ国際空港に宮川一朗太が到着。競馬好きで日本人探し2回目。-12℃の中、タクシーでアンカレッジの中心地へ。日本人が住むマーフィードームを聞き込み。フェアバンクスの郊外にある、オーロラがキレイな所と聞き列車で向かうことに。しかし列車は週に1便、次の出発はいつ?
宮川一朗太がアラスカで日本人探し。日本人が住むマーフィードームまでの経由地フェアバンクスまで列車で向かう。出発は翌日のため宮川一朗太はサーモングリルなどを食べ1日目終了。
2日目。アラスカ鉄道でフェアバンクスへ移動する。
鈴木砂羽がミャンマーで日本人探し。2日目。ヤンゴンから飛行機でマンダレーへ。日本人が住むカレーミョはチン族が暮らす山岳民族の町。そこへバスで移動する。乗車時間は15時間。おんぼろバスで出発。6時間後に休憩、ドライブインで角煮などを食べた。そして出発から15時間でカレーミョに到着した。
宮川一朗太がアラスカで日本人探し。日本人が住むマーフィードームに向けフェアバンクスまで列車移動。アンカレッジから12時間でフェアバンクスに到着。フェアバンクスは1年で240日以上の確率でオーロラが見られる町。日本人探し3日目。地図でみると雪の宿の表面のようなマーフィードームの場所が判明、カフェで四駆の車を呼んでもらった。マーフィードームとはどんな所?
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極寒アラスカ暑いミャンマー2つの国で日本人探し!
宮川一朗太がアラスカで日本人探し。フェアバンクスから日本人が住むマーフィードームに向け四駆をチャーター。日本出発から61時間でマーフィードームに到着。
民族衣装を着た宮川一朗太、鈴木砂羽が登場。日本で牡蠣にあたった鈴木砂羽はミャンマーでだんだん元気になった、宮川一朗太はアラスカで肺が凍ったとコメント。須賀健太は宮川一朗太の旅番組力が勉強になったと語った。
鈴木砂羽がミャンマーで日本人探し。マレーシア、ヤンゴンなどを経由し日本人がいるカレーミョに到着。キリスト教徒が多く教会が点在する町で聞き込み。荷台付きバイクで市場へ。日本人は学校の先生をしていると聞き地図を描いてもらい学校へ向かう。そして日本出発から69時間、カレーミョで暮らす中原一就と対面した。中原さんは日本語学校で日本語を教えている。
中原さんは上智大学を卒業後、独立を目指し農業を学ぶ。知り合った医師と農業をするためミャンマーへ渡り、ヤンゴンに日本語学校を設立、日本語と社会システムを学んでもらおうと考えた。そして27歳の時にチン族からの依頼を受けカレーミョに日本語学校を設立した。この学校から日本へ留学し国に貢献できる人材を育成したいという中原さん、ミャンマーで仕事と社会貢献の両立に気づいた。また日本語学校以外にもミャンマー産農作物の受け皿として和菓子屋「青座」をオープンさせた。中原さんの将来の夢は、八角でインフルエンザの特効薬を作ること。
VTRを振り返り、ものすごく素直な方、自分がやりたいことで沢山の人が幸せになるのはすごいなどと話した。つづいて宮川一朗太は出会った日本人が住むのは氷点下の森などと話した。
宮川一朗太がアラスカで日本人探し。シアトルなどを経由し日本人が住むマーフィードームに到着。聞き込みをしようとするも人がいなかった。
宮川一朗太がアラスカで日本人探し。日本人が住むマーフィードームに到着。車で住宅を訪問し日本人女性を探す。住んでいる場所を地図に描いてもらい日本人女性の家を訪問。日本出発から64時間半、日本人女性を発見!
宮川一朗太がアラスカで日本人探し。日本出発から64時間半、マーフィードームに住むあゆみ・バッケンと対面した。あゆみさんはアラスカの男性と結婚しここで暮らしている。北海道・網走市生まれのあゆみさんは森の家に住み始めて5年目。家は町から車で30分離れた森の中で孤独感に苦労したという。家ではソーラーパネルで電気をためて使い暖房は薪ストーブ。燃料は家の周りの木を使う。水はタンクに貯めて使う。町で購入するためなるべく節約する。トイレも最初は外にしかなかった。
厳しい自然の中で暮らすあゆみさんは20歳の時にオーロラを見るためアラスカにやってきた。星のひとみに出てくるオーロラが全ての始まりだった。東北大学大学院でフリッカリングオーロラを研究、2010年に最速に点滅するオーロラを観測した。オーロラ研究のためアラスカを訪れ、トゥーリックにアラスカ大学と共同研究するため1ヶ月半滞在、そこでご主人と出会った。2人はお互いの国を行き来し親しくなった。あゆみさんは研究者の道を諦めたが、オーロラを撮影し追いかけている。2人は2014年に結婚、あゆみさんはアラスカにやってきた。翌年に娘が誕生。そしてご主人が帰宅する。
所有者不明!!解決!空き家バスターズの番組宣伝。
宮川一朗太がアラスカで日本人探し。マーフィードームで暮らすあゆみさんの夫が帰宅。夫シェルビーさんはフェアバンクスの職員で施設管理の仕事をしている。あゆみさんは静かな森の暮らしがお気に入り。2人が宮川一朗太を案内、うっすら見えたオーロラを眺めた。あゆみさんにとってマーフィードームはオーロラを追い求めたどり着いた静かに幸せに家族と暮らしていく場所。
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