Time Trip 長崎の教会群 2018年7月5日放送回

放送日 2018年7月5日(木) 1:00~ 2:00
放送局 フジテレビ

番組概要

オープニング (その他)
01:01~

本ドキュメント番組は「先進映像協会ルミエール・ジャパン・アワード 2017」においてUHD部門グランプリ作品に輝いた。2018年に世界文化遺産登録となった貿易都市・長崎。長崎はキリスト教の繁栄と弾圧、そして復活の舞台となった場所であり、信仰の証として数々の教会が建設されている。250年に及ぶ禁教の時代を耐え忍んだキリシタンの人々がどのように信仰を守り継承してきたのか長崎の地を巡りキリシタンの記憶をたどる。

オープニング映像。

キーワード
先進映像協会ルミエール・ジャパン・アワード
世界文化遺産
キリスト教
キリシタン

Time Trip 長崎の教会群 (バラエティ/情報)
01:04~

長崎には大浦天主堂をはじめ数多くの美しい教会が点在している。そんな長崎の地を長崎出身の永尾亜子がめぐる。長崎に教会が造られた背景には「潜伏キリシタン」が深く関係している。「繁栄と弾圧」、1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に来着したことでキリスト教が日本に伝え広まった。1571年に長崎に開港すると南海貿易の中心地となりキリシタンの街として発展した。1580年には有馬と安土にセミナリヨが造られ語学・音楽・芸術の勉強が執り行われた。しかし1587年に豊臣秀吉がキリスト教の宣教を制限するバテレン追放令を発し、キリスト教は繁栄から弾圧へと舵が切られた。1597年2月5日、長崎の西坂の丘で26人のキリシタンが殉教し、この26人は1852年にローマ教皇ビオ9世により聖人として認められ記念碑と記念館が西坂の丘に立てられた。「日本二十六聖人記念館」の館長であるレンゾさんは天下統一を目指す豊臣にとって神様が絶対的存在なキリスト教は都合が悪い存在であったなどと解説した。「繁栄」と「弾圧」時代の波に翻弄された日本のキリシタンは迫害を受けながらも信仰を守るために死を受け入れた。

江戸時代になると江戸幕府は禁教令を発し、宣教師たちを国外に追放した。国内に残されたキリシタンは「潜伏キリシタン」として密かに信仰を守り伝えてきた。「潜伏キリシタン」たちは実際には仏像を装って聖母マリア像を作り出し信仰の対象にキリスト教の信仰を継続していた。

キーワード
長崎県
大浦天主堂
潜伏キリシタン
フランシスコ・ザビエル
キリスト教
豊臣秀吉
バテレン追放令
日本二十六聖人記念館
ローマ教皇ビオ9世

Time Trip 長崎の教会群 (バラエティ/情報)
01:13~

「潜伏と継承」。広島列島・奈留島に暮らす「潜伏キリシタン」の孫である柿森和年さんは「潜伏キリシタン」とは江戸幕府が禁教令を発し殉教が会ったことで地下に潜り信仰を守り続けた人々でああるなどと解説した。潜伏キリシタンは信仰内容の特徴から「生月・平戸」と「外海・五島」の2系統に分かれているとされており、「生月・平戸」では聖人を描いた掛軸を納戸のなかに飾り「納戸神」として信仰の対象にし、「外海・五島」では祈りの言葉「オラショ」を声に出して唱え信仰していた。「外海・五島」では日本人伝道師バスチャンの影響を強く受けている。バスチャンは殉教前に「七代後に神父が来てキリスト教の信仰を自由にできる」と予言しており、「外海・五島」はバスチャンが伝えた「キリシタン暦」を信仰の中心としてきた。「キリシタン暦」をもとに祝日を決める最高責任者は「帳方」と呼ばれる。厳しい弾圧の末に信徒たちは「潜伏キリシタン」となり、彼らは仏教徒を装いながら250年間、密かに信仰を守り続けてきた。

「枯松神社」は外海の潜伏キリシタンが密かに集まる場所であり、明治時代に外国人宣教師サン・ジワンを祀るために神社が造られた。神殿の近くにある大きな岩は「祈りの岩」と呼ばれ、潜伏キリシタンたちは年に1度だけ「悲しみ節」の夜に集まり「オラショ」を唱えていた。絹のオラショの元所持者である宮崎夫妻は両親から「大切なもの」とだけ伝えられ託されたものなどと語った。江戸時代後期、外海の潜伏キリシタンは新天地を求め五島へ移住した。農民不足を補うために五島藩に受け入れられた潜伏キリシタンたちは、山間の痩せた大地や漁業に不便な海辺を切り拓きながら人目を忍んでキリシタンの信仰生活を送ってきた。

キーワード
長崎県
広島県
奈留島
潜伏キリシタン
禁教令
キリスト教
バスチャン
キリシタン暦
オラショ
枯松神社
サン・ジワン

Time Trip 長崎の教会群 (バラエティ/情報)
01:24~

奈留島・矢神地区にある「矢神神社」は潜伏キリシタンの痕跡が遺っている。矢神は1800年前後に外海地方から移住してきた潜伏キリシタンが開拓した集落であり、集落全体がキリシタンで、小高い丘には墓地が点在している。奈留島には潮が引いたときだけ入ることができる海辺の洞窟があり、かつてオラショが伝承されていた。海辺の洞窟では禁教期に声に出してはいけなかったオラショを次の世代に伝えるために特別にこの場所で一つ一つ、長老が声に出して後継者へ伝え繋げてきた。父が隠れキリシタンの帳方であった道脇さんは父は誰も居ないところで声に出してオラショを唱えていたなどと語った。潜伏キリシタンが信仰を守り続けた結果、今でも多くの遺産が受け継がれている。

キーワード
奈留島
潜伏キリシタン
矢神神社
キリスト教
オラショ
隠れキリシタン

Time Trip 長崎の教会群 (バラエティ/情報)
01:32~

「復活と教会」。1858年、開国を機に居留する外国人のための教会建設が国内で始まり、1865年に大浦天主堂が建設された。「フランス寺」と呼ばれた大浦天主堂には多くの見物客が訪れ、その一方で見物客に紛れて潜伏キリシタンが訪れプチジャン神父にキリスト教の信仰を持っていることを告白していた。1865年3月17日に信徒発見となり、プチジャン神父は人々を聖母マリア像の前へ案内した。この出来事が欧米諸国の注目を集め、明治6年にキリシタン禁制の高札が撤去された。信仰の自由が認められると長崎各地にパリ外国宣教会からきた宣教師の指導のもと、日本人大工の手により教会建設が始められた。「出津教会堂」は明治15年にフランス人宣教師のマルコ・マリー・ド・ロ神父によって造られた。元々は1階建てであった「出津教会堂」は2回の増改築により現在の形となった。「出津教会堂」の主任司祭を務めていたマルコ・マリー・ド・ロ神父はフランスで身につけた様々な技術をこの地域の人々に教え、人々に親しまれてきた。明治26年に建設された「大野教会堂」は病人や高齢者のためにマルコ・マリー・ド・ロ神父が私財を投じて建設したもので、砕いた玄武岩を漆喰で固めた壁は「ド・ロ壁」とも呼ばれている。明治14年に建設され、昭和5年頃に移築した「旧五輪教会堂」は長崎県に現存する最も古い木造建築の教会で、限られた資金の中で少しでも美しく見せるための工夫が随所に凝られている。

五島および長崎周辺の教会建築に大きな影響を与えた日本人の「鉄川与助」は明治12年に大工の棟梁である父の長男として生まれた。鉄川与助は教会建設を手伝ったことをキッカケに西洋建築に興味を持ち、ペルー神父やマルコ・マリー・ド・ロ神父から建築の手ほどきを受けた。鉄川与助は棟梁として明治40年に初めて「冷水教会」を建設すると、明治41年にはレンガ造の「旧野首教会」を信仰のために生活を切り詰めて協力した信徒たちと共に力を合わせ祈りの家を造った。「旧野首教会」は高度経済成長期を機に信徒が居なくなり教会としての役目を終えたが、苦難の歴史を乗り越えた信仰の証として現在も佇んでいる。鉄川与助が3つ目に手がけた「青砂ヶ浦天主堂」は明治43年に建設され、大規模な教会建設を実現した重層屋根構造の天井となっている。「江上天主堂」は本格的な教会を望んだ信徒たちが鉄川に依頼して大正7年に建築された。鉄川の代表作とも言える「田平天主堂」は大正7年に「リブ・ヴォールド天井」を施され建築され、関東大震災によりレンガ建築の脆弱性が危惧されるようになり、鉄川にとって最後のレンガ造の教会であり、祭壇の上部には西坂の丘で殉教した26人の聖人が描かれている。かつてマルコ・マリー・ド・ロ神父は救済事業として田平の土地を購入し、出津や黒崎の信徒たちを移住させ、鉄川は敬愛するマルコ・マリー・ド・ロ神父が寄与した土地に教会を建てることに運命を感じていた。「頭ヶ島天主堂」は大正8年に建設され、鉄川にとって唯一の石造の教会で建築費用を抑えるため地元で採れる砂岩が利用され、信徒たちも建設に携わり約10年の歳月を経て完成した。生涯で28棟の教会を手がけた鉄川は仏教徒でありながらキリシタンたちに慕われていた。信仰の自由を得た喜びは「祈りの家」という目標へ信徒たちを向かわせ、こうして造られた教会は苦難の歴史を乗り越えた信仰の証となった。

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潜伏キリシタン
キリスト教
大浦天主堂
プチジャン神父
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パリ外国宣教会
出津教会堂
マルコ・マリー・ド・ロ神父
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旧五輪教会堂
鉄川与助
ペルー神父
旧野首教会
高度経済成長期
青砂ヶ浦天主堂
江上天主堂
田平天主堂
関東大震災
リブ・ヴォールド天井

Time Trip 長崎の教会群 (バラエティ/情報)
01:48~

「未来と平和」。柿森和年は潜伏キリシタンを研究する理由に教会建設の裏にある歴史そのものが普遍的な価値があり、その背景を精査する必要を感じたことがキッカケだったなどと語った。長崎の教会群の背景に隠された歴史、柿森さんはこれらの価値を多くの人に伝えるため2001年に「長崎の教会群を世界遺産にする会」を設立して事務局長を務めてきた。現在、後継者不足などの問題により禁教期から守り伝わる歴史を語り継ぐことが難しくなっており、帳方の御子息である橋口さんは先祖を尊敬しているがオラショを覚えておらず教わる存在も居なかったために自然と廃ったことが残念であるなどと語った。柿森は隠れキリシタンの里を世界遺産にするだけではなく若い人たちに歴史を伝えていきたいなどと思いを告げた。信仰の証は世界遺産として人類共通の宝物になろうとしており人々が互いの異文化を理解し合う平和の懸け橋となる。

キーワード
キリスト教
潜伏キリシタン
長崎県
オラショ
隠れキリシタン

エンディング (その他)
01:55~

エンディング映像。

番組宣伝 (その他)
01:59~

「絶対零度 未然犯罪潜入捜査」の番組宣伝。

「くらべるマネー」の番組宣伝。

  1. 7月5日 放送