フルタチさん 日本全国の名家でお宝発掘!教科書には載っていない歴史大調査SP

『フルタチさん』(英語表記:FURUTACHI-SUN)は、フジテレビ系列で2016年11月6日から2017年9月17日まで毎週日曜日 19:00 - 20:54(JST)に放送されたバラエティ番組。全32回。司会を務めた古舘伊知郎の冠番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2017年9月3日(日) 19:00~20:54
放送局 フジテレビ

番組概要

日本の名家 教科書に載っていない日本の歴史大調査 (バラエティ/情報)
19:01~

今回は、日本の名家を調べたら分かった教科書に載っていない日本の歴史を紹介する。

歴史研究家の河合敦さんがまず向かったのは、秋田県の名家、池田家の土地。最大で東京ドーム315個分の土地を所有し、大曲駅まで他人の土地を踏まずに行くことができたという。先祖は江戸時代に大阪の武士として活躍し、秋田に移ってからは田畑を集め、明治・大正時代は豪農としてさらに土地を集めた名家。戦後の農地開放を経て、土地は東京ドーム1個分となり、16代当主・泰久さんは「約1000坪の小さい家」に住んでいるという。

歴史研究家の河合敦さんが秋田県の名家、池田家の土地を訪問。かつて約6000俵入る米蔵として使われた建物が資料館となっていて、中には弁当箱が展示されていた。明治時代に学校給食で使用されたもので、実は池田家が無料で学校給食を提供していたという。学校給食法が成立する47年も前の出来事。河合先生によると、全国の名家が学校給食を支えていた。

歴史研究家の河合敦さんが秋田県の名家、池田家の土地を訪問。大正時代に造られた秋田県で一番古い鉄筋コンクリートの洋館も建っていたが、ここは図書館として地元の学生に開放していたという。池田家はこのように教育熱心で、さらに体育の授業に“柔道の父”嘉納治五郎や“柔道の神様”三船久蔵も呼んだりしていたという。河合先生は三船久蔵を錦織圭、嘉納治五郎を松岡修造に例えた。

歴史研究家の河合敦さんが秋田県の名家、池田家の土地を訪問。火事で消失してしまった池田家の母屋跡などを見学しながら、泰久さんは最盛期には料理人が3人、地下貯蔵庫は床がガラス張りだったなどと説明した。続いて3つある家のうちの一つに入ると、大正13年の秋田県所得番付表があり、2位に倍以上の差をつけて1位が池田家と書かれていた。河合先生は、こうした所得番付表は普通の売り物だった、江戸時代くらいから相撲の番付に見立てたいろんなランキングが作られた、茶屋娘番付などは勝手に作られた、ドラマチックな仇討ち番付には曽我兄弟の仇討ちが高く評価されていると解説した。

歴史研究家の河合敦さんが秋田県の名家、池田家の土地を訪問。3000坪以上ある庭は、全国の公園を手がけた“近代公園の祖”長岡安平が造ったもので、滑り台や回転ブランコも造られて開放されていたという。河合先生は、あずまやは長岡さんが初めて造った、日本初の公演デザイナーといえると解説した。池田家の庭には約1億円する巨大灯籠や、2億5000万円する巨大雪見灯籠もあった。

歴史研究家の河合敦さんが秋田県の名家、池田家の土地を訪問。代々伝わる家宝があるということで、池田家の自宅へ向かった。

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日本の名家 教科書に載っていない日本の歴史大調査 (バラエティ/情報)
19:18~

歴史研究家の河合敦さんが秋田県の名家、池田家を訪問。「約1000坪の小さい自宅」には一番の家宝だというラッコの毛皮があった。河合先生によると、江戸時代にはアイヌの人たちが年貢代わりにクマやラッコの毛皮を収めるなど高級品だったが、その後捕獲が禁止され今では手に入ることができないものになったという。

秋田の名家から見えた日本の歴史について、明治時代に農家の子どもが学校に行く動機づけとして給食があった、アフリカでも給食によって就学率が上がっている、錦織選手と松岡さんはいい関係ですよなどと話し合った。

河合敦先生がスタジオでも江戸時代の番付表を紹介。「お得でおいしいおかず番付」には八杯豆腐や昆布油揚げなどが上位。「女房の善悪番付」には万事主の指図どおりになる女房、嫉妬深い女房などが上位だった。古舘は、今どきならYouTubeにすぐのせる女房もいると話した。

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日本の名家 教科書に載っていない日本の歴史大調査 (バラエティ/情報)
19:25~

歴史研究家の河合敦さんが次に向かったのは、東京都の名家、西川家の土地。ちなみに河合先生は「豪商列伝」の執筆時に西川家を調べたという。15代当主の八一行さんは西川産業(東京西川)の代表取締役社長で、東京西川はマットレス「AiR」が大ヒット、トップアスリートの睡眠もサポート。年間売上は約500億円という。西川家は昔から先を読む商売センスが優れ、もともと近江商人の行商だったが徳川家康の天下統一後に「江戸が商売の中心になる」といち早く判断し大成功を収めた。

そんな西川家の歴史が分かるものがあるのは本家にあるということで、河合先生は近江八幡市にある江戸時代の自宅兼店舗を訪れた。まず見せてもらった「近江蚊帳」は江戸時代のヒット商品で、2代目当主・甚五郎が緑(萌黄色)に赤い縁をつけたことなどがヒットの要因となった。当時はさらに江戸で販売される京都産の弓を独占し、その功績が認められ幕府からは「御用札」を受け取った。

河合先生が名家、西川家の江戸時代の自宅兼店舗を訪問。河合先生によると、江戸時代に認められ「御用札」を受け取ると関所をすごいスピードで通れるといったVIP待遇を受けることができたという。

河合先生が名家、西川家の江戸時代の自宅兼店舗を訪問。明治時代に使われた証明が残っていたが、床まで伸びることで床に座って本を読めるように工夫されたもの。さらに今でいうナースコールのような、従業員を呼ぶことができるボタンも各部屋にあった。

さらに西川家が見せてくれたのは江戸時代の帳簿。中には「毎年2期の勘定のたびに純利益の一部を店員に与える」と書かれていて、従業員の士気を高めるのが目的。今でいうボーナス制度があった。さらに従業員がボーナスをすぐに使い切らないよう社内預金制度の帳簿も残されていた。

名家から見えた日本の歴史について、利益が上がっても従業員に還元するという今から見るとうらやましいようなもの、トリクルダウンで経済が回るようになっている、福利厚生の羽根布団などと話し合った。河合先生は、江戸時代の名家は名字帯刀(名字を名乗ったり、太刀を帯びること)が許された、幕府や大名からの金銭の見返りだったと解説。

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日本の名家 教科書に載っていない日本の歴史大調査 (バラエティ/情報)
19:41~

歴史研究家の河合敦さんが次に向かったのは、栃木県の名家、岡田家の土地。初代が江戸時代に農家として約3万6000坪を開拓し、功績が幕府から認められ「嘉右衛門新田村」という名前をもらったといい、現在も嘉右衛門町として名が残っている。昔の屋敷には13の村を統括する代官職を代行していたため「代官屋敷」の看板が掲げられ、中には3つの蔵が残っている。鎧や刀、ペリー来航時の食事用として米俵1000俵を献納し徳川家からお礼に贈られたろうそく立ても展示されていた。

河合先生が栃木県の名家、岡田家の敷地を訪問。岡田家は黒船来航時にお米を献納したというが当時のアメリカの主食はパン。しかし河合先生は、ペリー一行を接待した絵を見ると確かに幕府が用意した日本料理を堪能している、こういうところに岡田家のごはんが使われているかもしれない、幕府は力士を用意しペリー側に米俵をプレゼントもしていたと解説した。

河合先生が栃木県の名家、岡田家の敷地を訪問。これまで岡田家以外の人を入れたことがなかったという蔵の2階も見せてもらったが、そこに保管されていたのは代々の当主がつづった146年分の日記。1868年に徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いに敗れ大阪城を去ることや、1863年の江戸城の火事といった世の中の事件や、1868年に人形芝居を楽しみにしているといった日常も書かれている。そしてあの大奥についての記録も…。

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日本の名家 教科書に載っていない日本の歴史大調査 (バラエティ/情報)
19:51~

河合先生が栃木県の名家、岡田家の敷地を訪問。蔵の2階に保管されていた代々の当主がつづった146年分の日記には、岡田家から2人の娘が大奥に入ったという記録も残っていて、「雑務係は10年勤める」「給料はなくお小遣いが年1回」などといった決まりごとも記されていた。

河合先生が栃木県の名家、岡田家の敷地を訪問。代々の当主がつづった日記に残された大奥の決まりごとの中には「一芸申立候(何か一芸ができないとだめ)」と書かれていた。河合先生は、奥女中や側室とかに芸を見せて楽しませたりしないといけなかったなどと解説した。また岡田家はの娘たちは10代で大奥に入ったといい、河合先生によるとそれはステータスだったという。

名家で発見した大奥の記録について、いわゆるハーレム的な面とは違う側面もあった、将軍は自由に女性を選べるわけではなかったなどと話し合った。金田一秀穂は、言語学では「女房言葉」が研究されている、宮中で使われた言葉はふだんと違った、語尾に「もじ」がついたりする言葉で上品に聞こえたりすると解説した。河合先生は、徳川吉宗は享保の改革で女中を50人リストラしたが、そのときあえて美人を選んだと解説した。

次は小田原文化研究家の深野彰さんが、小田原市の名家、外郎家を取材。600年以上お菓子のういろうを作り続けるういろう本店は小田原城と並ぶ珍しい建物で、八棟造り。室町時代に幕府に仕え、外交を担当していた2代目がもてなし菓子としてういろうを作ったという。店の奥には蔵があり、中には代々伝わる道具が並んでいた。深野さんは歌舞伎の「外郎売」を演じる2代目市川團十郎が描かれた絵を披露し、背中に背負っている看板と同じものがあると解説した。「外郎売」は享保3年から現在まで演じられる大ヒット演目。

小田原文化研究家の深野さんが小田原市の名家、外郎家を取材。外郎家が作った「家伝薬」で2代目市川團十郎ののどの病が治り、そのお礼に創作されたのが歌舞伎の「外郎売」だった。実は外郎家ではお菓子のういろうより先の薬のういろうを作っていた。現在も「外郎売」を演じるときには市川家は代々外郎売を訪ねに来る習わしになっているという。そんな「外郎売」は滑舌がよくなったことをアピールするため早口言葉が多く含まれ、フジテレビのアナウンス研修の教材になっている。

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日本の名家 教科書に載っていない日本の歴史大調査 (バラエティ/情報)
20:08~

外郎家に関連して、歌舞伎の「外郎売」がフジテレビのアナウンス研修の教材にもなっているということで、永島優美アナや榎並大二郎アナが朗読に挑戦した。

歌舞伎の「外郎売」について古舘は僕は丸暗記させられたなどと話した。歌舞伎との関係について三田寛子は、例えば主人(中村芝翫)が成田屋さんの十八番の演目(勧進帳など)をやるときには成田屋さん(市川海老蔵)に挨拶に上がると話した。またスタジオで薬のういろう(透頂香)を紹介。大量生産はできず購入制限があり、小田原の本店のみの販売。

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日本の名家 教科書に載っていない日本の歴史大調査 (バラエティ/情報)
20:14~

次は歴史研究家の山村竜也さんが、源頼朝から島をもらったという千葉県の名家、平野家を取材。その島とは仁右衛門島、平野家が代々仁右衛門の名を継ぎ約800年にわたり島を守っている。ちなみに頼朝は平治の乱で父(義朝)を平清盛に殺され、頼朝は20年間罪人として自由のない生活を送った苦労人で、妻(北条政子)は頼朝の浮気に怒って相手の家を破壊したという。そんな仁右衛門島は現在は観光地としてにぎわい、平野家が代々住居を構える。

歴史研究家の山村さんが千葉県の名家、平野家を取材。平野さんの話から山村さんが考察するには、1180年の石橋山の戦いで敗れた頼朝は現在の真鶴に敗走、そこにいた漁師に安房(千葉南部)まで運ぶよう頼み、そこで平野家の先祖と遭遇、仁右衛門さんはこの島の洞窟で頼朝とその家来を一晩かくまったという。こうして生きながらえた頼朝はのちに平氏を打ち破り、数年後、仁右衛門さんに島を褒美として与え、仁右衛門島と名付けたという。

歴史研究家の山村さんが千葉県の名家、平野家を取材。山村さんによると、源頼朝は「天下を取ったら褒美に“安房一国”をやる」と言ったが、農民たちは“粟1石”と勘違いし「粟なんかいらないから名字が欲しい」と懇願、頼朝は「欲がないな、“そうか”馬鹿だな」と話し、“そうか”という名字と勘違いした農民がいたという。

千葉の名家から見えた日本の歴史について、源頼朝もいろいろな面を持っている、「お前はイタチ以下」「顔がふわふわしてる」など人の悪口も言ったりした、平野家は県や国からの援助がないため無収入の危機もある、オリジナルTシャツも販売しているがデザイン料が高くもうけはいまいちと話し合った。

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日本の名家 教科書に載っていない日本の歴史大調査 (バラエティ/情報)
20:26~

次は歴史研究家の本郷和人さんと食文化史研究家の永山久夫さんが、八丁味噌を作り続ける愛知県の名家、早川家を取材。1645年に味噌蔵を創業し、明治・大正期には宮内庁御用達として販路を拡大した。味噌は独特の伝統製法で造られていて、桶の上に積む石は江戸時代から代々使い続けている。そして敷地内には創業からの歴史が刻まれた石碑が建てられている。

歴史研究家の本郷和人さんと食文化史研究家の永山久夫さんが愛知県の名家、早川家を取材。創業からの歴史が刻まれた石碑によると、桶狭間の戦いで織田信長に敗れた今川義元の家臣の初代久右衛門が、お寺に逃げ込み炊事担当の“味噌すり坊主”に変装、そのまま“味噌すり坊主”として生きていくことになり、久右衛門が作る味噌が評判となり、江戸時代に子孫が創業したという。本郷さんは、尼崎の広徳寺には本能寺で討たれた豊臣秀吉も“味噌すり坊主”に化けて難を逃れたという記録が残っていると解説した。

歴史研究家の本郷和人さんと食文化史研究家の永山久夫さんが愛知県の名家、早川家を取材。永山さんは、味噌は戦国武将たちのたんぱく源になっていた、家康なら三河味噌など名を残した武将たちは味噌でも名を残していると解説した。

歴史研究家の本郷和人さんと食文化史研究家の永山久夫さんが愛知県の名家、早川家を取材。登録文化財になっているお店の蔵には1834年からの味噌の注文書が残っており、江戸のお客さんが問屋を通さずに味噌を取り寄せている、いってみれば通販のような売り方をしていたことが分かった。本郷さんは、江戸時代に味噌が売れた背景には世の中が豊かになり1日2食が3食になったことがあると解説。

歴史研究家の本郷和人さんと食文化史研究家の永山久夫さんが愛知県の名家、早川家を取材。永山さんは徳川家康も好物だった当時の昼食として、八丁味噌をベースにしょうがなどが入った焼き味噌をごはんに載せお湯を入れた「焼き味噌湯漬け」を披露した。

歴史研究家の本郷和人さんと食文化史研究家の永山久夫さんが愛知県の名家、早川家を取材。蔵には江戸時代の安政江戸大地震などを伝える今の新聞の原型、かわら版があった。本郷さんは、当時の江戸のかわら版を手に入れるには飛脚に頼むため相当高くなる、しかし地震後に味噌を江戸に運べば高く売れる、それだけ情報を持っていたい、それが商売の秘訣だったのではと解説した。

愛知の名家から見えた日本の歴史について河合先生は、味噌は戦国武将との関係が強い、伊達政宗は仙台に味噌工場といってもいい大きな蔵(御塩噌蔵)を建てたと解説した。また早川家の帳簿には金田一家(金田一秀穂の父・春彦のころ)への配送記録が残っていたと明かされた。

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武田信玄
上杉謙信
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安政江戸大地震
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金田一春彦

日本の名家 教科書に載っていない日本の歴史大調査 (バラエティ/情報)
20:40~

次は忍者研究家の川上仁一さんが、甲賀忍術を340年守り続ける滋賀県の名家、渡辺家を取材。渡辺家は忍者の里・甲賀にいた忍者のうち、徳川家康の孫・光友に仕えた甲賀五人衆のうちの1人。部外者立入禁止の蔵の中には秘伝の古文書があり、中には「眠り薬」「毒薬」の作り方を記した忍法帖もある。

忍者研究家の川上仁一さんが滋賀県の名家、渡辺家を取材。秘伝の古文書の中には護身法も書かれていたが、「早朝の小便で泡が立たなかったら用心すべし」「分かれ道でイタチが右へ行ったらついて行くべからず」などとジンクス重視のことが書かれていた。川上さんによると忍者だけでなく戦国大名もジンクス重視だったという。

「ドラマ 猫忍」の映像とDVD-BOX告知テロップ。

忍者研究家の川上仁一さんが滋賀県の名家、渡辺家を取材。秘伝の古文書の中には貴重な大名と忍者の契約書「盟文之事」もあったが、よく読んでみると忍者は城に常駐しているわけでなく、お呼びがかかるまでは自宅待機の“非常勤”だった。ふだんは農家として暮らし、大名に呼び出されて1日かけて名古屋城まで通っていたという。契約書には急病のときの代理人まで記されていた。

忍者研究家の川上仁一さんが滋賀県の名家、渡辺家を取材。川上さんはさらに、忍者の黒装束は誇張されたもの、実際の仕事着は農作業着、女忍者は基本的に存在しない、くノ一は間者に使う(女スパイの)ことと解説した。

忍者研究家の川上仁一さんが滋賀県の名家、渡辺家を取材。川上さんはさらに、手裏剣は使ってなかったでしょう、確実性がないと忍者は使わない、「くない」という道具は使っていたがもともと地面に穴を掘るための道具だと解説した。

滋賀の名家から見えた日本の歴史について、想像していた忍者のイメージが崩れた、これだけ見ると渡辺家はちょっとでかめの農家、忍者は忍術というよりも“スパイ”、技や術はほとんどがフィクション、今回の企画を通して歴史のタラレバを考えてしまったと話し合った。

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エンディング (その他)
20:51~

「フルタチさん」の次回予告。

「FNS27時間テレビ」の番組宣伝。

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