ザ・ノンフィクション 「わ・す・れ・な・い」〜明日の君に逢いたい 2013夏〜

『ザ・ノンフィクション』は、1995年10月15日からフジテレビで放送されている日本のドキュメンタリー番組。字幕放送で、一部放送回ではステレオ放送あり。BSフジでも2011年4月7日から2014年9月まで放送された。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年9月1日(日) 14:00~14:55
放送局 フジテレビ

番組概要

オープニング (その他)
14:00~

オープニング映像。

今回の放送内容を紹介。震災で被害を受けた宮城県石巻市は街は日常を取り戻しつつあるが、人の心はどうか?東日本大震災と福島第一原発の事故で家族や故郷を失った子ども達3人の今に密着する。

キーワード
東日本大震災
石巻市(宮城)

わ・す・れ・な・い 〜明日の君に逢いたい 2013夏〜 (バラエティ/情報)
14:05~

2013年4月、東京都墨田区で被災地の子供たちが撮影した写真が展示されていた。その中には現在中学2年生の只野哲也くんの写真もあった。被災した自分の小学校で撮影した写真だった。哲也くんが通っていた石巻市立大川小学校では74人もの児童が犠牲になったが、哲也くんは奇跡的に助かった。

私達が哲也くんに出会ったのは震災から2ヶ月後の2011年5月。哲也くんはまだ小学生で、亡くなった家族達の為にケーキを捧げていた。家族と沢山の友達を一度に亡くした哲也くんは、同級生との写真をいつも持ち歩いており、死んだとは未だに思えないと話していた。2011年10月には大川小学校で慰霊碑の除幕式が行なわれたが、その式の最中に天井が落ちてきて、哲也くんは亡くなった同級生が自分たちも来ている事を知らせたのではないかと話した。式典の後には、街を見下ろす山の頂に行き、雲の写真を撮影していた。哲也くんはこの頃からよくカメラを手にする様になっていた。

2012年夏、哲也くんを再び訪ねてみると、新居にも引っ越して中学生になっていた。写真は続けていて、雲だけでなく通っていた大川小学校など、いろんな物を撮る様になっていた。2012年7月31日に行なわれた「石巻 川開き祭り」では、灯篭流しに行って家族の灯籠を探した。

家族全員を津波で亡くした辺見佳祐くん。震災の日、佳祐くんは石巻市立湊小学校の3階に避難して助かったが、いつまでも迎えが来る事はなかった。佳祐くんは毎晩教室で泣いていたという。伯母の日野玲子さんは一人ぼっちになってしまった佳祐くんと共に暮らし始めたが、佳祐くんはしばしば玲子さんにあたる様になった。学校でも佳祐くんは感情を高ぶらせよく泣くようになり、玲子さんに「おばちゃん僕のこと好き?」と聞いたりする様になったという。

震災からまる一年が経った2012年3月11日、佳祐くんは追悼の為に家族の数だけ桜を植え、2ヶ月後に花が咲いていた。

佳祐くんの様子がおかしくなった。寝起きが悪くなって学校に行かないとだだをこね、玲子さんには更に激しくあたる様になった。一体佳祐くんはどうしてしまったのか?

キーワード
東日本大震災
石巻市(宮城)
石巻 川開き祭り
弘さん
しろえさん
未捺ちゃん

わ・す・れ・な・い 〜明日の君に逢いたい 2013夏〜 (バラエティ/情報)
14:23~

2013年の元旦、佳祐くんは初めてスキーに挑戦した。新年の抱負については、玲子さんと仲良く暮らしたいと話していた。

2012年夏、佳祐くんと玲子さんは伊豆に出掛けて羽を伸ばした。秋には運動会に参加する佳祐くんと、それを応援する玲子さんの姿があった。

震災から一年が経った頃、石巻で暮らす佳祐くんの様子がおかしくなった。寝起きが悪くなって学校に行かないとだだをこね、玲子さんには更に激しくあたる様になった。

佳祐くんの9歳の誕生日の2012年10月21日には、佳祐くんはずっと欲しかったゲームソフトがプレゼントしてもらい、焼き肉にも行った。冬頃には佳祐くんの玲子さんへの対応が変わり始めた。佳祐くんは震災からしばらく経って初めて「ママに会いたい」と言葉を漏らしていた。

福島第一原発から約16kmの所にある南相馬市立小高小学校に通っていた島絵理奈さん。CMの後、原発事故で運命が変わってしまった少女の決断とは。

キーワード
石巻市(宮城)
東日本大震災
伊東市(静岡)
南相馬市立小高小学校
南相馬市(福島)
原発事故

わ・す・れ・な・い 〜明日の君に逢いたい 2013夏〜 (バラエティ/情報)
14:31~

福島第一原発から約16kmの所にある南相馬市立小高小学校に通っていた島絵理奈さん。CMの後、原発事故で運命が変わってしまった少女の決断とは。

2012年の夏、絵理奈さんは震災後初めて家族総出で自宅の様子を見に行った。通っていた南相馬市立小高小学校の校庭は雑草が伸び放題になっており、絵理奈さんは思わず立ち尽くしていた。この場所で一緒に卒業するはずだった友達は皆散り散りになっており、この日は久しぶりに再開する事が出来た。その後、絵理奈さんは福島第一原発から約16kmの自宅を訪れ、荒れ放題の家の中から持って帰る品を探した。机には、お母さんからもらったという「いとしのエリー」が鳴るオルゴールがあった。自宅から避難先へ帰る途中、絵理奈さんは「帰りたいけれど、もう帰れないと思った」と寂しげに話していた。

震災以降避難生活を送っている島絵理奈さん。自宅がある南相馬市小高区は原発事故後は警戒区域となった為、絵理奈さんは避難先を求めて転々とし、8回も引っ越しを繰り返して埼玉県久喜市に落ち着いていた。これまでは福島県の高校に進学すると思っていた絵理奈さんだが、避難先の埼玉での進学も考えていた。

2012年秋、石巻市で暮らす哲也くんは13歳になった。2013年元旦、哲也くんは震災前に自宅のあった場所を訪れ、こんな時も写真を撮る事を忘れなかった。

2012年夏、哲也くんを再び訪ねてみると、新居にも引っ越して中学生になっていた。写真は続けていて、雲だけでなく通っていた大川小学校など、いろんな物を撮る様になっていた。2012年7月31日に行なわれた「石巻 川開き祭り」では、灯篭流しに行って家族の灯籠を探した。

2013年3月11日、哲也くんは大川小学校三回忌法要に参加した。そして、哲也くんは亡き家族への思いをしっかりと語り始めた。

キーワード
東日本大震災
南相馬市(福島)
福島第一原発
南相馬市立小高小学校
原発事故
二本松市(福島)
小高区(福島)
警戒区域
久喜市(埼玉)
いとしのエリー
石巻市(宮城)

わ・す・れ・な・い 〜明日の君に逢いたい 2013夏〜 (バラエティ/情報)
14:43~

震災から2年が経った2013年3月11日。この日は、石巻市に暮らす哲也くんの母・しろえさんの誕生日でもあった。哲也くんはしろえさんの誕生日を祝い、亡くした家族への思いについて「家族がいなくなって初めて大切さに気づいた。あの思いはもう他の人にはしてもらいたくない」と語った。

2013年4月、哲也くんが撮影してきた写真が墨田区で展示された。哲也くんは、最初の頃は雲や景色ばかり撮影していた事について「雲や自然はその瞬間瞬間で変わるし、もう同じものは撮れないから」と話した。

2013年夏、相馬市から埼玉県久喜市に避難している絵理奈さんは受験勉強に打ち込んでいた。絵理奈さんは埼玉県の高校に進学する事を決断しており、「放射能とか分からない事がまだいっぱいあるから、分からないでいるよりは分かってから帰った方が良い」と話した。

一方、玲子さんと暮らす佳祐くんは、宮城県石巻市で行われた灯篭流しに参加していた。

哲也くんはまた一回り大きくなっていた。哲也くんが石巻市の大川小学校を訪ねると、新しい慰霊碑を作る準備が始まっており、学校を巡る状況も日々変化していた。哲也くんは今しか撮れない物を撮っておく為に、この日もカメラを持参していた。大川小学校の校舎を壊すかどうか、色んな声があがっているが、哲也くんは「壊すんだったら、津波の怖さがわかる様に、日本中の1人でも多くの人に見てもらってから壊してほしい」と話した。

テーマ曲:たむらぱん「サンサーラ」

キーワード
東日本大震災
石巻市(宮城)
しろえさん
弘さん
未捺ちゃん
墨田区(東京)
相馬市(福島)
久喜市(埼玉)
放射能
たむらぱん
サンサーラ
  1. 前回の放送
  2. 9月1日 放送
  3. 次回の放送