FNSドキュメンタリー大賞 つなぎ手〜週3日の平和資料館〜

『FNSドキュメンタリー大賞』(エフエヌエス・ドキュメンタリーたいしょう)は、FNN/FNS加盟28局が番組制作の質向上を目指すことを目的に1992年から毎年行っているドキュメンタリー番組のコンテストである。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年8月27日(木) 2:50~ 3:45
放送局 フジテレビ

番組概要

つなぎ手〜週3日の平和資料館〜 (バラエティ/情報)
02:51~

静岡市役所ではボランティアの浅見幸也さんらが倉庫に保管されていた戦時中の資料を発掘していた。軍人手帳や歌曲「隣組」のレコードなど当時の資料が保管されている。静岡平和資料センターは8月、戦後70年展を計画しておりボランティアの大半は80歳代が大半だという。事務局長の土居和江さんらは陸軍や海軍のパラシュートなどを取り出していた。

大空襲の歴史を紹介。1944年、米軍はサイパン・テニアン・グアムを占領し、1945年の東京大空襲では約10万人の死者が出た。警視庁のカメラマン・石川光陽が撮影した写真が紹介された。3ヶ月後の静岡も空襲を受けたが、惨状を撮影することは禁止され写真は残っていない。静岡空襲を経験した小長谷澄子さんは教師をしていた当時を振り返り、死体を見て歩くうちに感情を失うほどになったと話した。小長谷さんは絵で戦争の惨事を表現し語り続けてきた。

体験画を残そうという小長谷さんの呼びかけに市民が賛同し、二年で約100枚の体験画が集まった。1999年には県下の空襲展が開かれ、小長谷さんは今も子どもたちに戦争の惨状を語り続けている。静岡平和資料センター・浅見幸也運営委員長も、当時の焼夷弾を子どもたちに見せるなど惨状を伝えている。 1996年には静岡市がセンターの家賃補助を開始したが、ボランティアでは週3日開館するのが精一杯の状況だという。それでも手作りの企画展を年4回は行っている。

キーワード
隣組
石川光陽
東京大空襲

つなぎ手〜週3日の平和資料館〜 (バラエティ/情報)
03:03~

2008年、静岡市平和資料センターは繁華街に移転。2013年3月には学生ボランティアの牧野友美さんらがやって来た。資料は5200点以上にのぼり、その資料整理を手伝った。牧野さんは友人と行ったサイパン旅行の際にオレアイ海岸などで太平洋戦争の爪あとを見つけ、戦争について学ぶことを決意したという。

1944年6月15日、米軍がサイパンに侵攻しバンザイクリフからは追い詰められた人たちが崖から見を投じた。牧野さんは清水空襲とサイパン玉砕が同じ7 月7日であることにつながりを感じているという。静岡市平和資料センターには、静岡市民が書いたサイパン日記など当時を知れる資料が多く保管されていおり牧野さんは2013年12月に清水空襲展を企画した。

2014年1月、戦後70年展会議が行われた。土居和江さんは若い世代に戦争の惨状を伝えるために現在世界で起こっている紛争についても触れることにした。静岡空襲を体験した矢部正昭さんは体験画が出発点であると話し、空襲から逃げた当時の様子を振り返った。母が背負っていた妹に焼夷弾が直撃したという。静岡平和資料センター・浅見運営委員長は体験画は静岡市が遺した財産だと話した。

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サイパン島(アメリカ合衆国)
オレアイ海岸
バンザイクリフ
静岡大空襲

つなぎ手〜週3日の平和資料館〜 (バラエティ/情報)
03:17~

静岡の街が焼けた6月20日。平和資料センターを毎年慰霊の集いを開いている。70万人の政令市だが、参加者は20人。このままでは空襲の記憶が消える。新たに親子で学べる戦跡めぐりを企画した。元教師の尾白み江さんは、「広島の原爆投下のときに黙祷しましょうというのはあるが、静岡の空襲のときに黙祷しましょうというのは全然ないですよね」と語った。

親子戦跡めぐりが20148月に行われた。紙芝居「炎の中を逃げて」(体験者:矢部正昭)が紹介された。赤十字病院前に奇跡のクスノキというものがある。これは静岡空襲の際に焼けたが残ったという逸話がある木だ。浅見幸也さんは樹木医にクスノキの診断を頼んだ。樹木医は「根がゆったり伸びられる状態じゃない。詰まっていますね」と語った。枯れてしまえば60年前を想像することが難しくなる。安倍川も遺体があふれたところだ。「にほんもやりかえしてアメリカをぜつめつさせればいい」という感想を書く子どももいた。語り継ぐ難しさがある。

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静岡市(静岡)
静岡大空襲
安倍川
静岡赤十字病院
太平洋戦争
奇跡のクスノキ
炎の中を逃げて

つなぎ手〜週3日の平和資料館〜 (バラエティ/情報)
03:26~

東京都江東区の東京大空襲・戦災資料センターは、市民の募金で建てられた民設民営の資料館だ。灯火管制の様子が分かる展示がされている。東京大空襲・戦災資料センターの山本唯人研究員は「空襲は日本は、被害者でもあるが同時にアジアに対して日本が空襲をしていた部分もあるので。空襲は被害と加害両方を見ないといけない。結局都議会で博物館に対する予算を凍結するという」と語った。1999年、東京都平和祈念館(仮称)は建設計画凍結。学生ボランティアの牧野友美さんは「触ったり出来る展示が静岡平和資料センターより多いので、それは大事。新しい装置があって、若い人向けにフォーカスしすぎると戦争体験者が取り残されるんじゃないかという不安がある。私の中の葛藤は戦争体験者がなんで工夫しなきゃいけないんだろうというもの」と語った。

サイパンのマナムコ高齢者センターで牧野友美さんはお年寄りに話を聞いた。サイパン戦を経験したアレクサンドラ・ブラスさんは、「姉を探しにジャングルに行って、日本の爆弾がいっぱい落ちてきました」と語った。もう、みんな死んでいた。人間も牛も豚もみんな死んでいた。」と語った。デラクレス・ピットさんは日本兵から歌を教わったという。デラクレス・ピットさんは「その兵隊さんはものすごいいです。お父さんみたい」と日本語で語った。デラクレス・ピットさんは、太平洋行進曲を歌った。

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江東区(東京)
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灯火管制
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太平洋行進曲
サイパン戦

つなぎ手〜週3日の平和資料館〜 (バラエティ/情報)
03:35~

テニアンはサイパンの南にある。テニアンから原爆を搭載したB29が飛び立った。ここには日本海軍司令部跡などがある。ドン・ファレルさんは「原爆ピット(搭載場所)は、地面に埋まっている必要があった。当時は原爆ではなくブロックバスター爆弾を製造していると聞かされていたそうです」と語った。1944 年7月、サイパン占領後、米軍はテニアンにも上陸。激しい戦闘を繰り広げた。テニアンの南部にもスーサイドクリフ(バンザイ岬)と呼ばれる場所がある。牧野友美さんは「当時、私が男性だったら滑走路を走ってる側だったかもしれない」と語った。

静岡市平和資料センターの土居和江事務局長は「彼女が悩む、私もどうやって非体験世代が伝えていけるのかを悩む。それは避けられない。それはでも必要。彼女もそれで成長していると思う」と語った。週3日の平和資料館。つなぎ手たちは何かできることはあると教えてくれる。

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