ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 2018年7月12日放送回

放送日 2018年7月12日(木) 19:00~20:54
放送局 よみうりテレビ

番組概要

オープニング (その他)
19:00~

笑点メンバーとともに、桂歌丸師匠の81年の生涯を振り返る。歌丸師匠が旅立ってから10日が経過したが、林家木久扇は「亡くなられてびっくりして3日間は無言だった。いないというのが変な感じ」などと話した。三遊亭好楽も、「同じ気持ち。亡くなった雰囲気がない」などと述べた。

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桂歌丸師匠
笑点

ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 (バラエティ/情報)
19:01~

歌丸師匠が世を去る12日前、生前最後の姿が映像に収められていた。見舞いに訪れた三遊亭円楽。父親のように慕ってくる円楽との間には、噺家の先輩後輩にとどまらない深い関係が築かれていた。4月24日に入院して以来、栄養は点滴で摂取し食べ物を口にしていない。歌丸師匠は4月24日に気持ち悪さを感じて病院へ行き、高度治療室で検査を受けるため入院した。

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桂歌丸師匠

ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 (バラエティ/情報)
19:06~

生と死の間をさまよった歌丸師匠。息を引き取る12日前、「ついに俺も死んでいくんだ、楽になるなと思っていたらまた脈が戻り始めた。悪運が強いのかなと。死神から嫌われてる」などと話していた。

歌丸師匠は1936年、横浜市真金町で生まれた。落語家を目指したのは小学4年のとき。15歳の時に古今亭今輔に弟子入りすると、中学を卒業して本格的に落語の世界に飛び込んだ。18歳で二ツ目に昇進すると、21歳で幼馴染の冨士子さんと結婚した。仕事が入らず鬱憤が溜まった若い頃、協会への不満を募らせて独立を企てたが失敗。約1年半、落語から離れることになった。落語から離れた生活を送る中、「よそでたち行かない自分には落語しか無い」と、名前を桂米坊と改めて再出発した。1964年に桂歌丸に改名すると、二ツ目でありながら一気に飛躍していく。1966年に笑点がスタートすると、立川談志の司会のもとで歌丸師匠は回答者として初回から出演した。その後、笑点は人気番組となり、立役者の一人が歌丸師匠だった。

歌丸師匠について、春風亭昇太は「笑点という数少ないチャンスをメンバー全員で掴みに行ってたのだと分かった」などとコメント。一度落語から離れた歌丸師匠について、三遊亭小遊三は「離れたら離れっぱなしになってしまう。落語家にしてはいい男」などと話した。

きのう、横浜市の妙蓮寺で歌丸師匠の告別式が行われ、著名人を含め数多くの弔問客が訪れた。昔からの付き合いだという泉ピン子は、「ドラマ撮った時の対談が一番の思い出」などと話した。「BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸」で桂歌丸役を演じた尾上松也は、「師匠からたくさんのことを学ばせていただいた。私の芸というものを見守って頂けたらと思っております」と述べた。晩年まで交流を続けていた桂文枝は、「最後の最後まで格好のいい理想の噺家だったと思います」と語った。

林家たい平は、「歌丸師匠はかっこいいところをたくさん見せて頂いた。ご自分のやることで僕たちに教示を与えてくださったカッコいい師匠だった」などと話した。三遊亭円楽は、「自分自身では悔しい人生だったかもしれないけど、歌丸師匠ほど愛された噺家は出てこない」などと述べた。

歌丸さんの笑点での雄姿をもう一度

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真金町(神奈川)
古今亭今輔
立川談志
笑点
横浜市(神奈川)
中村吉右衛門
桂文珍
BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸

ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 (バラエティ/情報)
19:19~

半世紀笑点に出演し続けた歌丸師匠。いつしか大喜利の神様と呼ばれるようになった。今夜は懐かしい映像とともに大喜利の神様の偉業を振り返る。

笑点第1回の放送。立川談志が司会を務め、先代の三遊亭円楽や林家こん平とともにメンバー入りした。当時の笑点について歌丸師匠は、「談志さんはブラックユーモアを大変好む。司会者は喜ぶけど見ている人は分からなかった」などと話した。番組開始から4年後、三代目司会に三波伸介が就任すると、大喜利が言葉遊びを主体にしたものに変化。歌丸師匠は多彩な答えで笑いを取っていった。その頃から番組の名物となる三遊亭小円遊とのバトルが勃発。1983年に先代の三遊亭円楽が司会に就任すると、歌丸師匠は解答者のリーダーとして番組を引っ張った。三遊亭小円遊から続く罵倒合戦は、14歳下の三遊亭円楽に引き継がれた。

歌丸師匠と罵倒合戦を繰り広げた三遊亭円楽は、「言わせてくれたのは歌丸師匠。私の腹黒いというキャラを作ったのは歌丸師匠と私の師匠だった。本当に可愛がってもらった」などと話した。春風亭昇太は、「見ていて羨ましかった。後輩が先輩にいろいろ言っても歌丸師匠は許していた」などと述べた。

歌丸さんの秘蔵映像公開

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立川談志
五代目 三遊亭圓楽
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三波伸介
三遊亭小円遊

ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 (バラエティ/情報)
19:29~

座布団を10枚獲得した時にもらえる笑点の特典。歌丸師匠はこれまで、座布団10枚獲得を13回達成した。今から35年前は、なぜか林家木久扇とともに皇居を1周マラソン。初めて座布団10枚を獲得した時にはギリシャを訪問した。

1972年に放送された番組対抗のかくし芸大会。バレリーナとしてバレエを舞った。笑点チームは見事優勝した。

歌丸師匠について林家木久扇は、「座布団10枚獲得でものすごいいい車をもらっていたのに、どこかに仕舞って僕たちは乗せてもらえなかった」などと話した。落語の仕事で途中体積する林家たい平は、「僕たちの歌丸師匠への恩返しは一席でも多く落語を聞いてもらうこと」と述べ、歌丸師匠に対し「笑点に入ってから少しずつ育つのを待ってくださって、これからも少しずつ落語家として成長していきたい。ずっと見守っていてください」などと話した。

笑点の司会を退く当日、歌丸師匠はいつも通り過ごしていた。腰を患ってからは移動に車いすを使っている。楽屋にはいつも一番乗りしている。楽屋で共演者の噺家と冗談を言い合いながら、その雰囲気のまま舞台に上がるという。歌丸師匠は名人と言われながら驕ったところは全くなく、子どもからのファンレターにも丁寧に返事を書いている。歌丸師匠は誰からも愛される人だった。最後の舞台となるスタジオの客席には、妻の冨士子さんの姿もあった。

本番直前、歌丸師匠は一人静かに出番を待っていた。生放送の大喜利は、50年を締めくくるのにふさわしい解答が飛び交った。歌丸師匠はいつになく座布団を大盤振る舞い。最後のお題が終わると、座布団を全て取り上げて大喜利を締めくくった。

最後の大喜利を終えた歌丸師匠。放送終了後の挨拶で、歌丸師匠はこらえていた感情を抑えきれず涙を流した。歌丸師匠は共演者の噺家に「笑点をなくしてはいけない」と、笑点の大看板を後進に預け笑顔で番組を去った。

歌丸師匠について三遊亭円楽は、「本当に頑固なおじさんで真っ直ぐに生きていた」などとコメント。歌丸師匠から笑点のバトンを受けた春風亭昇太は、「すごく重いものを感じたが、歌丸師匠はすぐに僕に声をかけてくれた。歌丸師匠がお客さんの前で泣くような人だとは思わなかったのでとてもびっくりした。笑点をとても大事にしていたのだと感じた」などと述べた。

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クイーン・エリザベス2
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ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 (バラエティ/情報)
19:52~

笑点の5代目司会に就いた歌丸師匠。解答者時代に笑点名物だった三遊亭円楽との罵倒合戦を続けるため、歌丸師匠の方から三遊亭円楽を挑発して反撃を待った。

歌丸師匠の司会就任と同時にメンバー入りした春風亭昇太。落語界の次世代を担う男として、アイドル並の人気を誇っていた。鳴り物入りでメンバーとなったが、上手く笑いを取ることができなかった。そんな春風亭昇太に、歌丸師匠は結婚できないキャラを植え付け、救いの手を差し伸べた。

笑点ではお馴染みのメンバーの挨拶。司会の挨拶はそれまでシンプルなものだったが、歌丸師匠は司会の挨拶を毎回変えて笑いを取った。中でも座布団運びの山田隆夫を人間扱いしないことで、毎週笑いを生み出していた。

春風亭昇太は歌丸師匠について、「歌丸師匠のおかげで笑点に馴染んでいっているのが分かった。歌丸師匠にとても気を遣わせていたのは感じていた」などと話した。

三遊亭円楽とのバトルが他のメンバーにも波及し、司会者と解答者の戦いはヒートアップ。解答者からの攻撃に、歌丸師匠は「全員の全部持ってって」を司会者として初めて使った。この頃から、座布団10枚のご褒美が出なくなった。

歌丸師匠について三遊亭小遊三は「全員の全部持ってってはなかなかない。やっぱり権力者だった」などとコメント。三遊亭円楽は「みんなたい平が悪い」などと話した。

笑点卒業後 密着770日

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ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 (バラエティ/情報)
20:07~

笑点を辞め、落語家引退も考えた歌丸師匠。引退を思いとどまったのは、妻・冨士子さんの「しゃべれる以上は落語しゃべってるのがいいんじゃない」という言葉がきっかけだった。落語に一層力を注ぐようになった歌丸師匠。半年後には高座の依頼が引きも切らなくなっていた。新宿末廣亭の高座でトリを務めた歌丸師匠。お化け長屋を披露した。普段から芸人に触れているお囃子さんでも歌丸師匠は特別で、携帯で高座中の歌丸師匠を撮影していた。一席を終えるとすぐに酸素吸入。噺の最中は顔を歪めることもなかったが、負担は大きくすぐ後に体調が崩れた。肺気腫が悪化し、2016年12月に入院した。

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ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 (バラエティ/情報)
20:16~

2016年12月、肺気腫の悪化で入院した歌丸師匠。高座に復帰したのは退院の翌日だった。出番ギリギリまで酸素を吸っても肩で大きく息をするほどだったが、高座に上がれば不思議と声が出ていた。

2017年4月16日、肺炎により高熱を出し救急搬送された歌丸師匠。度重なる入院で食も細くなっていった。復帰できたのは2か月後。自分で歩くのも難しい状態で、避けられない現実を一つずつ受け入れていた。本調子までは程遠く、波を打つように息苦しさが襲ってくる。不安を拭いきれぬまま高座に上がったが、16分間無事にやり切った。誰もが安堵した直後、幕の下りた舞台で歌丸師匠は苦悶の表情を浮かべていた。歌丸師匠は酸素ボンベを手放せなくなっていた。

宮城県の松島におもむいた歌丸師匠。国宝の瑞巌寺での落語会だったが、客が酸素ボンベを気にして噺に集中できないようなら引退と考えていた。自虐を交えて自分の葛藤を笑いに変えながらの40分間の熱演に、客からは割れんばかりの拍手が起こった。

「引退はまだ早い」と考えたその矢崎、誤嚥性肺炎により救急搬送された。それでも枕元には落語のカセットテープがあった。

2017年11月2日、歌丸師匠は飛行機で博多・天神落語まつりに出るため福岡県を訪れた。4日間にわたるイベントで3日間連続で高座に上がる。東西から約50人の噺家が集結する落語会。その中でも歌丸師匠は祭りの顔だった。歌丸師匠が出演する会のチケットは、いずれも完売していた。

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ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 (バラエティ/情報)
20:29~

最後の舞台に立った歌丸師匠。舞台を見た立川談春は、「落語家として大変に尊いものを見せて頂いている」などと話した。当時の歌丸師匠にとって3日連続の高座は過酷で、高座の後は2~3日開けるように医者からも言われていたが、3日連続の高座をやり切った。入退院を繰り返し、否応なく意識する人生の残り時間。だからこそ一切を落語に捧げようと、歌丸師匠は腹をくくった。

今年4月、人生を締めくくる形となった落語は国立演芸場で45分にわたる熱演だった。

歌丸師匠が亡くなる12日前、三遊亭円楽とのやり取りが撮影されていた。復帰を疑わずに励んでいたリハビリ。リハビリに励む姿が、映像に残る最後の姿となった。命を削るように笑いを届けてきた歌丸師匠は、噺家として晩節を全うした。

歌丸師匠について三遊亭円楽は、「歌丸師匠の姿を見ていると叱られているみたい。私や小遊三さんだったら落語家を辞めているかもしれない」などとコメント。三遊亭好楽は、「病院からすぐに出て高座に上がっても歌丸師匠のような張りのある声は出ない」などと話した。林家木久扇は、「普段から一緒だったがあの華奢な体で太い漢だった。かなわない」などと述べた。

林家こん平からの手紙を桝太一が読み上げた。林家三平は「いつも歌丸師匠の話になると師匠は笑顔になる」などと話した。

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ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番 (バラエティ/情報)
20:45~

笑点メンバーが歌丸師匠への思いを語った。三遊亭小遊三は「さようならというよりも行ってらっしゃいという気分。また帰ってきてください」と話した。三遊亭好楽は「一緒に朝食を食べながら芸談をしたかった」、林家木久扇は「一度もご馳走してもらったことがない。ご馳走してもらいたい」、林家三平は「楽屋で言われた師匠の言葉を守って頑張りたい」などと述べ、三遊亭円楽は「最後までリハビリをしていた歌丸師匠の思いを胸にして落語をしていきたい」、山田隆夫は「47年間ありがとうございました」、春風亭昇太は「歌丸師匠の落語家生活でいろんなことを教えて頂いた。お客様が少しでも楽しい気持ちになれるような笑点にしていきたいと思います」などと語った。

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20:52~

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  1. 7月12日 放送