NNNドキュメント “じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー

NNNドキュメント(エヌエヌエヌドキュメント)は、1970年から放送を開始したNNN系列のドキュメンタリー深夜番組である。放送時の番組タイトルでは「NNNドキュメント'○○」(○○は西暦の下2桁)と表記される。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年2月23日(月) 0:50~ 1:20
放送局 よみうりテレビ

番組概要

オープニング (その他)
00:50~

オープニング影像。

“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー (バラエティ/情報)
00:50~

ペリリュー島の激戦を生き抜いた土田さんは孫をつれて再びペリリュー島を訪れた。

福岡県筑後市の土田さんは1943年23才で海軍に入隊した。翌年、当時日本の統治領だったパラオのペリリュー島に行くこととなった。

ペリリュー島の激戦を生き抜いた土田喜代一さんは孫娘・井福理恵をつれて再びペリリュー島を訪れた。島には置き去りにされた戦車や、真っ二つに折れたゼロ戦が残っていた。土田さんが当時見張り兵をしていた施設の跡を訪れた孫は、いつ死ぬかわからなかったおじいちゃんの壮絶な毎日を肌で感じた。当時土田さんたちが身を移した洞窟のあとを訪れ、土田さんはそこで地雷を抱えて戦車に突撃した仲間の話をし、「言葉にならない寂しさがあります」と語った。

ペリリュー島の激戦を生き抜いた土田喜代一さんは孫娘・井福理恵をつれて再びペリリュー島を訪れた。仲間が眠る墓地を訪れた土田さんは手を合わせ、涙を流した。

茨城県水戸市で行われたペリリュー島戦没者慰霊祭。そこに参加した永井敬司さんは「飯も食べないで夜も寝ないで戦闘するわけだ。照明弾を落として昼よりも明るいんですから」と語った。1944年9月15日、アメリカ軍がペリリュー島に上陸した。そのときの様子を永井さんは「あれほどこの世の中に悲惨な状態はないんじゃないですか」と語った。アメリカ軍の圧勝かに思われたが日本軍の洞窟から攻撃するという戦法により戦闘は長引いた。当時を振り返り永井さんは「負傷した人が包帯を巻いてもらおうなんて考えない。その場で自決、どんどん自決です」と語った。

キーワード
ペリリュー島
筑後市(福岡)
水戸市(茨城)

“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー (バラエティ/情報)
01:06~

ペリリュー島の激戦を生き抜いた土田喜代一さんは孫娘・井福理恵をつれて再びペリリュー島を訪れた。地元政府が主催する式典に参加した土田さんは生き残った元アメリカ兵と握手をした。土田さんは当時、戦争が終わったことを知らされず、洞窟で生活していた。その洞窟は入り口は地形が変わり狭くなってしまったが、中は当時のまま残っていた。

理恵さんは「実際この場所に来たら生き抜くことが大変だったと感じることができたので連れてきてもらえて本当に良かったです。私達が親になる世代になるので引き継いでいけたらと思います」と語った。土田さんは「戦争というものは殺されるか殺すかの戦いでしょ。勝っても負けてもダメですね。戦争というのは」と語った。

キーワード
ペリリュー島

“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー (バラエティ/情報)
01:13~

ペリリュー島の激戦を生き抜いた土田喜代一さんは孫娘・井福理恵をつれて再びペリリュー島を訪れた。土田さんは街中でメッセージが書かれた壁を発見した。そこには「またおこしください」と日本語で書かれていた。それを見た土田さんは「気に入った。もう少し生きとかないとな」と言って笑った。そして土田さん慰霊の旅で知り合ったアントニア・ウェンティさんの家を訪ねた。日本語教育を受けていたアントニアさんは「戦争は人々の考えじゃない。国と国のこと。やったことは済んでしまった」と語った。アントニアさんは土田さんと理恵さんにこの地で生まれた歌を歌った。

キーワード
ペリリュー島

エンディング (その他)
01:18~

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スポット

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