文化の時間 〜みんながアレを好きな理由わかりました〜

放送日 2019年2月16日(土) 15:10~17:15
放送局 テレビ大阪

番組概要

オープニング (その他)
15:10~

関西人の食文化に欠かせないうどん。昨今人気のうどんはご当地イベントを開けば来場者は10万人に。しかし千年以上に及ぶうどんの歴史を紐解くと、衰退と復活を繰り返し、苦難に満ちた半生が。幾多の修羅場をくぐりぬけ、現在の地位を確立したうどん。そこには元祖うどんのまち・大阪が深く関わっていた。

キーワード
うどん

うどん文化 (バラエティ/情報)
15:11~

うどんの元祖は中国から伝わった索餅という小麦粉・米粉を塩水で練り、縄のようにねじったものだとされる。いまのように麺の形となったのは室町時代。こねて伸ばした小麦粉を包丁で切った切麦が誕生。室町時代はまだダシも醤油も普及していなかった。当時の味の主流は味噌のみ。味噌を煮詰めて布でこした「たれ味噌」をうどんのつゆにしていた。当時の技術では燃料の小麦を粉にするのは大仕事。臼と杵で作る小麦粉は手間がかかり高級品だった。しかし、江戸時代に入ると粉ひき用の石臼が普及し、小麦粉作りが簡単に。

江戸時代になるとうどんを世に広めるダシつゆが普及。江戸時代に入ると関東で醤油づくりが始まり、カツオや昆布のダシと醤油を使ったつゆが誕生。かくしてうどんの味は飛躍的に向上し、うどんが江戸中に広まるきっかけとなる事件も起こる。

1657年の明暦の大火では江戸の大半が焼け、死者は10万人以上とも。江戸の修復のために全国から出稼ぎにやってきた男性労働者の増加で屋台などの外食産業が発展。腹持ちするうどんは職人たちの間で大ブームに。石臼で作りやすさが、ダシつゆでおいしさが、火事からの復興で客の数がそれぞれUP。言うなればこの時代は世の中すべてがうどんに追い風時代だった。

外食産業発達で人々の食の楽しみがより広がった江戸時代中期以降だが、この時代になると脚気が流行。庶民が白米を食べるようになり増えたビタミンB不足が原因だ。当時ビタミンBの知識はなくとも蕎麦好きは脚気になりにくいとヒーロー的存在に。当時の蕎麦の猛攻を象徴するのが大衆文学「うどんそば化物大江山」。主人公は擬人化された蕎麦粉とその仲間たちで、大納言そうめん卿の命を受け、京都で悪さをする化物・うどん童子一味を退治するという世界観だった。激闘の末、うどん童子は麺棒で叩きのめされた。世相を反映したこの物語はヒット作に。

実際に江戸の看板を見ても「うどん・そば」から「そば・うどん」と蕎麦がうどんを従える逆転現象が発生。うどん人気は暗黒期に突入。しかし、大坂ではうどん人気が未だに健在だった。

大坂のうどんの人気の秘密は薄い色のダシ。関西の水は比較的水質が柔らかいため、北前船で運ばれてきた昆布ダシが取りやすく、それに合う薄口しょう油のを使った薄い色のダシつゆ文化が発展。ダシ好きの大坂では「小田巻蒸し」という茶碗蒸しとうどんのコラボ料理も生まれた。

大坂以外でも米作りに適していない土地や、米の裏作として小麦が栽培された。香川県に残る1700年頃の屏風にはうどんを「こねる」「のばす」「切る」3人の讃岐うどん職人の姿が。さらに秋田の稲庭うどん、群馬の水沢うどん、愛知のきしめん、三重の伊勢うどんが誕生したのも江戸時代。うどんは地方食として根付いていた。

うどんの紹介について岡井千聖さんは「絵が喋ってるのかわいくてわかりやすい」など述べた。これは古い絵や写真を最新技術で加工しているもの。また、スタジオでは室町時代のダシなし味噌うどんを用意。食べた出演者らは「つまらない味」「ダシのちからって大きい」など述べた。

明治時代になるとうどんの反撃が始まる。うどんの危機を救ったのは大坂生まれのあの逸品だった。

「文化の時間」の番組宣伝テロップ。

キーワード
うどん
明暦の大火
蕎麦
小田巻蒸し

うどん文化 (バラエティ/情報)
15:28~

時は文明開化の明治、東京でうどんの反撃が始まる。大阪ではすでに定番になっていた鍋焼きうどん。寒い日に鍋のまま食べる熱々の鍋焼きうどんは大好評。冷めないので屋台にピッタリで明治初期に東京で大ブームになった。鍋焼きうどんの流行を示した当時の読売新聞にも記載がある。大阪生まれの鍋焼きうどんブームにより東京のそば屋台が激減した。

明治中期の大阪でうどんの今後を左右する名作が誕生した。それはきつねうどん。薄味つゆと油揚げの組み合わせである。あげはうどんにも使うダシつゆと砂糖で甘辛く煮るのが大阪スタイルである。現代にも続く定番メニューはこの頃誕生した。きつねうどん発祥の店は今も大阪の南船場で営業を続けている。3代目の宇佐美さんに話を伺うと、最初はかけうどんとおあげを添えて出していたという。江戸時代から続くダシの文化とせっかちな大阪人の気質がうどん復活の起爆剤となる商品を生み出した。

この頃製粉機の輸入が始まり小麦粉の大量生産が可能になった。また製麺機の発明により麺作りが機械化したため、うどん玉業者が登場。家庭でもうどんを食べられるようになった。この時代のうどんは文明開化でうどん人気もV字回復しちゃった文化である。しかし製麺機の誕生はうどんにとって諸刃の剣となった。

製麺機の誕生により現れた新たな強敵とは、中華そば、ラーメンである。1910年には日本初のラーメン店、浅草「来々軒」が登場し日本人にあった醤油ラーメンを生み出した。製麺機はうどんだけでなく強敵のラーメンの大量生産も可能にした。その結果屋台のイメージはラーメンに取ってかわられた。

戦後の食糧難の中、アメリカからの配給小麦が出回り、うどんの食文化は徐々に復活した。製麺機も高性能になり現れたのが駅の立ち食い蕎麦・うどん店であった。うどんはサラリーマンの食の象徴になった。こうしてうどん復興の兆しが見えたかと思いきや、このあと次々と「うどん」の前に悲劇が訪れる。

キーワード
うどん
鍋焼きうどん
読売新聞
大阪府
きつねうどん
中華そば
ラーメン
来々軒
醤油ラーメン

うどん文化 (バラエティ/情報)
15:38~

1958年、安藤百福がチキンラーメンを発明したが、油と相性の悪いうどんは即席麺ブームに乗り切れなかった。あさま山荘事件の生放送から人気に火がついたカップヌードルは、うどん、蕎麦、ラーメンをも超えた新時代の麺といえる。その頃、銀座にマクドナルド国内1号店がオープンし、日本のファストフードを担っていたうどんは一気に劣勢に。ハンバーガー=若者・ファミリー、うどん・蕎麦=サラリーマンのイメージが定着した。

80年代に入りバブル期を迎えると、「イタ飯」ブームでパスタが若い女性に人気に。中でも「壁の穴」は、たらこスパゲティなど和風メニューを生み出し、うどんを土俵際まで追い込んだ。当時のイタ飯ブームについて、大坂最古のうどん店とも言われる「吾妻」の店主は「急に色々なメニューが出てきて、うどんは食べる人がオヤジ化してきた」と話す。この時代のうどんは、「バブリー文化から完全に取り残されちゃった文化」だった。

苦難の時代を迎えていたうどんにかすかな光が。カップヌードルから遅れること4年、マルちゃんカップきつねうどんが発売された。しかし普通のうどんより割高で、味も芳しくなかった。その翌年、日清がどん兵衛を、2年後には東洋水産が赤いきつねうどんを発売し大ヒット。マルちゃんカップきつねうどんのCMには、海原千里・万里が出演していた。

1988年、瀬戸大橋が完成。同年タウン情報誌である連載が始まると、讃岐うどん目的の香川旅行がブームに。讃岐うどんをモチーフにした映画も誕生。讃岐うどん最大の魅力はそのコシ。茹でたての麺をそのまま丼に入れ、つけだしを直接麺にぶっかけた「ぶっかけうどん」など、麺そのものを楽しむメニューが人気になった。讃岐うどんのは、サイドメニューを自分で皿に入れてレジで支払う「セルフ式うどん」システムも特徴。セルフ式スタイルのうどんチェーン店は続々と全国進出を果たした。この時代のうどんは、「讃岐うどんにあらざればうどんにあらざる文化」だった。

讃岐うどんブームの影響で、道頓堀今井は麺にコシを出した。吾妻では、湯がきたてを提供するため細めの麺を開発し、「ささめうどん」として出した。一方、なんばうどんの店主は「讃岐は全然意識してない」と豪語。元祖うどんの街の意地は健在だった。マツバヤの店主は「讃岐うどんも美味しいけど、総合力ではうちのほうが上」、道頓堀今井の社長は「根本的に違う食べ物やから。うどんは煮物」、吾妻の店主は「ダシは負けへん」とコメントした。

「文化の時間」の番組宣伝テロップ。

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安藤百福
チキンラーメン
カップヌードル
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うどん
壁の穴
マルちゃんカップきつねうどん
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瀬戸大橋
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UDON
ぶっかけうどん
道頓堀今井
ささめうどん

アニマル柄文化 (バラエティ/情報)
15:51~

大阪が全国にほこる文化は、アニマル柄だ。日本のアニマル柄の歴史を紹介する。日本には、1637年以前からアニマル柄は存在した。鬼の絵はアニマル柄のパンツをはいていた。その理由が明らかになる。

キーワード
織田信長
雪山童子図

アニマル柄文化 (バラエティ/情報)
15:57~

鬼の絵はアニマル柄のパンツをはいていた。鬼門は北東。子を北にして十二支を描くと、丑と寅が、北東になる。そのため、丑のツノと寅のパンツを絵にしているという。鬼のパンツの絵がトラ皮になったのはたぶん1600年頃だ。

アニマル柄のパンツは雷神もはいている。マスプロ電工のCMで、雷の家族がはいている。「うる星やつら」では、ラムちゃんが愛用している。トラのパンツより古いアニマル柄はあるのか。

マスプロ電工 CMが流れた。

日本最古のアニマル柄を着たのはあの武将。マタギや猟師は、くまや歯科の毛皮を利用していた。728年、渤海国との交易がはじまった。黒テンの毛皮が輸入された。平安貴族の間で毛皮が大ブームとなった。流鏑馬絵巻の衣装には斑点模様がある。鹿の夏毛だけに浮かぶドット模様をまとうのが武士の嗜みとされた。織田信長もはいていたという。当時の書物には、鹿の夏毛だけに浮かぶドット模様の行縢をはいていたことが記されている。そしてアニマル柄の生地が誕生した。

世界のアニマル柄ヒストリーを紹介する。旧石器時代に、毛皮をまとうようになった。はじめ人間ギャートルズはこの時代をアニメ化した。アルプスで発見された世界最古の冷凍ミイラは、5300年前のものだ。クマの帽子、ヒツジとヤギのコート、ヤギのレギンスをつけていたという。

スペシャルな毛皮がある。ギザのピラミッドの壁画に描かれている。ヒョウの毛皮を着た女性。ヒョウ皮は強さ・権威をしめす高級アイテムになっていた。モンゴルでもヒョウ皮は使用されていた。

フランス貴族が愛したヒョウ柄。18世紀フランスではヒョウ柄は、贅沢な象徴だった。マリーアントワネットの贅沢三昧は、胴体がヒョウの風刺画で表現されていた。ヒョウ皮は、フランス貴族のファッションとしてブームとなる。1785年発刊の世界初のファッション誌にもヒョウ柄のドレスが載っている。

どのように庶民に普及していくのか。カメルーンで人工のヒョウ柄が生まれたという。世界最古のヒョウ柄がある。

喫茶店・カフェ文化、その歴史を紐解くとみんなが大好きな理由、わかりました。

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織田信長
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トラ
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クマ
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カメルーン

アニマル柄文化 (バラエティ/情報)
16:09~

カメルーンの人工ヒョウ柄は麻などで作られている。人間の髪を編み込んでヒョウの柄を再現している。日本では動物柄は信長着用以前の忠実は発見できなかった。

19世紀のイギリスではパイル地などが作れるようになり、ヒョウ柄は庶民にも身近な柄になる。映画などでも使われるようになった。

ヒョウなど猛獣を飼うことがハリウッドでブームに。後に法律で禁止された。

スタジオトーク。山田五郎は「東洋はトラ、西洋はヒョウというのがわかった。日本の昔の障壁がではヒョウがトラのメスと思われていた。」などとコメント。アニマル柄のクイズが出題され、出演者は正解した。

ヒョウ柄はワイルドでセクシーな女性像の表現に使われた。クリスチャン・ディオールは自身のコレクションで「ジャングル」というスタイルでヒョウ柄を使用。ヒョウのしなやかさに女性的なしなやかさを感じたとみられる。これによりヒョウ柄はエレガンスなイメージを獲得。

「上田安子服飾専門学校」へ。上田安子はディオールに弟子入り。大丸百貨店顧問デザイナーという立場で渡仏。帰国後、ディオールを導入した際、ヒョウ柄が日本に初上陸したという。卒業式では卒業生全員にヒョウ柄のスカーフを贈ったという。当時はディオールは高級仕立て服で一部の富裕層しか知らなかった。

十三千鶴は阪急百貨店のチーフコーディネーターとして活躍した。1970年代はジャンフランコ・フェレなどのブランドが注目された。ヒョウ柄はミラノ系ファッションにも取り入れられた。十三さんはミラノ系ファッションを阪急百貨店に取り入れ、ファッションは阪急百貨店が抜きん出ていた。従業員は歩く広告塔としてミラノ系ファッションで街を歩き、大阪で流行した。十三さんは「ミラノの文化が大阪の人に人気があったのかもしれない。」などとコメント。

当時は海外ブランドを買える人は限られていた。次第に安価なヒョウ柄が出回り、庶民にも普及。大阪の人が魅了される理由は、「トラからの猛獣つながり」、「レオポンをみた経験」などが挙げられた。大阪人は「大阪人は派手好き。普通のジーンズよりも合わせやすい。」などとコメント。江戸時代には天保の改革で贅沢が禁止されたが、江戸ほど禁令が広がらなかった大阪では華やかな服装文化が残り、派手好きな基質が残ったという。東京ではヒョウ柄の部分使いがメインだったが、大阪では服装の大部分を占めるファッションだった。

新世界の一角の「なにわ小町」では2014年に大きく口をあけた顔つきアニマル服を考案し、これがヒットした。チーター16頭の顔をデザインした服、ライオンが寄り添いヒョウ柄と虎柄が含まれた服を紹介した。高橋真由美は「ヒョウ柄を着ていたら大阪のおばちゃんと言われて恥ずかしい。大阪のおばちゃんの強さと優しさはヒョウ柄を着ているから。」などとコメント。現在は世界のハイブランドでヒョウ柄ブームが再来。若者にも人気に。大阪の人は「根性がないと着られない。」などとコメント。

「文化の時間」の番組宣伝テロップ。

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バレミケ族のチュニック
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トラ
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チーター
クリスチャン・ディオール
上田安子
ディオール
阪急百貨店
大阪府
ミラノ(イタリア)
レオポン
水野忠邦
天保の改革
新世界
ライオン

喫茶店・カフェ文化 (バラエティ/情報)
16:27~

日本にあるカフェの件数は約7万件で、コンビニよりも多い。なぜ日本人はカフェが好きなのか。その歴史を紐解くと最先端の流行を生み出し進化を続けていた。

日本で喫茶文化が生まれたのは鎌倉時代。公家などの暇つぶしとしてお茶の銘柄を当て合う「闘茶」が流行した。やがてその文化は庶民に広がり、江戸時代には街道沿いなどに茶屋が誕生。幕末には開港した港町でコーヒーが飲まれるようになった。

日本初のカフェは明治21年に上野に開店した「可否茶館」、創業者は台湾出身の鄭永慶。アメリカでの流行を見て設備を整え日本に出店したが、経営不振のため4年で閉店した。明治末期には銀座に喫茶店文化の発祥となる3店舗が開店。「カフェー・プランタン」は常連客から会費をとった日本初の会員制カフェで、異文化交流を目的とした文化人が多く集まったとの事。「カフェーパウリスタ」はコーヒーが安く気軽に飲める店。最盛期には1日に4000杯を売り上げ、全国に20店舗を展開した日本初のコーヒーチェーン店でもある。「カフェー・ライオン」は若い女性の接客が人気を呼んだ。銀ブラの語源は諸説あり「銀座でブラジルコーヒーを」が語源という説がある。

西洋のモダニズム文化が庶民に浸透した大正時代には、カフェは「ハイカラ」の象徴的な存在となった。人気の要因の1つは、モダニズム建築を取り入れた店のデザイン。外観にアルファベットで店名を表記したものなど、カフェは商業建築の最先端を走り、文化人などの日本文化のトップランナーがこぞって集っていた。カフェの乱立によって競争が激化、各店は個性を競うようになっていった。

大正時代になると集客を増やすため、店ごとに女給さんの衣装に工夫を凝らし始めた。すると女給さん目当てに訪れる客が増え、人気の女給さんは雑誌のグラビアに取り上げられ、24時間密着などという特集ページも組まれた。女給さんは女性の憧れる人気職業となった。女給さんには美しい女性が集まったため、「銀座パレス」では映画会社が女優のオーディションを行った事もある。

キーワード
闘茶
イェール大学
森鴎外
カフェー・プランタン
カフェーパウリスタ
上野(東京)
カフェー・ライオン
アサヒグラフ

喫茶店・カフェ文化 (バラエティ/情報)
16:42~

女給人気にともなってある問題が。カフェではお酒も提供されるようになり、女給は飲食を提供するだけでなく席についての接客も行うように。女給の給料は大変少なく客が渡すチップが収入源。サービスは過熱の一途をたどっていく。この時期のカフェは女給さん、ちょっとやりすぎ文化。

当時銀座には日本を代表する2大カフェが存在。1つはカフェー・ライオン。女給さんは正統派のウエイトレスとして接客のみを行う健全なカフェ。2つ目はカフェー・タイガー。老舗のライオンに対抗心を燃やすタイガーは、受給が派手な化粧を施し、体を擦り寄せながら接客する風俗的サービスに発展。正統派のライオンとお色気のタイガーは獅子と虎の対決と言われ客を奪い合った。当時のヒット曲の当世銀座節には「東京銀座はおそろし所、虎と獅子とが」と歌われている。女給文化に詳しい浜田さんによると、タイガーはタイプの違う複数のグループを作り女性たちを競い合わせた。

打倒ライオンに向け、カフェー・タイガーが行ったのは女給総選挙。六十銭のビールを注文すると投票権を得て好きな女給に投票できる。女給総選挙に夢中になった有名人も。文藝春秋創設者の菊池寛は150票を投じたという。女給ブームにも終わりのときが訪れる。昭和初期には濃厚で露骨なサービス競争を行ったカフェーは警察の取り締まりにあい、多くの店が閉店を余儀なくされた。

槇原は「キャバクラの成り立ちを見てる」と言った。岡井は「今だとアイドルもハグまではしてる」と言った。

戦前カフェ文化の中心と言えば銀座。戦後は渋谷、新宿が中心に。喫茶店の代名詞といえる個人経営の喫茶店が続々登場。かつて女給でブームを起こした喫茶店は新たにあるものと結びつくことでブームを巻き起こす。

「文化の時間」の番組宣伝テロップ。

キーワード
カフェー・ライオン
カフェー・タイガー

喫茶店・カフェ文化 (バラエティ/情報)
16:54~

女給人気に支えられていた喫茶店は音楽と結びついて音楽系喫茶店がブームとなった。名曲喫茶はクラシック音楽のレコードが多数取り揃えられコーヒーを頼むとリクエストに答えた。翌年に開店した新宿の風月堂は谷川俊太郎さんをはじめ若き文学者たちに支えられた。名曲喫茶のジャズ版で店内で生演奏をきける店が数多くあり、平尾昌晃さんなど多くのスターを産んだ。シャンソン喫茶で有名な銀巴里からは美輪明宏さんがデビュー。美輪さん見たさに三島由紀夫などが通ったことで知られている。そのほかディスコの走りとなったフロアでダンスが踊れるゴーゴー喫茶や客が店内で合唱できる歌声喫茶などが流行した。60年代後半になり多くの家庭でステレオセットが購入されると音楽系喫茶は衰退していった。

1960年台後半、コーヒー専門店がチェーン店化した。そんな喫茶店に通っていたのはサラリーマン。商談や終電を逃したときなどに使われていた日本経済の成長を支えた場所。

壇蜜さんは喫茶店について「背伸びして行きたかった場所」と話し、山田さんが若者のタバコ離れと喫茶店離れの相関性を指摘した。

「文化の時間」の番組宣伝テロップ。

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谷川俊太郎
平尾昌晃
銀巴里
美輪明宏

喫茶店・カフェ文化 (バラエティ/情報)
17:03~

喫茶店・カフェ文化について。ノーパン喫茶などの画像を紹介。漫画喫茶の原型は対面式で、これが現在のネットカフェにつながると壇。

2度のオイルショックを経た日本は1980年、一時的に不景気に陥った。そんな中オープンした「ドトールコーヒーショップ」は、セルフサービスと立飲みにすることで高品質のコーヒーを低価格で提供し人気となった。

東京・銀座にオープンしたスターバックスコーヒーはこれまでの喫茶店にはなかったコンセプトでこれまで喫茶店に足を運ぶことが少なかった女性から圧倒的支持を獲得。その後同様の店が日本に次々上陸した。

2000年代に入るとカフェは更に多様化。メイドカフェやネットカフェなど特徴あるカフェや、チェーン店のセルフサービスに対抗してバリスタの入れるブルーボトルコーヒーも登場した。

「文化の時間」の番組宣伝テロップ。

キーワード
ノーパン喫茶
インベーダーゲーム
ドトールコーヒーショップ
原宿(東京)
スターバックスコーヒー
銀座(東京)

喫茶店・カフェ文化 (バラエティ/情報)
17:12~

カフェ文化の中心となった女性たちによって、カフェめしがブームになった。その風潮は全国に波及し、空き家が古民家カフェに生まれ変わるなど、日本中困ったらカフェ状態になった。

エンディング (その他)
17:13~

エンディング映像。

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