証言者が激白!あの事件の知らなかったコトSP 2017年11月8日放送回

放送日 2017年11月8日(水) 21:00~22:48
放送局 テレビ大阪

番組概要

オープニング (その他)
21:00~

オープニング映像。証言者が激白!あの事件の知らなかったコトSPを放送する。

広島土砂災害 救出劇の裏側 (バラエティ/情報)
21:01~

2017年10月、超大型台風により首都圏を含め日本各地が水に襲われた。東京電機大学の安田進氏によると豪雨災害はどの地域でも起こる可能性がある。今年起きた豪雨災害の中で最も甚大な被害となったのが7月に発生した九州北部豪雨災害、土石流などにより死者37人を出した。

土石流が生んだ大災害のなか、過去30年間で最も被害が大きかったのが2014年の広島土砂災害。死者77名、浸水被害4100棟以上に及んだ。そんな広島土砂災害の知られざる真実について迫る。

2014年8月19日、広島・安佐北区に住む宮本さん夫婦は40年前に建てたマイホームで暮らしていた。雨が降る何気ない日常だったが、日があけた20日の深夜に土石流が発生。間一髪で生き残った人々が語ったのが土の腐ったような臭い、これは土石流の前兆現象だという。宮本さん夫妻の家も土石流に襲われ下敷きに。20日午前4時頃、救助隊の皆田充広が現場に向かうと瓦礫の中に女性を発見、あまりにも悲惨な状況にどのように救助するかを迷った。川の水位が一気に下がった場合、これも土石流の前兆。

皆田にとって最大の壁となったのが山積みになった瓦礫。慎重に足を進め、瓦礫の中から女性を救出。救急車が現場まで入ってこれないため、数時間あるいてきた道なき道を使った運び下ろす必要があった。

皆田がようやく麓まで女性を運び込んだとき、他の現場からSOSの連絡が入った。通常10分の道を1時間かけて到着、そこは宮本さん夫婦の家で夫は首から下が土砂に埋まって動けない状況だった。

このあと、日航機墜落事故 知られざる真実。

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東京電機大学
九州北部豪雨災害
土石流
広島土砂災害
安佐北区(広島)
宮本敏治
ルース台風
広島市消防局
防災科学技術研究所
宮本孝子
日本航空123便墜落事故

広島土砂災害 救出劇の裏側 (バラエティ/情報)
21:27~

広島土砂災害の救出劇の裏側。災害発生から約3時間、多くの人が生き埋めとなり犠牲者が増えようとしていた。海上自衛隊・陸上自衛隊も1000人以上が出動、悲痛な叫びが広がっていた。救助活動は空からも行われ、航空隊に所属する大畑昭博は孤立した集落に取り残された人の捜索作業を行っていた。ある老人は状況を受け入れられず救助を拒否、それでも恨まれる覚悟で救助した。

地上では皆田が深刻な状況に直面。宮本さんは筋肉が圧迫されて壊死、毒素を溜め込むクラッシュ症候群にかかっており妻も近くで瓦礫に埋もれていた。瓦礫をどかせば崩れて潰される可能性もあるため、皆田は最小限の瓦礫だけを細かく取り除く作業を開始。土石流発生から7時間が経過、宮本さんの長女や近所の住民が加勢するため訪れた。

このあと、日航機墜落事故 知られざる真実。

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土石流
広島土砂災害
陸上自衛隊
海上自衛隊
宮本敏治
宮本孝子
DMAT
クラッシュ症候群
日航機墜落事故

広島土砂災害 救出劇の裏側 (バラエティ/情報)
21:40~

広島土砂災害の救出劇。地域住民が救助作業の手伝いを申し出ると、瓦礫を次々とどかした。被災から9時間、宮本さんの妻が救出された。土砂に埋まった宮本さんも引き上げようとしたが、大木が足の上にあり動かすことができない状況。そこで大木にロープをかけ、隊員と住民ら全員で動かした。こうして被災から11時間、宮本さんも救助された。

広島土砂災害から3年が経過した今年10月、現地へ赴いた。宮本さん夫婦が40年暮らした家は更地、そこから15分の場所で妻・孝子さんが暮らしている。孝子さんは瓦礫に挟まれたのが原因で左足を失っており、夫は一時回復を見せたが災害から3日後、クラッシュ症候群が原因で帰らぬ人となった。この災害では全半壊255棟、浸水被害4100棟以上、死者77名という記録的な被害をもたらした。

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土石流
広島土砂災害
宮本敏治
クラッシュ症候群

三十三回忌 日航機墜落事故 33年目の真実 (バラエティ/情報)
21:50~

2017年8月12日、羽田発大阪行きの飛行機で酸素マスクが飛び出す事態となった。機長も緊急事態信号スコーク77を発信、心配されていたものの無事に緊急着陸した。のちにダクトの破損が原因だとわかったが、だれ1人被害者はでなかった。

緊急着陸から遡ること32年前の1985年、奇しくも全く同じ8月12日の羽田発大阪行きの飛行機で日航機墜落事故が起きた。この事故の知られざる真実について迫る。

1985年8月12日当時、世界で最も安全だと言われていたボーイング747。この日の機内は満席、午後6時04分に地上滑走開始、乗客の多くは東京-大阪を行き来するビジネスマン。中には子どもの1人旅を応援するサービスで搭乗した子ども客もいた。その1人が健くん、甲子園で行われる高校野球を何よりも楽しみにしていた。午後6時12分に離陸、12人の客室乗務員も定位置についていた。乗務員の1人である対馬さんは新婚旅行から帰ってきた直後の初フライトだった。赤田さんは乗務員の中で唯一の母親、2歳の息子がいた。

離陸から12分後の午後6時24分、機体に異変がおきた。突然シートベルト着用のランプが点灯、何かが爆発する音が聞こえた。これは圧力隔壁の破損によって垂直尾翼が破壊された音、機内は煙が漂い酸素マスクが落ちた。客室乗務員の一番の使命は乗客を不安にさせないこと、酸素が薄い中で懸命に乗客に寄り添った。離陸から25分後の午後6時37分、機長はまっすぐに翔ぶことができない飛行機を羽田方面に戻そうと必死になり、乗客は救命胴衣を着用。機体は大きく横にゆれ機内は騒然となった。

離陸から33分後の午後6時45分、操縦困難となった機体はダッチロールを繰り返し御巣鷹山へと近づいていた。機体が急降下すると、多くの乗客がペンを走らせ家族へ最後の気持ちを綴った。乗客の村山さんもその1人、会社の封筒に書かれた文字が残されている。

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朝日新聞
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群馬県
御巣鷹山
ボーイング747
美谷島健
対馬祐三子
赤田真理子
村山良平さん

三十三回忌 日航機墜落事故 33年目の真実 (バラエティ/情報)
22:24~

降下する飛行機の中で多くの乗客は家族に向け手紙を残した。会社員の村山さんも封筒に最後の思いを書き、それを娘・みきさんが保管している。絶体絶命のなか普段と変わらない口調でアナウンスしたのが乗務員の対馬さんだった。

事故の2日前、対馬さんは新婚の夫が反対するなか、体調不良を押して家をでた。事故前日、対馬さんは心配していた夫に電話で「大丈夫 私 強いから」と告げていた。これが愛する夫との最後の会話となった。機内で対馬さんは手帳に夫へのメッセージではなく、不時着を想定したアナウンス文を書いていた。

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日航機墜落事故
村山良平さん
対馬祐三子

三十三回忌 日航機墜落事故 33年目の真実 (バラエティ/情報)
22:34~

1985年8月12日、墜落まで1分前の午後6時55分。飛行機の揺れは最大となり立っていることさえままならない、客室乗務員らも自らの席に座らざるを得なかった。乗務員らは安全姿勢をとるよう叫び続け、緊急着陸することを最後まで信じていた。生存者の証言によると機内はジェットコースターに乗っているような感覚だったという。ボイスレコーダーに残されてた最後の言葉は機長による「あたま 上げろ パワー」という言葉。そして午後6時56分、日航機123便は墜落した。

凄惨な事故現場、誰しもが絶望感を噛みしめるなか奇跡的に4人の乗客が救い出された。あれから32年、今年で節目の33回忌を迎えた。事故を教訓に日本航空は安全管理を徹底するなど事故の再発防止に務め、乗客が死亡する事故は起きていない。対馬さんの同僚・橋本さんは亡くなった友人たちの勇気を胸に23年間飛行機に乗り続け、乗客らの安全を守り続けた。

2017年8月12日、客室乗務員だった赤田さんの家族は御巣鷹山を訪れた。一人息子が力さん、彼がずっと抱えてきた思いとは…。

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日本航空
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御巣鷹山
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三十三回忌 日航機墜落事故 33年目の真実 (バラエティ/情報)
22:44~

2017年8月12日、客室乗務員だった赤田さんの家族は御巣鷹山を訪れた。墓前に供えられたのは毎年、夫が妻へと贈り続けた12本のバラ。彼女が亡くなってからも、再婚することなくずっと贈り続けている。今年も多くの遺族が飛行機が墜落した御巣鷹山で冥福を祈った。事故から32年、悲劇が再び繰り返さないためにも我々は忘れてはいけない。

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日航機墜落事故
群馬
御巣鷹山
赤田真理子

エンディング (その他)
22:45~

エンディング映像。

  1. 11月8日 放送