OSAKA1番らばー 2017年9月16日放送回

放送日 2017年9月16日(土) 18:58~20:54
放送局 テレビ大阪

番組概要

オープニング (その他)
18:58~

オープニング映像。庶民の癒しスポットである銭湯の数は全国において、関西が上位を占めている。1位である大阪市において、大阪人20人に銭湯好きの有名人といえばという質問でサバンナ高橋さんが選ばれた。

出演者によるトーク。銭湯好きで知られるサバンナ高橋さんはお風呂屋さんの弟子がいる等と述べ、弟子から「ここのお風呂屋さんの好きな所を3つ述べよ」と試されたことがあるエピソード等が話された。また、大阪市で銭湯が一番多いのは38軒で生野区となった。

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1万円分のチャージカード
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銭湯
生野区(大坂)

OSAKA1番らばー (バラエティ/情報)
19:02~

生野区は古き良き下町風情が残る街となっており、到るところに銭湯が存在する銭湯激戦区である。生野区の銭湯調査員としてサバンナ高橋を慕う芸人であるスマイルのウーイェイよしたかとミサイルマン西代洋が選ばれた。二人は銭湯の楽しみ方としてニューヨークと入浴と呼ばれる血管の集まる手首を上げて回転、周りの温度を下げながら入浴という方法を紹介した。銭湯について教えてくれるのは日本銭湯文化協会の町田忍さんである。町田さん曰く銭湯は江戸時代に一気に増えたものであり、大阪市内に江戸時代の銭湯があるとされた。

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日本銭湯文化協会
銭湯

OSAKA1番らばー (バラエティ/情報)
19:06~

江戸時代に急増した銭湯は、当時は「湯屋」と呼ばれていた。大阪市北区天神橋にある大坂くらしは江戸時代から昭和までの住まいの移り変わりが体験できる。その中に江戸時代の銭湯があるとされ、当時は女性は浴衣を、男性は湯ふんどしを着て入ってたとされる。昔は朝風呂が基本であり、住居にお風呂はなかったことから大坂の街の繁栄とともに銭湯文化も発展していったとされる。

生野区に銭湯が多い理由として町田忍さんはサンダルが関係ある等と述べた。生野区の銭湯が多かったのは昭和40年代であった。当時は家にお風呂を置くぐらいならサンダル生産の機械が置いたほうが良いとされ、お風呂を置く家が少ない為に銭湯激戦区となった。

生野区の銭湯38軒中21軒は温泉と称されていた。その点についてクイズ「大坂では「◯◯温泉」名乗るためにやっていたことは何?」が出題された。円広志らは温泉だから気泡で「湧き出てる感」のあるお風呂にしている等と述べた。

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大阪くらしの今昔館
天神橋(大坂)
銭湯
サンダル
生野区(大坂)

OSAKA1番らばー (バラエティ/情報)
19:14~

クイズ「大坂では「◯◯温泉」名乗るためにやっていたことは何?」が出題され、昔湯の花を入れていたとされていた。湯の花は温泉の成分が分離したもので温泉地としては入浴剤として販売されているものである。大坂の銭湯は温泉地から湯の花を取り寄せていたとされる。

大阪においては湯よりも温泉のほうが受けるために「◯◯温泉」という銭湯が増えていった。町田忍さんは東京の「◯◯温泉」については本当の温泉、大阪の「◯◯温泉」についてはただの湯等と述べた。実際にお客さんにその情報を伝えてみると、すでに知っており、「気持ちよければそれでいい」等と返した。昭和23年に温泉法が制定され、地下から汲み上げられた源泉を使っていなければ「◯◯温泉」名乗れなくなったとされる。故に大阪の温泉についてはそれだけ歴史が古いということである。

生野区の銭湯経営者で石川出身が多いワケとして、昭和40年代頃は石川県から大阪へ出稼ぎに来る人も多く、銭湯が儲かる商売であった。 その影響で同郷の人たちが続いて銭湯経営のため大阪に集まってきたとされている。とある銭湯のご主人も子供の頃に石川県からでてきたとされ、父親は元◯◯屋さんと述べ、ウーイェイよしたからを驚かせた。

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銭湯
生野区(大坂)
湯の花
温泉法
生野区(大阪)

OSAKA1番らばー (バラエティ/情報)
19:20~

クイズ「石川出身の銭湯経営者が銭湯の前に営んでいた”ある食べ物“のお店は?」が出題された。ヒントとして銭湯にちょっと関係がある、毎日食べる人もいる等と挙げられ、本田望結らは豆腐屋、お米屋やうどん屋等の回答が挙がった。正解は豆腐屋であり、関係性として豆腐屋は銭湯経営を目指す石川県民にとってもってこいの商売であった為である。そういった豆腐屋からはじめ、銭湯経営をこなしてマンション経営にたどり着いた人もいると云われた。南生野温泉においては昔銭湯経営をしていた銭湯が空襲で潰れ、豆腐屋から始めて、再び銭湯経営に戻れたという話が挙がった。関西一銭湯が多い町生野区を訪ねてみたならば、石川県民が銭湯すごろくを実現していたとされた。

銭湯経営者は豆腐屋をやっていたという問題を正解した本田望結に対し、円広志は「この番組終わるまでついて行くからな」と述べ、笑いを誘った。

クイズが出題された。大阪はあるものを作る激戦区とされ、ヒントとして原料はガラス、二重構造ガラス、銀メッキと真空と挙げられた。正解は魔法瓶であり、二重構造のガラスを真空にして熱が逃げるのを防ぐ仕組みとなっている。水筒なども魔法瓶の物が多く、大阪においては日本一の魔法瓶激戦区となっていた。ご存知のタイガーと魔法瓶はどちらも大阪に本社を抱え、100年越えで熾烈な生存競争が繰り広げられている。

魔法瓶についてのスタジオトーク。魔法瓶についての中の構造が紹介され、円広志らは「時代が変わったな~」等と述べた。また、魔法瓶メーカーにおいて全国で8つある内の6つが大阪とされた。さらに、日本一の魔法瓶の激戦区を訪れたら一斉を風靡したあの花柄は着物の柄だったと紹介された。

続いて一行は、京都でも一番人気の観光地・清水寺へ向かった。お約束の二年坂と三年坂を散策していく。京都市東山区八坂通の二年坂まるんには、水飴と佐藤をゼリー状にした和菓子があった。9月は夏と秋、両方の商品を買うことが出来るという。そして世界遺産ん 清水寺に到着。清水の舞台は観光客が必ず立ち寄る定番の場所だが、今は半世紀に一度の「平成の大改修」工事中。残念なのでとっておきのひんやりするやつを用意してもらった。

京都精華大学の堤邦彦教授は、江戸時代に描かれた清水寺を舞台にした歌舞伎の絵に、清水の舞台から飛び降りているところが描かれていると紹介。清水の舞台にはここから願をかけて飛び降りれば叶うという信仰があったという。江戸時代の後半の約170年間で飛び降り件数は235件あったというが、その中で85%が助かっているという。

堤邦彦教授は、なぜ清水の舞台は崖の上に造られたのかについて、舞台から遺体を投げ落としたという俗説があるといい、ここが巨大な墓地だったためそのような話が出来たと説明した。平安時代は、死体を野ざらしにする風葬地だったで臭いがきついため本堂を崖の上に作ったという説もあるという。

なぜ大阪に魔法瓶の会社が集中しているのか、かまいたちがリポート。魔法瓶発祥の地とも言える大阪天満宮へ。魔法瓶と大阪天満宮の関係を示す石碑を発見。大阪は長崎に次いで古くガラス工業が始まった場所で、明治45年に大阪のガラス職人が、日本で初めて魔法瓶を完成させると、大阪に魔法瓶会社が乱立。その中から抜け出したのが象印とタイガー。生き残りをかけ生存競争が繰り広げられた。今もライバル関係が続くタイガーと象印の対決は、卓上ポットから始まった。

続いて一行は祇園へ向かった。擬音と言えば舞妓さん。気軽に舞妓さんを読んで貰える京料理の名店「京料理 美登幸」にやってきた。美登幸は祇園で気軽に遊んでほしいという思いから予約すれば舞妓さんを一見さんでも手配してくれる。「八坂」は本格的な京料理で、鮎は子持ち鮎でこれも9月ならでは。たっぷりのマツタケと鱧の土瓶蒸しもある。そしてお待ちかねの舞妓さんが登場。お相手してくれるのは舞妓の美月さんと芸妓の佳つ雛さん。お座敷遊びの「お若いのチリツン」を体験することになり、三味線のミヨ作はんが見本を見せた。昭和初期までみんなで謳って踊る遊びが主流だったという。ここで祇園の裏京都の話を舞妓の厳しい裏事情をご主人が教えてくれる。

舞妓デビューする時に必ずする儀式とは?という問題が出された。

タイガーに来社し、タイガーで一番長く魔法瓶の開発に携わる森さんに聞く。象印に対抗し指一本でフタが開く卓上ポットを開発。チキンラーメンの普及に卓上ポットのふたが一役買った。象と寅が業界トップを争っていたところへ、モーレツに追い上げる第三勢力が現れた。

昭和42年に、卓上ポットの代名詞、花柄ポットをEVERESTが考案した。花柄を生み出した人物を発見。坂下さんは28歳のとき渡米し、10年かけ現地の暮らしを調査、アメリカの豊かな暮らしが花柄誕生のきっかけだった。そして花柄第1号の魔法瓶は、着物の柄が元になっていた。この花柄を象と寅が真似た。

孔雀のマークのピーコック魔法瓶工業は、卓上ポットを回転させる仕組みを考案した。

花柄も回転式も良いものはドンドン真似して改良していくのが大阪人。特許もとっているが、ピーコックが、業界全体の発展のため特許使用料を通常の1/5に設定している。

開発合戦は続き、象印がエアポンプ型を考案、負けじとタイガーが押すとお湯が出るのに加えアップダウン機能をプラス。そんな象と寅の戦いは長い時を経て、魔法瓶は宇宙に飛び出した。

象印では宇宙に行った魔法瓶も作った。求められたのは、宇宙ステーションで作った実験材料を地球に持ち帰る際、大気圏突入の衝撃に耐えながら、中の温度を4日間保つ魔法瓶を開発した。

行きたい観光地ランキングで1位の京都、夏も秋も魅力満載の京都だが、とにかく人が多い。京都の月別観光客数を紹介。9月はガクッと減り、紅葉前の今が一番穴場。

京都を案内するのは京都府観光大使を務めるチュートリアル福田、そして一緒に旅するのは三船美佳。9月ならではの京都の楽しみ方を紹介する旅、京料理 梅むらでは9月ならではの楽しみ方鴨川納涼床を紹介したいという。

鴨川納涼床は食中毒対策のため6~8月は夜だけの営業だが、5月と9月はランチで床を楽しめ、旬の魚や京野菜がお膳を彩る。ランチだと夜に比べ半額の値段で楽しめる。京都のシンボル鴨川河川敷は、恋人たちの聖地、カップルが等間隔に座る風景も京都名物の一つ。と、ここで現れたのは、京都の妖怪や怪談を研究する堤教授。

鴨川河川敷は、昔は処刑場だった。

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生野区(大阪)
銭湯
南生野温泉
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石川五右衛門
千利休
石田三成
近藤勇

OSAKA1番らばー (バラエティ/情報)
20:06~

大阪の中央区にある末吉橋を自費でかけた人の子孫を取材。平野区の末吉勘四郎重久さんは坂上田村麻呂の子孫だと明かした。坂上田村麻呂は平安時代初期に征夷大将軍として活躍。末吉さんは末吉孫左衛門は秀吉に呼ばれて大阪に引っ越し、言い伝えでは大阪城に登城しやすいように橋を自費で造ったと話した。

川島明が淀屋橋のかき広を取材した。

舞妓デビューする時に必ずする儀式とは?という問題に、三船は、一度お葬式をすると回答。正解は、先輩の芸姑と義姉妹の盃を交わす、だった。花街の秩序を乱さないように芸妓が舞妓を教育する。実はこの日も、手違いがあって舞妓さんが1時間遅刻したといい、まだ姉さんに報告していないと言うが、今回は舞妓さんに落ち度はなかったのでお咎めななかったという。

関西一の観光地・京都をあえて9月に訪ねてみたならば、おなじみの名所でいつもよりヒンヤリ出来た。

大阪といえば、水の都。張り巡らされた川で様々な食料品を運んだおかげで、天下の台所を呼ばれた。そのため橋が自然と多くなり、浪華の八百八橋という言葉があり、現在の大阪市内の橋の数は884本。そんな橋にまつわる関西一番としてサバンナの八木が登場。ギャグの数が関西一多いという。橋の面積が大阪市は関西で一番で約700000平方メートルでダントツ。関西市の橋の都を川ブラしてみたならば、 超高級料亭吉兆のルーツは広島からの出稼ぎ船だったことを発見したという。

それ、テレビ大阪やろ。の宣伝テロップ。

八木を、麒麟の川島明がサポート。案内してくれるのは、大阪の橋に関する本を書くなど、橋の魅力に取りつかれた大阪大学の橋爪節也教授。まずは京セラドームから出発し、道頓堀川を東へ進む。川を進みながら、住吉橋や湊町リバープレイスなどを通過。四ツ橋筋を通過する時に、四ツ橋と長堀橋の交差する場所には何があったかという問題が出された。今はなき2つの川が交差する場所が四ツ橋で、4つ橋がかかっていたから。例えば心斎橋の交差点も昭和37年までは長堀川が流れていたため立派な橋がかかっていた。よくよく見れば欄干や石柱など当時の名残を見つけることが出来る。

そのまま一行は、道頓堀川を抜け、東横堀川を北上し、中之島の辺りまで出てきた。淀屋橋は御堂筋にかかる橋ということで8車線分の広さがあり、太い箸が多いので橋の面積が大きい。そして淀屋橋は大阪独特の造り方をされた橋だといい、淀屋という豪商が作ったので淀屋橋という名前になったという。

約400年前、豪商として知られていた淀屋が米市を開いた。米の売買を管理して一儲けを考えたが、当時諸国の大名たちの米蔵があったのが川向の中之島だが、米市と中之島を結ぶ橋がなかったため、不便だったので、自宅前に自費で橋をかけてしまったという。その結果米市も大繁盛し、巨万の富を手にしたのだった。江戸時代に大阪にあった約200本の橋の内、9割以上は町人が自費でかけた橋だったという。長堀通りと松屋町筋が交差する辺りにある末吉橋は約400年前にかけられた橋。

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東横堀川
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OSAKA1番らばー (バラエティ/情報)
20:23~

川島明が淀屋橋の料理店かき広を取材した。川岸に建てられているようだが、船そのものだった。吉見三千夫さんは先代が広島から船で運びここで始めたとし、橋爪節也教授はここらにはたくさんかき船があったと話した。

牡蠣の季節になると広島からかき船が出稼ぎに大阪にやってきた。多くのかき船で大阪の川はいっぱいになった。橋爪節也教授はかき船がルーツの料亭もたくさんあるとし、吉兆もかき船がルーチだとした。2人は高麗橋吉兆を訪れた。創業者の孫で現当主の湯木潤治さんは祖父のおじいさんは広島で夏場は農業、冬はかき船をしていたと話した。川島と橋爪教授は夏牡蠣の特製かきめしを食べて絶賛。社長は特別牡蠣に思い入れはないと話した。

自転車乗りの聖地と呼ばれる暗峠は斜度40%、まるで壁の様な坂。アンタッチャブル柴田と矢口真里が坂マニアのさんの案内で暗峠を自転車で取材。ここは1300年前に作られた歴史街道だった。

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国道308号
暗峠

OSAKA1番らばー (バラエティ/情報)
20:35~

関西一急だという暗峠は、国道308号線。この坂を自転車で駆け上る矢口真里、柴田英嗣、沢村耕太さんだが、3分足らずで漕ぐのをやめた。急坂は2.5キロにわたって続き、もっとも急なところは40.1%もあった。この坂は、奈良時代に難波と平城京をつなぐ道として設置されたもので、通常は人や車への負担を軽減するために蛇行させるが、最短距離でつないだために道がまっすぐになり、傾斜がきついという。暗峠は重要な歴史街道だったのだ。

鑑真や松尾芭蕉も通った道で、江戸時代にお伊勢参りが流行したときには1日7万人もの人々が行き交ったといわれている。麓からスタートして1時間、柴田ら3人が頂上に到着すると、そこには暗峠に魅了されて本まで書いた杉山三記雄さんがいた。地面が途中から石畳に変わったことについて、江戸時代には大名の参勤路に使われた道だったため、ぬかるみで滑らないように石畳が敷かれたという。本陣跡に建つ「峠茶屋 すえひろ」は、自転車乗りだけでなく健康志向のシニア層にとっても聖地になっている。現在は峠の集落に12世帯が住んでいるが、ほとんどは60歳以上の兼業農家。茶屋の主人の山田末広さん・三佐子さん夫婦に話を聞くと、街に出るときは生駒側に出るほうが楽だという。

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松尾芭蕉
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OSAKA1番らばー (バラエティ/情報)
20:45~

柴田と矢口は、暗峠の大阪側の急坂を27年間、毎日通っているという中村春夫さん・美雄さん兄弟を発見。峠で土地を借りて無農薬野菜を育て、その野菜をエサに鶏も育てていた。いま、その卵が美味しいと評判になっているという。柴田らは卵かけごはんを堪能した。さらに、「パティスリー RECHERCHE」の高木基弘さんは、この卵を使って「くらがり峠 愛情プリン」や、焼き菓子などを作っているという。この卵は、中村さんの亡くなった母親に美味しい卵を食べさせてあげたいという思いから生まれていた。

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くらがり峠 愛情プリン

エンディング (その他)
20:51~

円広志は自身の人生を坂に例えて「下り坂が海抜をえぐってしまった」と笑いを誘う。それに対し、本田望結は「嬉しいことがあると苦しいこともあるし、苦しいことが続けば、上り坂もある」と語った。

スポット

グルメ

京料理 梅むら
二年坂まるん
パティスリー RECHERCHE
高麗橋吉兆
かき広
吉兆
京料理 美登幸
峠茶屋 すえひろ

スクール/教育

京都精華大学
大阪大学

レジャー/交通

大阪城
京セラドーム
日本銭湯文化協会
湊町リバープレイス
大阪くらしの今昔館
末吉橋

住まい/暮らし(家庭用雑貨)

タイガー

宗教

大阪天満宮
清水寺

美容/健康/医療

南生野温泉
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