生前、親がお世話になりました 親探しの旅

放送日 2018年12月30日(日) 11:00~12:55
放送局 テレビ大阪

番組概要

オープニング (その他)
11:00~

オープニング。今日の番組のダイジェストが流れた。

生前、親がお世話になりました 久本雅美 (バラエティ/情報)
11:00~

久本雅美が母の故郷・徳島へ自分が知らないオカン探しの旅をした。母親の久本敦子さんは美波町木岐で生まれ育ったということで町を訪れた久本。最初は敦子さんが生まれた家にいとこが住んでいるということでJR木岐駅から向かった。途中で男性が家の前で作業していたので母親のことを知っているか聞いたのだが82歳の阿部準次郎さんは敦子さんの実家である「木里さん」は知っていると話していた。だが詳しくは知らないということで再び町の探索を続けたが町は海岸も近いということで船場で作業をしている女性達がいて話を聞くと伊勢エビがとれるという。そして女性達から記念に伊勢エビ、サザエ、ナマコなどをもらいその後も町の人に聞き込みをしていた。だが中々知り合いはいなかったのだが途中でお城のような豪邸があり、久本はこの家が昔からあったとしていたが実はこの豪邸は久本とは因縁があるという。

久本に母親のことを聞くと敦子さんは穏やかな明るさだったといい、教育熱心で真面目だったという。そして実家に到着したのだが64歳のいとこの木里雅廣さんが出迎えてくれた。敦子さんはこの家で暮らしてきたはずだが久本はよく知らないということで写真などがあるか聞いたのだがあまりないという。だがいくつか貴重な写真があるということで見せてもらったが祖父にあたる木里政岩さんは女形をしていたということで芸者姿の写真があった。そして敦子さんが結婚前の20代とみられる写真があり、他に地元の学校の卒業生をまとめた卒業アルバムもあったのだがちょうど敦子さんの世代の昭和20年は終戦時ということで写真がなかった。徳島は軍事工場があった影響もあり7回も空襲を受けていてこのアルバムには変わりに同級生の名前があった。そこでこの中から今も近くにいる人を聞いたのだが何人か該当者がいるということで敦子さんの学生時代のことを調べることにしたのだがその中には先ほど見かけたお城のような豪邸の家の人も含まれていた。

スタジオトーク。番組のコンセプトを説明。久本が母親のことを調べに地元の徳島に帰ったということを話した。30年ぶりだというが余り変わっていなかったといい、母親は木岐小学校に通っていたがちょうど母親の世代が終戦時だということで卒業アルバムには写真がなかった。だが変わりに同級生の名前があったことから母親の学生時代のことを聞きにいったことを話した。

久本雅美の母探し。いとこの家を訪ねると、母の幼馴染という友人の木里輝子さんが出迎えてくれた。久本雅美を見ると、生前の姿に生き写しだといい、学生時代は賢くつつましやかで担任の先生も手本にするように言っていたと答えた。同級生の1人の家を訪れたが、恥ずかしいといってカメラの前に出てきてくれなかった。久本雅美は食い下がり、カメラが入らないとの約束で20分ほど話を聞くことができた。

コンビのトラブル請け負います小藪の仲裁さんの番組宣伝テロップ。

キーワード
久本敦子
木岐(徳島)
木岐駅
伊勢エビ
ナマコ
サザエ
女形
徳島県

生前、親がお世話になりました 久本雅美 (バラエティ/情報)
11:21~

久本雅美の母探し。母の同級生の花木トヨコさんはカメラの前に出てきてくれなかったが、話を聞くことができた。中学時代の写真が収められたアルバムが保管されており、学生時代の母親の写真を見つけることができた。大柄な体格で、学芸会では校長先生のものまねを演じていたという。

久本雅美の母探し。別の同級生が営むという「橋口酒店」を訪ねると、83歳の橋口禧榮さん、姉の橋口隆子さんが出てきてくれた。写真を家に帰って探してくれるといい、しばらく待つと「木岐幼稚園」の頃の写真も見つけることができた。

久本雅美の母探しを振り返ってトーク。久本雅美は、幼い頃の写真を見ても不思議と自分の母だとわかったと答えた。

久本雅美の母探し。続いて城に住むという母の同級生のもとに向かった。家が立派すぎてお礼を言いに行くというよりお宅拝見のよう、などと話しながら玄関に到着。訪問に反応して庭先の滝が流れ始めた。

この後 城主に遭遇!

キーワード
敦子さん
木岐(徳島)
渡辺直美
木岐幼稚園
徳島県

生前、親がお世話になりました 久本雅美 (バラエティ/情報)
11:32~

久本雅美が母の同級生を訪ね、お城のような自宅に向かった。家の入り口で音が流れ、これがセンサーによって滝に水が流れる事を確認し驚きの声をあげていた。早速、母の同級生 柿本健兒さん83歳が登場…この家は子供の頃から高い所に住みたいという夢を実現させたものと説明された。ここで柿本さんも母の写真を持っている事を確認…更に久本家を揺るがす衝撃の事実が発表。それは久本の祖父が、柿本さんに「娘を貰ってくれんか?と言われた」と明かした。その後、久本は日和佐高校の写真をみつけ、高校時代の母の姿を確認…真面目で綺麗だった事が伝えられた。また柿本さんも久本の母が好きだったと告白するも「こういう綺麗な人と寝たいなと思った」と述べると、久本は「どれぐらい凄い城主が出て来るのかと思ったら、ただの下ネタ好きのオッサンでした」と笑いにしていた。

再び、久本は従兄弟の木里雅廣さん宅に向かった。 いつも笑顔で迎えてくれる雅廣さんの妻、幸子さん62歳…今も元気な母の妹 圭子さん70歳が出迎えてくれた。久本は「笑うとオカンにソックリやわ…」と嬉しそうに述べ、久々の再会を喜んでいた。また久本が幼少時に食べていた「小アジのお寿司」も出されると、「日曜日で時間がある時は必ず、これ作ってましたから…めっちゃ好きです」と説明。更に朝、久本が漁港でゲットした伊勢エビとカワハギの刺身も登場…久本も笑顔で楽しんでいた。ここで、お母さんの写真が見つかったと発表。それは順次さんが出征する前に撮った写真で当時6歳だったと紹介。

続いて久本は母が通った保育専門学校時代の同級生 須川チヱカさん83歳に会いに向かった。ここで久本は、全く知らなかった事実が発表。それは寄宿舎生活をしていた事で、久本は「寮生活をしてたんですか?初めて知りました」と述べ、当時の写真が公開…須川さんは「宝塚の男優さんだったらいいのにと思うぐらいモテましたし、女性でも憧れの存在でしたよ」と語った。最後、久本は「真面目でキチっとした人やったんやなて実感しますね…何であんな素敵な人から酒飲みが産まれてきたんでしょ?」と笑いにしていた。

スタジオで久本雅美が登場。久本は「皆さん、母の事を良く言って頂いて嬉しかったです。また城主の柿本さんは口の周りが茶色かったんですけど、チョコレート食べてたと笑いながら言ってました」と暴露していた。また久本が三船に「お父さんは偉大な人でしたけど…」と聞くと、三船は「デビューする前って、うちの父は中国で生まれてるんです。だから写真家さんをやっているお父さんの元に生まれたからカメラマンになりたかったって聞いてます」と明かした。

たけしの新・世界七不思議大百科の番組宣伝テロップ。

キーワード
日和佐高校
木岐(徳島)
伊勢エビ
小アジ
カワハギ
ナマコ
サザエ
三船敏郎
チョコレート
徳島県

生前、親がお世話になりました 石田純一 (バラエティ/情報)
11:41~

続いて挨拶して回るのは、俳優 石田純一さん。この後、石田は激動の人生を支えてくれた母を探す旅に出る。

生前、親がお世話になりました 石田純一 (バラエティ/情報)
11:44~

俳優 石田純一が母の故郷 神奈川・川崎市宮前区に向かった。石田純一が最初に訪れたかった場所は、母親が亡くなるまで暮らしていた家…主がいなくなって10年、当時のまま残していると伝えられた。また母 静枝さんと石田純一、いしだ壱成さんが写った写真も紹介された。また石田さんの宝物は石田さんが出演した作品が録画されたビデオテープも残され、石田は「母親が書いた文字です。またドラマや映画など全て残っています」と説明した。10年前 79歳で亡くなった母 静枝さん…今回の旅で石田は自分が知らない母の一面を知りたいと伝えられた。旅が始まる前、石田は「本当に太陽のような明るい人で、子供を信じてくれていた人です。父親が厳しかったので、その分 母親が意識して優しくしてくれてたのかなぁと思います」と語った。ここ石田家は昭和48年 石田が大学1年生時から暮らし始めたと伝えられた。残っているアルバムには、売れない役者だった頃の写真もあり、石田は母に「将来役に立つからと3万・5万円と無心していました」と明かした。当時、クラークハッチというスポーツクラブがあり、高倉健さんや小林稔侍さん、北大路欣也さんとかがいらっしゃった…若手は俺と渡辺裕之ぐらいでした。当時、みんなで身体を鍛えてました」と明かした。

平成元年 父 武さんが63歳で亡くなった。その後、母 静枝さんは18年間 静かに暮らしていたが一度だけ騒動が起きた。しかし96年 石田が発した「不倫は何が悪い」の言動により家に取材陣が殺到したと紹介された。またご自宅にはテレビ前にロッキングチェアが置かれ、生前 石田や孫が出演した作品を見ていたと伝えられた。そして石田が生前の母をよく知る お世話になった人として思い出したのは、浅田さんっていう方…当時、同じ棟に住んでいた方で3回忌で会った以来の再会となる。

キーワード
宮前区(神奈川)
いしだ壱成さん
石田静枝
きのうの敵は今日も敵
黒木瞳
さよならをもう一度
秋吉久美子
森田芳光
鈴木保奈美
愛と平成の色男
石田武
早稲田大学
石田桃子
高倉健
小林稔侍
北大路欣也
渡辺裕之
スポーツニッポン
不倫は文化

生前、親がお世話になりました 石田純一 (バラエティ/情報)
11:52~

石田が生前の母を知るため、浅田さんのお宅を訪れた。ご自宅にいらっしゃる事を確認し「母の事を伺いたくお邪魔しました」と説明…浅田さんは快く引き受けご自宅に受けれいた。浅田明美さん71歳は母 静枝さんと30年以上の近所付き合いがあり、当時の事を話してくれる事となった。またご主人 浅田幸男さん73歳も同席し話をする事に…早速、浅田さんは、たまに実家に帰ってくる石田さんの姿を見かけた事があると明かし、素敵な車でいらっしゃってたから家族で今日は来てるのねと話してましたと語ると、石田は「一度、母を乗せた時に この車は忙しいわね。体が前に行くし…疲れちゃうわと言われました」と語った。当時、仕事が忙しく実家に帰る事は少なかった石田は一人暮らしの母親が気がかりだったと明かすと、浅田さんのご主人が「お母さんのファンの方が決行おられましたよ」と明かすと、石田は驚きの表情を見せていた。実は、母 静枝さんは地区の文化祭で朗読する人気者…浅田さんは上品で綺麗で優しい方でしたからと説明した。

石田の母 静枝さんは優しすぎる事から3000万円の詐欺被害にあった事がある。石田は「人が良すぎて…騙されてるんだよと言ったけど、あんたはいつから人を疑うようになったの?と言われてました」と明かした。ここで浅田さんから忘れられない光景があり、それは自分達に孫が生まれた時、石田の母 静枝さんが亡くなる2ヵ月前だったが、静枝さんは足が悪いにも関わらず自宅に来ていただき、赤ちゃん見せてと来て下さって…抱っこしていただいたんですと静枝さんの優しさを語った。当時、浅田さんが玄関に置いた椅子に腰掛けながら優しく孫を抱っこしてくれたと述べ、その年の10月に亡くなられたと伝えられた。

ここで浅田さんご夫婦が静枝さんを想い続けている事が紹介。それは石田の母 静枝さんがお気に入りの庭の手入れで、10年前に静枝さんが亡くなった後も続けていると伝えられると、石田は「有難うございます」とお礼を述べていた。浅田さんは「お掃除していると静枝さんも喜んでくれるかなって思って続けています」と笑顔で語った。石田は、「人間はよく2度生きるって言われます…自分の人生と人の心の中で生きているっていう。今まさに そういう時なのかなって思いました」と語った。

スタジオで石田が母 静枝さんについてトーク。久本は「あんな綺麗で優しいお母さんに対して…スポーツクラブのお金とかどういう事なんですか?」と突っ込まれると、石田は「本当にバカ息子だったと思います。最悪ですね」と語った。また久本は「先の見えない仕事ですから…これは芸能人は皆、ありますよね」と述べると、三田村は「僕の家は勘当でした…だから1週間を50円で過ごす時とか母親から書留で5千円とか1万円とか送ってくるんですよ。母親って凄いなて思いましたよ」と明かした。

続いて、石田が向かったのは東京・下目黒。石田にとって記憶の大半は東京・目黒区下目黒と伝えられた。昭和29年 東京生まれ 姉の桃子さんと4人家族で父 武さんはNHKの看板アナウンサーとして活躍…東京オリンピックやケネディ大統領暗殺事件、アポロ11号 月面着陸の実況や司会と担当していた。その父親の転勤によりアメリカ・ワシントンで幼少期を過ごす事となる。そして昭和37年 8歳から14歳までをNHKの社宅がある東京・目黒区下目黒で生活をする事となった。石田は、月一で必ず家族連れで訪れたのは「目黒不動尊」で、縁日に合わせ出かけた石田にとって格好の遊び場となった。ここで石田は、聞き込み調査を開始…果たして、石田は母がお世話になった人を探し出せるのか?

早速、石田は和菓子屋さんや、お茶屋さんなどで調査するも記憶はあっても、お世話になったまでの人には出会えず時間は過ぎていった。ここ下目黒で暮らしたのは50年以上も前の事…当時、日本は高度経済成長期…誰もがドコにでも明るい未来を信じていた時代だった。石田が探し続ける中、「八つ目や にしむら」を発見…ここは石田家 家族で訪れた事を述べ聞き込みをすると松本清さん55歳は「お近くにお住まいだったというのは、よく存じてます…うちの親父とかお袋だったらね。ただ、すぐそばで八百屋さんやってた川合さんって方は、石田さんのお母様とお父様がよく買い物にいらしてたんだと言ってました」と明かすと、石田も驚きの声をあげた。早速、石田は川合さん宅に向かう途中で「かつてスーパーだった気がするんですけど…」と述べていた。ここは約50年前は目黒不動商店街で実際にスーパーがあったと写真が紹介。

石田が、川合さん宅に到着。そこに男性が現れ、石田は「生前 母親がお世話になっていたかもしれないんですけど…」と述べると、川合征司さん75歳は「いや~、いつも買い物に来てくれました。素晴らしい奥様なんですよ~。平和な家庭の奥様だというお手本のような方だったんです。配達 致しましたよ」と笑顔で語ってくれた。また憧れの存在だった静枝さんに相談を持ちかけた事を明かした…それは、4番目の娘が生まれた頃 静枝さんに「良い名前ありますか?って相談したら、静枝さんに上が桃子で下を太郎にしたんですと聞いて、桃子にします決めたんです。同じ女性に生まれたなら奥さんのようになってもらいたいなって気持ちで…」と述べると、石田は笑顔でお礼を述べていた。人様の子供の名前まで影響した母 静枝さんの優しさを改めて感じた石田は「嬉しいですね」と語った。ここで聞き込みに手詰まりを感じた石田は、姉 桃子さんにヒントを得ようと連絡…桃子さんは心当たりがあると述べ、一緒に行く事となった。お姉さんと待ち合わせるまでの間、石田は「八つ目や にしむら」でうな重定食(上)3200円を食べる事にした。母 静枝さんの思い出の味に石田も「油の抜け具合が丁度良く美味しいです」と感動していた。

石田は音楽家でもある姉 桃子さんと合流。3つ違いの兄妹で子供の頃から仲良しと紹介。ここで俳優を目指していた時の話となり、桃子さんは「全く売れない頃から 何をやるんだか分からない頃から応援してくれたよね。よく お袋はメデタイけど父親が厳しかったし、グデングデンにやられたよね」と明かした。その後、桃子さんが案内したのは川崎市の団地で別の棟に住む、中西公子さん75歳。静枝さんとは40年以上の付き合いがあったと紹介。中西さんは「どこの母親も同じよね…例の不倫は文化の時には運が悪かったと静枝さんも心配してましたよ」と明かした。この21年前、「不倫は文化」報道の裏に中西さんは静枝さんはマスコミが来た時、ドアを開けてお話をされるの…ドアを開けちゃダメよと言ったら、彼女は仕事で来てるから、何も情報がなくてお帰りになったら困るでしょう?と言ってた事に驚きました」と明かした。石田は「ネタを与えないためにも喋んないでって言って分かったと返事してたけど、次のテレビでは自宅にあがってるから、何するんだよって言ったら、気の毒だから…優しいというか何というか…」と語った。中西さんは「自分の弱点は子供にうつると言うじゃないですか?静枝さんも そういう所、あるし我が息子だからしょうがない…おっちょこちょいかなと言ってました」と語った。

石田は、母 静枝さんの晩年は多忙な仕事の合間を縫って頻繁に実家に立ち寄るようにしていたと明かされた。それでも気付かなかった一面があったようで中西さんは「亡くなる直前、お一人で杖をついて散歩してました。意外に孤独に強かったと思います。声がかけられない時もあったけど、子どもたちに迷惑をかけたくない気持ちからだと思いました」と語ると、石田は「僕らには何も言わなかったですね」と語った。またお葬式時の話で、中西さんは石田が素足だった事を明かし「やっぱり履いてなかったわ…お母さんは純一、そろそろ冷えますから。履いたらいかがですか?って言ってましたよ。お母さんの気持ちを言いました」と笑顔で語ったくれた。

スタジオで石田純一の母 静枝さんについてトーク。つるのは「他人の話で、これだけ人柄が伝わってくる方って凄いなって思いました」と語った。

石田純一と姉 桃子さんが久しぶりに2人で実家に戻った様子が紹介。優しかったお母さんの思い出話をしていると、ここでドアが鳴った。

コンビのトラブル請け負います小藪の仲裁さんの番組宣伝テロップ。

キーワード
石田静枝
ポルシェ
フェラーリ
宮前区(神奈川)
詐欺
ワシントン(アメリカ)
石田武
石田桃子
NHK
東京オリンピック
ケネディ大統領暗殺事件
アポロ11号
下目黒(東京)
高度経済成長期
東海道新幹線
エリザベス・テイラー
グレース・ケリー
うな重定食(上)
スポーツニッポン
不倫は文化

生前、親がお世話になりました 石田純一 (バラエティ/情報)
12:19~

石田純一と姉 桃子さんが久しぶりに2人で実家に戻った様子が紹介。優しかった母 静枝さんの思い出話をしている所でドアが鳴った。玄関に行くと、そこに現れたのは長男 いしだ壱成さん。学生結婚した石田純一は20歳で壱成が生まれ父親となった。その後、石田純一は離婚した事で2歳から16歳まで会う事がなかった…その間、母 静枝さんが壱成さんを常に気にかけ面倒を見ていたと伝えられた。いしだ壱成は「自分が石田家に近づいちゃダメだと思っていたが、スージー(静枝さん)がフォローしてくれて向ヶ丘遊園に連れて行ってくれ、絶叫マシーンや回る乗り物に一緒に乗ってくれたんです。でも乗った後、耐えてる顔を見てました」と明かすと、石田純一は「相当、無理してたと思う」と語った。父親らしい事は何も出来なかった石田純一に変わり、静枝さんは孫のいしだ壱成を守り続けていた事が伝えられた。石田は「自分に力がなかったし迷惑をかけっぱなしだったけど受け入れてくれた…我々が叩かれた時もあったけど、母は味方なんだよね」と述べると、いしだ壱成は「平和という考え方が親父と同じ…すごい似てると思う。天真爛漫で笑顔や話し方も似てて、話してると論点がズレてくんだけど…」と笑いにしていた。ここで、いしだ壱成が芸能界に入ってから聞いた静枝さんの話が発表…それは俳優 石田純一に対する想いで、大先輩が近くにいるんだから意地を張らないで素直に聞きなさい。太郎(石田純一)を見習った方がいいよって言われたんです」と明かすと、石田純一は「ちょっと意外…知らない一面でもあったかな…迷惑をかけた事が多いし、ほとんど俺の知らない事を後から聞いてる。それだけ母親は偉大だと感じます。実際に優しくて素敵な人だったなと思いますし、生まれ変わっても、あのお袋の子供で産まれたいなって思います」と語った。

石田純一 の母 静枝さんの歴史が紹介。昭和23年 父 武さんと静枝さんが結婚。昭和29年 石田太郎(石田純一)が誕生、昭和32年 家族でアメリカ・ワシントンで生活…常に息子の成功を祈り続けた母 静枝さんだった。

スタジオで石田純一の母 静枝さんについてトーク。石田は涙を浮かべながら「子供も母親の人生の一部だったんだなと…母親も考える事がある中で子供も一つなんですね」と述べると、久本は「靴下履かないと怒られちゃうよ!」と笑いにしていた。ここで、つるの剛士が「こんなん見てたら、僕も行きたくなっちゃいますよね」と述べると、久本は「うん、行ってきて!スタッフさんだって待ち構え…そうでもないみたいですか?」と笑いにしていた。

キーワード
石田静枝
向ヶ丘遊園
石田武
ワシントン(アメリカ)

生前、親がお世話になりました つるの剛士 (バラエティ/情報)
12:27~

スタジオで言った一言で、つるの剛士が父の故郷、福岡・北九州市に向かう事となった。つるのは「本当に来ました…この番組、凄いですよね」と述べつつ、門司港をスタート。ここ福岡・北九州市門司区は山口県と結ぶ福岡県 最北端の場所…かつて門司港は明治から昭和にかけ石炭などを輸出する貿易港として栄えた港町である。そしてこの町で生まれたのが鶴野貞雄さん(享年59歳)…約6年前に亡くなった父が19歳まで過ごした町と説明。つるのは「親父の生まれた時から少年時代…その辺の話を聞いてないので知りたいです」と語った。つるのは1997年 22歳時にウルトラマンダイナで主演、その後は大人気ユニット 羞恥心のリーダーとし大ブレイクした。現在、5人のお子さんを育てるイクメン…実は、つるのは父のような親になりたいと思っていたと伝えられた。つるのは「親父ま真面目一徹で仕事熱心で前向きな人でした。育児休業とか取らせて貰いましたけど、あれも親父の影響なんです。仕事頑張るのも当たり前だけど、家庭守るのも当たり前と教えられたんです」と明かした。

つるの剛士の父、貞雄さんの紹介。銀行マンだった父は とにかく真面目で仕事も家庭も全力投球だった。朝から晩まで働きながら家族にも愛情を注ぐ…そんな剛士さんが憧れだったつるの剛士が、父の聞き込み調査を開始。まずは商店街からスタートすると…様々な情報が出てきた。

キーワード
鶴野貞雄さん
羞恥心
北九州市(福岡)
イクメン
関門大橋
ウルトラマンダイナ
門司区(福岡)
鶴野貞雄
鶴野令子
マトリョーシカ

生前、親がお世話になりました つるの剛士 (バラエティ/情報)
12:33~

つるの剛士が父の故郷 福岡・北九州市門司区にある栄町銀天街で聞き込み調査。早速、商店街で調査を始めると様々な情報をもとに手島さんという方を訪れる事となった。玄関で出迎えたのは手島厚子さん65歳…手島さんご夫婦は父 貞雄さんと同級生だった事を確認。ここでつるの剛士は手島さんから「お父さんは大人しい方でシャイだったんです。3年生時にクラスが同じで席が後ろだったんですけど…坊主頭なのにクシで頭をとかしてたんです」と当時の写真を見せてくれた。当時、昭和44年の7月から長髪委員会と呼ばれるチームがあり、坊主頭から長髪許可が出た事が当時の学校新聞で紹介。そこで長髪の許可が出た事で、父 貞雄さんの嬉しくてクシを出したんだろうと伝えられた。つるのは「短髪だったストレスでしょうか?晩年までクシはずっと持ってましたよ…」と明かした。

つるの剛士が学校新聞にある「さらば一言」を発見。そこに父 貞雄さんの「友は人生をかえる」と記されていた。ここで、つるの剛士は「仲の良かった友達いませんか?誰が人生を変えたのか?」と言うと手島さんから「多田さんと仲良かったよね」と情報をゲット。

早速、つるの剛士は多田さんに会いに行く事にした。ところが…。

たけしの新・世界七不思議大百科の番組宣伝テロップ。

キーワード
鶴野貞雄
門司区(福岡)
門司区(福島)

生前、親がお世話になりました つるの剛士 (バラエティ/情報)
12:41~

つるの剛士が父の故郷・北九州へ多田さんを訪ねにいった。ところが、寄りたい場所があると途中下車した。おじいさんの所に顔だけ寄り道する。母方のおじいさんだそうだが、突然の孫の訪問にびっくりしていた。つるのさんのお父さんの印象は「真面目だった。」と言う。福岡県宗像市の多田さんを訪ねた。つるのさんのお父さんとは高校まで同じ学校だったと言う。特に高校時代は大親友だった。そんな多田さんに話を聞くと父親の知らなかった一面が見えてきた。本当に人の気持ちが分かる人であたたかい人だったと言う。高校の時にお母さんと出会ったきっかけはギターだったとのこと。

キーワード
宗像市(福岡)
鶴野貞雄
北九州市(福岡)
上地雄輔
アルハンブラ宮殿の思い出
鶴野令子

生前、親がお世話になりました つるの剛士 (バラエティ/情報)
12:48~

多田さんが語る衝撃の事実。貞雄さんのおじいちゃんと娘の嫁ぎ先のおじいちゃんは兄弟で娘さんはつるのさんだと言う。遠い親戚になるという事実が発覚した。最後は多田さんとドライブでお父さんの思い出を語り合った。

キーワード
鶴野貞雄
宗像市(福岡)

生前、親がお世話になりました つるの剛士 (バラエティ/情報)
12:52~

お父さんが生まれ青春時代を過ごした街でお世話になった人を巡った旅。自分の知らなかった一面に触れたつるのさんだった。

キーワード
鶴野貞雄
北九州市(福岡)

エンディング (その他)
12:54~

大阪密着24時の番組宣伝。

  1. 前回の放送
  2. 12月30日 放送