世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜 世界で大尊敬される日本人SPあすよる9時!

放送日 2018年9月9日(日) 16:00~17:00
放送局 テレビ大阪

番組概要

世界ナゼそこに?日本人 (バラエティ/情報)
16:00~

今回はマチュピチュを世界遺産にまでお仕上げた知られざるスゴい日本人。約90年前、当時世界的に無名だったマチュピチュの麓に村を作り上げた日本人がいたという。日本人が作った村はマチュピチュの玄関口になっている。

その謎を探るべくマチュピチュへ。日本からペルーまでは飛行機で約25時間。国内線に乗り換え約1時間、経由地のクスコにたどり着いた。標高3400mにある町で高山病への注意が必要。そしてペルーレイルとバスでマチュピチュへ移動。日本から約30時間で到着。マチュピチュは15世紀に作られたインカ帝国時代の秘密都市と言われ、ハイラム・ビンガムが発見した。その後は長いこと放置された。その後日本人の奮闘により世界遺産に登録された。マチュピチュは新世界七不思議の一つで遺跡のほとんどが謎ばかり。

マチュピチュの麓にあるマチュピチュ村は観光の玄関口。その村を日本人の野内与吉さんが作った。彼は村の初代村長になっている。約50年前に他界、彼がいなければマチュピチュは世界に知れ渡ることはなかった。番組では世界中に暮らす野内さんの親族を徹底捜索、なぜペルーに来ることに?どうやってマチュピチュを世界遺産?の謎について伺った。その裏には後世に伝えるべき日本人偉人伝説があった。

1917年、第一次世界大戦の真っ只中、福島・大玉村で生まれた21歳の野内与吉さんは、ペルー契約移民募集の張り紙をみてペルーに渡ることを決断した。22歳で500人の日本人と共に移住しサンニコラスの農園で働くことになった。そこで待っていたのは想像と違う現実だった。赤痢やコレラが蔓延、半年で43人が亡くなった。日本人移民は奴隷のように扱われた。命の危険を感じた野内さんは農園を辞めペルーを放浪した。

そして小さな町の雑貨店で住み込みの仕事を行ったが店は火事で全焼した。無一文になり、ペルー国鉄の鉄道工事要員募集のチラシを見つけた。現地人がやりたがらない危険な仕事だったが、空腹を満たすために応募した。働くことになったは未開のジャングル。ケチュア族の子孫と工事にあたった。一番の問題は食糧不足、食料調達のためには数十キロ離れた町まで徒歩で買い出しに行くしかなかった。

野内さんはこの地で人生の転機となる意外な体験をした。食糧不足の中、住民が食糧を分け与えてくれた。家族のように迎い入れてくれたことが何よりうれしかった。当時ペルーでは階級社会が存在し、インカの子孫は差別を受けていた。日本人移民も最下層の扱いで一緒に助けあった。野内さんは自分が恩返しをする番だと考えた。それによりマチュピチュが世界遺産として注目されていく。野内さんは工事の合間に住民の食糧の確保するために、集落に水道を通してレタスなどを栽培した。さらに日本の技術を活かし電気も通した。

その後、第二次世界大戦がはじまり、日本人は次々と逮捕され強制収容所に送られた。野内さんは他の住民の家で身を隠すことになった。

「世界ナゼそこに?日本人」の番組宣伝テロップ。

「世界ナゼそこに?日本人」の番組宣伝。

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ハイラム・ビンガム
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野内与吉さん
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大玉村(福島)
サンニコラス(ペルー)
赤痢
コレラ
野内与吉
毒蛇
クマ
高熱病
ケチュア族
インカ
レタス
ニンジン
水力発電
第二次世界大戦

世界ナゼそこに?日本人 (バラエティ/情報)
16:33~

「世界ナゼそこに?日本人」の番組宣伝。

マチュピチュが世界遺産になった一番の功労者は日本人、マチュピチュはあることをして観光地になったなどと話した。

ペルーの住人と助け合い生活してきた野内与吉さんは第二次世界大戦の真っ只中に、逮捕されないように住人に守られた。暮らしていた集落は最初は20人ほどの集落だったが水や電気を目当てにして人口500人の村になっていった。こうして出来たのがマチュピチュ村。野内さんは11人の子どもを抱える大家族の父となった。その後、鉄道の仕事もやり遂げ、クスコとマチュピチュ間の鉄道ペルーレイルが完成した。

野内さんは53歳の時に村長に就任、無給で働きながら学校を作るなど村のために大奮闘、あるものを作りマチュピチュを世界的観光地に押し上げた。

「世界ナゼそこに?日本人」の番組宣伝テロップ。

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第二次世界大戦
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マチュピチュ村(ペルー)
クスコ(ペルー)
ペルーレイル

世界ナゼそこに?日本人 (バラエティ/情報)
16:44~

「世界ナゼそこに?日本人」の番組宣伝。

マチュピチュが世界有数の観光地になる前にマチュピチュ村の村長だった野内与吉さんはノウチホテルを作った。当時村人はホテルを作ったことが不思議だったという。野内さんはマチュピチュ遺跡に目をつけて観光に活用することを考えた。当時は観光客はゼロ、しかし観光の礎となるホテルを作った。ホテルは開業から半世紀後、野内さんが亡くなった14年後に、息子のホセ野内さんが政府にアピール、マチュピチュは世界遺産に登録された。現在のマチュピチュ村は世界有数の観光都市に成長、村人の90%が観光業で生計を立てている。人生の大半をマチュピチュ村で過ごした野内さんは一度だけ日本に帰国した、その時の音声を公開する。

「世界ナゼそこに?日本人」の番組宣伝テロップ。

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マチュピチュ村(ペルー)
野内与吉さん
マチュピチュ
ホセ野内さん

世界ナゼそこに?日本人 (バラエティ/情報)
16:54~

人生の大半をマチュピチュ村で過ごした野内与吉さんは日本に帰国した際に、自分を待っている人が日本にもいたことを再確認し、翌年に安らかに旅立った。野内さんはマチュピチュを世界有数の観光都市に変えた日本人。

VTRを振り返り、すごい人がいた、教科書に載らなきゃいけない話、諦めない気持ちが大事などと語った。

「世界ナゼそこに?日本人」の番組宣伝。

「世界ナゼそこに?日本人」の番組宣伝テロップ。

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マチュピチュ
マチュピチュ村(ペルー)
野内与吉さん
ペルー
良郎さん

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