もういちど“長崎の原爆”をみつめる「“焼き場に立つ少年”をさがして」 2019年8月9日放送回

放送日 2019年8月9日(金) 2:13~ 2:38
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
02:13~

戦後、アメリカの従軍カメラマンのジョー・オダネル氏が亡くなった弟の火葬を待つ少年を映した。今回は長崎の原爆を見つめる。人々に何をもたらしたのか?今日は焼き場に立つ少年の写真について伝える。

オープニング映像。

キーワード
ジョー・オダネル

「焼き場に立つ少年」をさがして (バラエティ/情報)
02:14~

長崎市銭座町は全てが焼き尽くされた場所。この町の小学校で被爆直後の記憶を辿ろうとする村岡正則さんはこの小学校に被爆の時まで在籍していたと語った。村岡さんは燃え盛る町を逃げる途中で同年代の少年と出会ったことをはっきり覚えている。それから60年後のある日、村岡正則さんは焼き場に立つ少年をみて、衝撃を受けた。1945年8月9日午前11時2分に村岡さんは爆心地から1.5キロ離れた自宅で母親とともに被爆した。当時村岡さんは小学6年生で、左半身をやけどし、歩くことが困難だった母親を支え逃げた。その最中少年と出会ったという。その少年は子を背負って母親を探していて、そのときの会話が最後だったと語る。あの少年は無事に母親と会えたのか?村岡さんはあのときの少年の姿が焼き付いている。村岡さんは少年をどうしても捜したいと答えた。

独自に少年の行方を追っていた村岡さんは戸石町に向かった。その調査の頼りにしている本の中で重要な証言をしている人に会いに行く。その書籍「焼き場に立つ少年」は何処へは少年の足取りや撮影地などを調査したものをまとめたもの。この中であの少年が誰なのか心当たりがある人のことが書かれている。里輝男さんはその焼き場に立つ少年と同級生だったと語る。さらに彼の名前は「上戸明宏」君。当時の話をした村岡さんと里さんは少年の話が共通していたが、それ以上のことは分からなかった。取材をした富田良は村岡さんは必死になって母親を捜す少年の姿が強く印象に残っていたと答えており、この写真が長崎以外で撮影されたのでは?という意見もあったという。

取材を進める中で、写真の中の知られざる真実を見出す人に出会った。松尾さんは長崎原爆資料館で被爆資料を研究していた経験を活かして写真の調査を進めてきた。松尾さんが焼き場に立つ少年から見出したのはこの写真が左右反転している可能性が高いこと。当時名札は右につけることが指導されていて、その可能性が裏付けられた。さらに少年の名前を拡大してみたが読み取ることはできなかった。そこでカラー化にする。モノクロの映像を隅々まで検証し、映っているものに関する情報を徹底的に集めカラー化していく。今回も同様の方法でカラー化すると、黒目の横にグレーの部分があったが少年の体について齊藤紀医師は少年の鼻に鼻栓のようなものが詰まっていると指摘。鼻血を止めようとして布などを鼻に押し込んだ可能性があると答えた。

齋藤さんは目のグレーの部分は出血した後だと語った。血液を作る骨髄が傷ついて出血を抑える働きが持つ血小板がへることで体中が出血しやすくなっていたと分析した。これは一定量の放射線をあびると起こる現象だという。松田斉は写真をつぶさに検証することによって当時に状況がわかってくると答えた。さらにその少年の写真が撮影された場所は矢上町が有力視されているという。さらに当時遺体を焼いた焼き場の跡があったが当時どのように遺体を焼いていたなどの資料は残っていない。しかし周囲にはその写真の中に映っていたと思われる石垣などがあった。

村岡さんも調査を進め、戦後少年は母親の実家があった諫早市に戻ったと推測。その少年の名が諫早市の小学校の何処かに残っているかもしれないと、村岡さんは長田小学校で手がかりを掴んだ。その卒業アルバムにはその少年と思われる名前のアキヒロ君がいた。そこで写真を捜したがなく、手がかりは途絶えた。NHK長崎放送局では今後も取材すると渡辺健太は答えた。

キーワード
銭座町(長崎)
戸石町(長崎)
『焼き場に立つ少年』は何処へ ジョー・オダネル撮影『焼き場に立つ少年』調査報告
矢上町(長崎)
諌早市(長崎)
東京
  1. 8月9日 放送