たけしのその時カメラは回っていた 2019年8月10日放送回

放送日 2019年8月10日(土) 19:30~20:15
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
19:30~

ビートたけしが挨拶。いつもはこの時間は「ブラタモリ」を放送しているが違う番組でビートたけしは謝った。

千葉美乃梨アナが挨拶。番組は100年に及ぶ映像の中から驚くべき真実をクイズで楽しんでもらうと説明。

キーワード
ブラタモリ
タモリ

たけしのその時カメラは回っていた (バラエティ/情報)
19:30~

1961年アメリカではジャクリーン・ケネディが注目された。その理由として美貌の他、4ヶ国語を喋れると才色兼備とスーパーウーマンでケネディ政権の人気の立役者でもある。そんなジャクリーンの意外な一面を撮影した貴重な映像が残されていた。映像は別荘で過ごすプライベート映像。しかしこの映像に撮影厳禁な習慣が撮影されていたという。

ジャグリーンの撮影厳禁の秘密とは?と出題。たけしさんはタバコとかでは無いかと推測。YOUさんはパックとかしている状態ではと推測。カズレーザーは癖で何か触った後に匂いを嗅いでしまうなど推測した。

撮影厳禁の秘密の習慣を公開。正解は「タバコを吸う」で実は数時間で1箱開けるヘビースモーカーで高校時代から喫煙していた。結婚当初は喫煙している姿もみられたがファーストレディーになってからは撮影されない必死に務める。1950年代後半からタバコの害が医学的に裏付けられ、喫煙者のイメージが悪くなってきたためで国民の模範になるため徹底的にイメージ戦略務めた。アメリカ・コネチカット州では1986年までは16歳から喫煙OKだったなど話した。

完全無欠のファーストレディーのイメージを持つジャクリーン・ケネディ。国民の心を掴んだ最大の武器と言われるのが「ジャッキー・ルック」と呼ばれるファッションだった。「ピルボックスハット」という帽子では式典の途中から天辺部分が凹んでいる。これは飛ばされないように手で抑えて出来たがジャクリーンが自然にかぶり続けたため凹んだ帽子が大流行する。そんなジャクリーンの衣装代は3ヶ月で約1200万円にのぼったとされる。1961年にフランスをケネディ大統領が訪れた際、当時アメリカの反対を押し切って核実験を強行したフランスとは緊張状態だったが、ケネディ夫人は病院を訪れたり、フランス製の服を着て相手を喜ばせたりした。その次に訪れたウィーンではソビエト連邦のフルシチョフとケネディ大統領が握手を求めた際、フルシチョフはまずジャクリーンの手を握りたいと述べ、ジャクリーンは応じた。

2005年、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルが世界の注目を集めた。モスタルは1991年に始まったユーゴスラビア内戦で多くの民族が争いを繰り広げた激戦地だった。元サッカー日本代表監督のハリルホジッチさんも当時モスタルに住んでいて、重傷を負っていた。そうした中、2002年に住民有志が平和を目指す街の象徴として銅像を建てる事を思い立つ。そのモデルに選んだのがあるハリウッドスターだった。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの平和の象徴のモデルにされた大スターを出演者が予想した。答えは「ブルース・リー」。1970年代の「燃えよドラゴン」などの映画で世界を席巻した、20世紀を代表するアクションスターだ。

たけしはNHKでコマネチを披露した際、リハーサルに呼ばれてギャグなのにADに「2秒はやいです」と言われたという。「妻子がいるのは知っていますよね」に対するコマネチの炎上発言について、たけしは「この国もそうでしょ?」みたいなことを言ったのではないかと述べた。正解は「だから何よ?」だった。不倫を開き直ったとしか思えないこの発言は世界を揺るがし、すさまじいバッシングの嵐を受けた。たけしは喧嘩腰の言い方だったのがいけなかったと話した。YOUは、不倫は最近になっていけないものになった印象だったけどと話した。

イメージ戦略についてカズレーザーの姿について覚えやすいや仕事へ行きたくないと思った時に後輩に金髪と赤い服を着せればばれないじゃないかと思っているなど話した。たけしさんはケネディとニクソンが大統領候補の演説会で紺色のスーツを着てダサく有利だったのに結果がひっくり返したと話す。ケネディはもともとファッションに気を使わないことで有名だったが、結婚してからはジャクリーンが衣装を管理するようになったという。

なぜブルース・リーが激戦地平和の象徴になったのかを、銅像建設の発案者が教えてくれた。内戦前のボスニア・ヘルツェゴヴィナは、セルビアやクロアチアなどと多民族国家ユーゴスラビアを構成していた。文化も宗教も様々だったが、共通して大人気だった映画スターがブルース・リーだった。その人気から漫画なども登場し「殴れ ブルース・リー」という楽曲も誕生した。当時の様子について話を聞いた東洋のヒーローで彼の動きに魅了された。それまでほとんど知られていなかった中国拳法「カンフー」の礎を築いた。

「白い要請」ナディア・コマネチの大炎上の真相。「だから何よ」と発言した裏には、独裁国家ルーマニアで生まれた彼女の知られざる苦しみがあった。オリンピック直後に政府から表彰された映像では大統領に抱きしめられていて、その後は国家の広告塔になった。政府から衣食住を保証される代わりに国際大会での活躍が義務付けられた。しかしモスクワ五輪で彼女は得意種目で失敗してしまい、第一線から姿を消した。待っていたのは一市民としての厳しい生活。当時のルーマニアは経済が破綻し、飢餓が蔓延していた。さらに独裁者チャウシェスクの息子の愛人にされかけたと噂されている。コマネチは決意を固め、国外脱出を決行した。メディアの関心は妻子ある亡命ブローカーとの関係だった。そして率直に答えた片言の英語が大炎上を招いてしまった。

しかし、その道程は険しいものだった。ブルース・リーが下積み時代にテレビ番組のオーディションを受けた貴重な映像が公開された。香港で学んだカンフー使ってハリウッドの成功を願っていたが当時東洋人への差別が強い時代で「グリーン・ホーネット」というドラマでは日系人という設定だったり、自ら企画したカンフードラマの主演を白人に取られたりし武術指導で生活費を稼いでいた。21歳の時に香港に舞い戻ったがこれが転機となり主演した映画が大ヒットした。そして、アメリカを始めカンフーフィーバーとなった。その中にはユーゴスラビアも存在した。

ビートたけしは「(VTRを振り返って)良いこと言うね」などと話した。また、ビートたけしら出演者は、ブルース・リーについて、ブルース・リーが銅像になっていたこと、などを話題にトークした。

このコーナーは幼少期の秘蔵写真から超有名人を当てるコーナー。ビートたけしは「この超有名人は誰?」のクイズに挑戦した。

モントリオール五輪でナディア・コマネチは史上初の10点満点を出して、3つの金メダルを獲得。第51回NHK紅白歌合戦ではビートたけしは「コマネチ」のギャグを披露。1989年、ナディア・コマネチはアメリカに亡命してきたが、この時、ナディア・コマネチは亡命協力者とホテルで同じ部屋に宿泊するなどしていた。また、亡命協力者には妻がいた。

カズレーザーら出演者は「(VTRの感想として)こういうやつが誤解して、たたくんでしょうね」などと話した。

ナディア・コマネチのどん底からの逆転人生を紹介。1989年12月のルーマニア革命でコマネチを縛り続けてきたチャウシェスク政権が崩壊。コマネチもどん底から復活し、アメリカを周るツアーなど再び体操を始めた。亡命から5年後の1994年にはルーマニアに帰郷。となりには彼女を支えたアメリカ人コーチで婚約者のバート・コナー氏も一緒だった。祖国を捨てた彼女だったが国民からは歓迎を受け、ブタペストの教会で挙式を上げることがかなった。その後体操のコーチになったコマネチは、たけしとも共演。一緒に往年のギャグなどを行っていた。

たけしはギャグの元になったナディア・コマネチさんとの共演を振り返り、ギャグが伝統芸になっていることなどを話した。YOUはコマネチの逆転人生を見て安心したと話し、カズレーザーも彼女の苦労を国民が分かっていたと話した。今回コマネチがたけしに向けて手紙を送ってくれたということで千葉が代読。一緒に体操をする話と、ぎゃ技のギャランティーの話が書かれており、YOUらは会いに行こうと話した。

「いだてん」の番宣テロップ。

「NHKオンデマンド」のテロップ表示。

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