逆転人生 「復活!奇跡のしょうゆ 被災地の逆転劇」

『逆転人生』(ぎゃくてんじんせい)は、NHK総合テレビジョンで2019年4月1日から放送のドキュメンタリー番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年6月7日(金) 23:50~ 0:40
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
23:50~

今回は東日本大震災での逆転人生、1807年創業の老舗しょうゆ会社が津波で壊滅的被害を受けた。工場は廃墟、200年受け継いだもろみも流された。9代目社長の河野通洋さんは震災から21日後、事業を再開し伝統の味を蘇らすことに挑戦した。ある奇跡で元の味が復活した。

キーワード
東日本大震災

復活!奇跡のしょうゆ 被災地の逆転劇 (バラエティ/情報)
23:51~

今回は東日本大震災での逆転人生、スタジオに1807年創業の老舗しょうゆ会社社長の河野通洋さんが登場。山里亮太らが一般的なしょうゆと河野さんの会社のしょうゆを食べ比べた。陸前高田市出身の村上弘明は陸前高田の味だとし、馴染みがあると話した。

しょうゆ会社9代目社長の河野通洋さんの逆転人生を紹介。岩手県陸前高田市で創業212年の老舗。自慢はもろみ、もろみは江戸時代から続く製法を守っていた。2011年3月11日に東日本大震災が発生、河野さんは工場に向かった。蔵にはもろみのために社員が残っていたが、社員を連れて裏の神社に逃げた。数分後に工場が津波に飲み込まれた。工場は廃墟になり、もろみが全滅。しょうゆの味はもろみと微生物で決まるため元のしょうゆの味を作ることは不可能になった。先代の河野和義さんは「正直泣き叫びたかった、相手は微生物だから諦めるしかない」と振り返った。

しょうゆ会社9代目社長の河野通洋さんの逆転人生を紹介。岩手県陸前高田市で創業212年の老舗。河野さんは東日本大震災で社員の多くは自宅を流され、家族を失った人もいたという。河野さんは会社を受け継ぎ社員と難局を乗り越えることを選んだ。会社の預金が底をつくまで毎月給料を支払うことを決めた。社員の上部大さんは「自分と同い年くらいなのに腹をくくったなと思った」と振り返った。しかし、前途は多難。しょうゆの工場にはそこに住みつく蔵つきという微生物がいる。もろみの中に入り込みデンプンやたんぱく質を分解し発酵させてしょうゆが生み出される。伝統の味は200年工場で働いた蔵つきたちによってできた。河野さんは蔵からごく一部の微生物を手に入れた。河野さんは他社のしょうゆでめんつゆを委託製造した。しかし八木澤の味ではないとクレームが続出し、めんつゆ販売を取りやめた。

スタジオトークで、八木澤商店の河野通洋社長はしょうゆが作れない時に作っためんつゆの味が違ったということで1万数千本を救援物資にしたので赤字が膨らんだと話した。しょうゆ専門店店主の高橋万太郎さんはしょうゆの作り方を説明した。

しょうゆ会社9代目社長の河野通洋さんの逆転人生を紹介。岩手県陸前高田市で創業212年の老舗だったが東日本大震災での津波でもろみを含め工場が壊滅。河野さんは家を失ったため妻の東京の実家で避難生活をした。子どもたちは他社のしょうゆの味をがっかりしたという。ある日、及川和志さんから「もろみが見つかった」と連絡が入った。岩手県釜石市の水産技術センターに勤める及川さんは震災1か月前にセンターに持ち帰っていた。センターも津波に襲われたが、及川さんはもろみを入れた保冷機が機材の上に乗ってあった。及川さんは急いで中を確認、もろみは生きていた。見つかったのは4キロ、河野さんは量を増やすことを決断。新工場に7億9000万円をつぎ込む必要があった。地元銀行に相談、担当の夏井秀雄さんが資金調達計画を立てた。しかし3000万円が不足、取引先は水産加工会社だったが津波で壊滅していたため再建に懐疑的だった。しかし全国の愛用者が義援金を送ってくれたため総額4000万円にのぼった。義援金を送った三浦優子さんはいつまでもこれを守ってほしいと話した。2012年10月岩手県一関市に工場が完成、借金は4億円。発酵タンクに発見されたもろみを投入、蔵つきの微生物が発酵を続けてくれることを願った。しかし2か月後、発酵は進んでいなかった。

スタジオトークで、高橋万太郎は4キロのもろみで10tのもろみを発酵するのは大変、さらに一般的にしょうゆ工場は環境の変化を嫌がるものだとした。八木澤商店の河野通洋社長は150年同じ桶を使い続けていたが、現在に桶を作れる職人がいない。あるしょうゆ蔵から使ってない桶を持っていけと言ってくれたが、その蔵の微生物なので元に戻らないと話した。河野さんは借金にリスクしかなかったので突っ走るしかなかったとした。全国から励ましのお便りがあったとし、一部を紹介した。河野さんは震災前に生産していたしょうゆが何十本も寄付されたと振り返った。

しょうゆ会社9代目社長の河野通洋さんの逆転人生を紹介。岩手県陸前高田市で創業212年の老舗だったが東日本大震災での津波でもろみを含め工場が壊滅。河野さんは巨額の新工場が完成、発酵タンクに発見されたもろみを投入したが、蔵つきの微生物の発酵は進んでいなかった。日本橋でポン酢やタレなどを売り込んだ。新工場1周年イベントを考えている時に4人が退職希望をした。吉田智雄工場長は「工場の責任者やナンバー2、ナンバー3らが辞めていった」と危機感を抱いていた。上部大さんは「疲れて心が折れた」と振り返った。河野さんは借金の重圧などで社員の意見に耳を傾けなくなった。この頃、社員はPTSDに苦しむようになっていた。河野さんは雇用を守り続けることができていないのは自分の責任だと思い追い詰められたという。ある日、河野さんはもろみを仕込んだタンクの中を覗くと、もろみが発酵する音が聞こえた。河野さんは空回りする自分を見つめ直し、社員と歩調を合わせるようになった。その1年後、しょうゆの味と香りを確認すると、かつての味が蘇っていた。子どもたちは新たなしょうゆでの料理に喜んだという。発売開始と同時に注文は殺到、初年度の販売本数は3万本だった。

スタジオトークで、八木澤商店の河野通洋社長は子どもがすぐにかつてのしょうゆだとわかったと話した。村上弘明はもろみを作るには忍耐が必要で、それを試された時期だったとした。河野さんは時間がかかるものなので焦ってはいけないことがわかったとし、もろみは毎年良くなると話した。秋元才加はAKB48で陸前高田市に訪問したことがあったと振り返った。

しょうゆ会社9代目社長の河野通洋さんの逆転人生を紹介。岩手県陸前高田市で創業212年の老舗だったが東日本大震災での津波でもろみを含め工場が壊滅。しかし復活したもろみで売り上げは震災前の7割に戻った。かつて退職した上部大さんは会社に留まる決断をし、震災後は壊れかけていたが家族のようだと話した。

キーワード
東日本大震災
陸前高田市(岩手)
しょうゆ
もろみ
一関市(岩手)
釜石市(岩手)
日本橋(東京)
PTSD

エンディング (その他)
00:39~

次回予告。

  1. 前回の放送
  2. 6月7日 放送
  3. 次回の放送