自閉症の君との日々 2017年3月24日放送回

放送日 2017年3月24日(金) 0:10~ 1:40
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
00:10~

重度の自閉症患者である東田直樹さんを3年間取材してきた丸山拓也ディレクター。きっかけは、直樹さんの「自閉症の僕が跳びはねる理由」という一冊のエッセイ。丸山ディレクターが3年間に渡り取材したのは、周囲から誤解をされ続けてきた直樹さんの心の中に広がる豊かな世界に惹かれたから。自閉症の作家・東田直樹さんを見つめた3年間の記録を伝える。

キーワード
自閉症
自閉症の僕が跳びはねる理由

自閉症の君との日々 (バラエティ/情報)
00:14~

2014年。東田直樹さんは22歳になり、プロの作家を目指していた。自閉症は、状況の変化にうまく対応したり、対人関係を築くことが難しい、脳の先天的な機能障害と考えられている。直樹さんは回転するものや丸いものに惹かれ、よく窓から車のタイヤを眺めている。直樹さんはパソコンの前に立つと、自分の考えを表現することができる。自閉症の人が高い表現力を持つことは極めて稀なことだという。執筆中も数日前の記憶が甦り、自分の意志とは関係なく言葉が出てしまう。母親手作りの文字盤を使うと、他人と会話することができる。なぜ文字盤を使うとコミュニケーションを取れるのかという質問に対し直樹さんは「自分の忘れてしまいそうになる言葉を思い出せるからです」と語った。

直樹さんは5歳のときに自閉症と診断された。言葉をほとんど発しないのにも関わらず、漢字などの文字に関しては抜群の記憶力をみせ、両親を驚かせた。直樹さんは想像力や執筆能力を養い、グリム童話賞の大賞を2年連続で受賞した。13歳の頃には「自閉症の僕が跳びはねる理由」を執筆した。

著書「自閉症の僕が跳びはねる理由」は、アイルランド・コーク州の作家デイヴィッド・ミッチェルさんの目に止まった。ミッチェルさんには、重度の自閉症を抱えた息子がいる。ミッチェルさんは理解不能な行動をとる息子とどう接していいかわからず、子育てに絶望していた。ミッチェルさんは「世界に怒りを抱き、自分を哀れだと思いました。息子に怒りを覚えたこともあります。」と語った。ミッチェルさんは通販サイトで「自閉症の僕が跳びはねる理由」と出会い、息子とどう接していいかを教わった。ミッチェルさんは「息子が感情のコントロールを失い泣くのはこういう理由かと、大きな音を恐れるのはこういう理由かと、この本に出会って気付かされました」と語った。ミチェルさんはこの本を翻訳し、世界に広めることに努力した。

ミッチェルさんは直樹さんに感謝の気持ちを伝えるため来日した。対面を果たしたが、直樹さんはいつものように外の景色に気を取られてしまった。ミッチェルさんはそのときの状況を、「私にできることは待つこと。ナオキ君に空間と時間を与えることです」と語った。ミッチェルさんが「ナオキ君は僕のヒーローです」と語ると、直樹さんは「誰かにとっての喜びになるのは僕にとってもうれしいことです」と語った。ミッチェルさんが直樹さんに幸せな時間について問うと、「昔は自然と一体化した時間が幸せでした。今は家族で笑っている時が幸せです」と語った。また、怖いものについて問うと、直樹さんはいつも刺すような人の視線が怖いと語った。

ミッチェルさんが直樹さんに最も聞きたかった、息子に対してどうすればいいか問うと、直樹さんは「そのままで十分だと思います。お子さんもお父さんのことが大好きで、そのままで十分だと思っているはずだからです」と語った。ミッチェルさんは会談後、「直樹さんは視線をそらしてしまうが、何回か目が合いました。彼が私の魂をのぞき込んでいるかのような感動的でした」と語った。直樹さんは後々、“もっとたくさんの話がしたかったのですが、自分の言動をコントロールできませんでした。(ミッチェルさんの質問について)子供が望んでいるのは親の笑顔です。僕のために誰も犠牲になっていないと、子ども時代の僕に思わせてくれたのが僕の家庭のすごいところです。僕はまだまだ未熟ですが、いつかミッチェルさんのような大作家になれるよう努力するつもりです。“と話してくれた。

杉山登志郎さんは40年近く、自閉症の研究に取り組んでいる。杉山さんは直樹さんを言語失行という状態であると診断し、脳の検査について説明をした。直樹さんがこの検査が治療に繋がるのかと問うと、杉山さんは治療には繋がらないことを説明し、10、20年後治療法が見つかり、他の自閉症の人に役立つかもしれないことを説明した。直樹さんはみんなのために検査を受けることを決断した。密閉した空間に40分間閉じ込められるこの検査は、直樹さんには過酷なもの。睡眠薬を服用して検査に臨んだ。

検査をし異常がみられたのは、弓状束という神経線維の集まりであった。弓状束は言葉を話すブローカ野と言語を理解するヴェルニッケ野をつないでいるが、それがうまく機能していないことが、会話ができない理由と考えられる。杉山さんは「今までマイナスの部分に目をとめることが多かったが、代償的に伸びているところはどこだと注目することがこれからの療育の中心となる。自閉症患者の子の脳が喜ぶことをやってあげることにより、自閉症の子を伸ばしていく道になると思います」と語った。

直樹さんは「僕はきれいな桜を長く見続けることができません。それは桜の美しさがわからないからではありません。桜を見ていると、何だか胸がいっぱいになってしまうのです。繰り返す波のように、心がざわざわとかき乱されてしまいます。その理由は感動しているせいなのか居心地の悪さからくるものなのか、自分にもよくわかりません。わかっているのは僕が桜を大好きだということです」と自分の思いを綴った。

ノルウェーのスコット・ドラークスホルトくんも自閉症の一人。アネッテさんも直樹さんの著書「自閉症の僕が跳びはねる理由」に出会い、息子の声が聞こえてくるようになり、意思を言葉にすることがなかったスコットくんが少しずつ胸のうちを開くようになった。スコットくんは動物が大好き。家の外には飛ぶことが好きなスコットくんが脚を傷めないようにトランポリンが置かれている。

マイク・ショアさんは自閉症を抱える息子のブライアンさんを治すために、自分の人生を捧げてきた。マイクさんは直樹さんの著書「自閉症の僕が跳びはねる理由」に出会い、本当の意味で息子を受け入れていなかったことに気づいた。息子との時間を楽しめばいい、自分たちが考えを改めることで、ブライアンさんの表情も変わってきたと感じている。

直樹さんは講演をするためニューヨークを訪れた。マイク・ショアさん夫妻もこの会場に訪れた。講演は直樹さんが読む原稿が英訳され、スクリーンに映されるという形で行われた。直樹さんは「子どもが一番望んでいることは、自分を受け止めてくれる場所と親の笑顔です」と語った。講演後、マイクさん夫妻が直樹さんのもとに駆け寄った。マイクさんは直樹さんに、「息子の声が聞こえる気がしました。33年間一度も聞けなかった息子の声でした」と気持ちを伝えた。

直樹さんは「僕は自分の言葉を世界中の人に届けられた幸運に感謝し、さらに高い山を目指すつもりです」と綴った。

直樹さんを取材した丸山拓也ディレクターは胚細胞腫瘍と診断され、5年生存率が5割以下と告げられた。直樹さんを取材した番組は、2014年文化庁芸術祭テレビドキュメンタリー部門大賞を受賞。丸山ディレクターはこの番組が製作する最後のものになると覚悟していたが、大量の抗がん剤と手術、治療のかいがあって、がん細胞は死滅した。今も月に一度再発の検査を受け、がんと共に生きることになった丸山ディレクターは2016年、2年ぶりに直樹さんを再び取材したいと思った。木更津市の直樹さんの自宅を尋ねる。2年間で直樹さんは作家として幅を広げ、ハンディキャップを持つ人がどう幸せを築けばいいかメッセージを発し続けている。丸山ディレクターのがんについて直樹さんは「すごく心配していた」と話した。直樹さんは「生きていく上での価値観は変わりましたか?」と問い、丸山は「変わりました。身の回りのことが大切だと感じた」と話した。丸山が「命をつなげることを途絶えさせる不安があった」と言うと、直樹さんは「人の一生はつなげるものではなく、1人ずつ完結するもの」だとした。

アイルランド・コーク州に住む作家、デイヴィッド・ミッチェルさんと直樹さんは往復書簡を交わしている。ミッチェルさんは「自閉症でない自分の夢を見たことがある?」と問い、直樹さんは「自分が普通の子どもになった夢をよく見ていた、夢だとわかると落ち込んだ。今の夢は健常者の自分は出ない」とした。

丸山ディレクターが東田直樹さんを取材。ミッチェルさんから新たな質問が来た。「13歳の自分にアドバイスするなら?」との問いだった。直樹さんが自閉症を自覚したのは13歳だった。直樹さんは自分に知能があることを訴えたかったが手段はなかった。当時、直樹さんは「ありのままでいい」という言葉を13歳の自分に送った。しかし、当時の辛さを思い出し、「人生は短い」という事実を伝えたいと綴った。

東田直樹さんは母親の実家がある福岡県北九州市へ帰省した。祖母の京子さんは認知症を患っている。母親は認知症を嘆くが、直樹さんは悲しむべきことではないと考えていた。京子さんと直樹さんはホットケーキを作った。直樹さんは「昔とは味が少し違うが、関係なく美味しかった」とした。京子さんは探しものをしているうちにわからなくなり、やかんの火をつけたり消したりしていた。直樹さんは会う前は祖母の幸せを見出すことができると思っていたが、言い切れなくなっていた。直樹さんは「現実を受け入れることがなかなかできない。僕はおばあちゃんが変わっていないと思い込みたかったのです。」と話した。

丸山ディレクターが東田直樹さんを取材。直樹さんは少し苛立っているようだった。直樹さんは自閉症者ではなく、作家として注目してほしい様子だった。直樹さんは「自閉症で苦しんだのは事実だが、生み出す言葉とは直接関係ない」と主張した。

アイルランド・コーク州に住む作家、デイヴィッド・ミッチェルさんは直樹さんを招いた。2人は2年ぶりの再会だった。ミッチェルさんは直樹さんに、「(息子が)友情を築くことをもっと簡単にできる可能性はありますか?」と問い、直樹さんは「僕に友達はいないが、不幸に見えますか?」と答えた。直樹さんは「僕たちが感じているのは友達がいないと可哀想で気の毒と思っている人たちの勘違いです」とした。ミッチェルさんは「自分の息子に友達がいないのは自分の問題です。今からこういう立場で考えようと思います。」と話した。ミッチェルさんは「直樹さんは表現がうまくなり、すごくいい意味で少し生意気になった」と話した。ミッチェルさんの家族と直樹さんは食事会をすることになったが、3時間の食事でミッチェルさんの息子のノアくんと直樹さんは会話をすることはなかった。しかし、ノアくんは別れ際に直樹さんと握手を交わした。ミッチェルさんは「世界中に自閉症患者がいて、直樹くんに感謝している」と話した。自閉症にばかり注目しないでほしいと訴えていた直樹さんであったが、ミッチェルさんの言葉をじっと噛み締めているようだった。

アイルランドから帰国し、東田直樹さんは再度母親の実家がある福岡県北九州市へ帰省した。認知症の京子さんの家事は相変わらず危なっかしい。直樹さんは「もしおばあちゃんが迷子の子どもを見つけたら、なんて声をかける?」と問いかけ、京子さんは「一緒に探してあげる」と答えた。京子さんの優しさは変わらない。直樹さんは自分も知らず知らずのうちに世間一般の物差しで祖母のことを見ていたと思い直し始めていた。

丸山ディレクターが東田直樹さんを取材。直樹さんは現在、作家として長編小説の執筆に挑戦していた。丸山ディレクターは「私が前向きに生きるために、人生に大切なものは?」と問い、直樹さんは「人はどんな困難を抱えていても幸せを見つけ、生きることができる」と答えた。

キーワード
木更津市(千葉)
自閉症
自閉症の僕が跳びはねる理由
コーク州(アイルランド)
東京都
自閉症スペクトラム
THE REASON I JUMP
東田直樹
ノルウェー
クリスチャンサン(ノルウェー)
自閉症スペクトラム障害
ニューヨーク州(アメリカ)
ニューヨーク(アメリカ)
ブライアン
胚細胞腫瘍
北九州市(福岡)
認知症
ホットケーキ
がん
文化庁芸術祭

エンディング (その他)
01:38~

エンディング映像。

  1. 3月24日 放送