日曜美術館 あるがままこそ美しい〜メアリー・カサットの挑戦〜

『日曜美術館』(にちようびじゅつかん)は、NHK教育テレビジョンが1976年4月11日に放送を開始した美術関連の教養番組である。NHKワールド・プレミアムでも放送されるほか、2018年12月6日からはNHK BS4Kでも放送がスタートした。

出典:goo Wikipedia

放送日 2016年11月2日(水) 15:10~15:55
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
15:10~

オープニング映像が流れた。

19世紀末のパリ、画家を夢見て美術学校に入学しようとしたメアリー・カサット。しかし、女性であることを理由に門前払い。彼女はルーブル美術館に通い、名画の模写で腕を磨き、苦労の末に画家になった。描いたのは母と幼い子の何気ない姿。女性が画家になるのが難しかった時代、自ら時代を切り開いた。女性差別や偏見、病気の姉の看病と老いた母の介護の日々の中で絵を描いた。一見微笑ましい母と子だが、そこには一筋縄ではいかないドラマがある。カサットは絵の題材として注目されなかった母と子の姿に注目し、浮世絵の作風も取り入れ、新しい作風を生み出した。

キーワード
ルーブル美術館
メアリー・カサット
パリ(フランス)

メアリー・カサット ”母と子”の画家 (バラエティ/情報)
15:12~

横浜美術館。日本では35年ぶりとなるメアリー・カサット展。「眠たい子どもを沐浴させる母親」。今日一緒に作品を見てくれるのはモデルの黒田知永子。ベストマザー賞を受賞した母でもある。日常的に子どもを見ているからこそ分かる作品の細かい点を感じた。

カサットの絵買いた母と子に強く惹かれるという、写真家の下薗詠子。2010年、写真の芥川賞と言われる木村伊兵衛賞を受賞した。飾らない明け透けな存在や強い思いを抱えた表情など、人間の光と闇を見つめている。下薗さんが足を止めた作品「母の愛撫」。どこかの庭、見つめ合う母と子だけが描かれている。だからこそ、母親の感情が生々と伝わるという。様々な折り重なった感情、育児疲れやきついという感情、母の手も辞めなさいという手かもしれない。美化しないリアリティがありのまま描かれている美しさだという。下薗さんと同じ30代後半の時にカサットが描いた代表作、「眠たい子どもを沐浴させる母親」。むずがる子どもの体を拭いてあげようと母親がスポンジを持った手を動かそうとしている。色々な感情があったとしても、母親の手のリアリティある愛に、美しさを感じるという。カサットは母と子の姿をなぜここまで繊細に表すようになったのか。そこにはカサットが直面した厳しい時代が関わっていた。

パリ近郊にカサットが暮らした館が今も残っている、この場所で多くの母と子の絵に取り組んだ。一見微笑ましく見えるカサットの母と子、しかし絵には想像を超える複雑な心情が込められていると考える人がいる。精神科医で臨床心理士のきたやまおさむさん、母子像に現れる親子の心理を研究している。母と子が小さな林檎に触れようとしているこの絵にはあることが暗示されているという。「林檎っていうのが、儚くやがて食べられてしまって消えていく、林檎って食べ物であり美味しい甘いものであるっていうのはお母さんの乳房を象徴している。母子関係こそやがて消えていくものの代表。だからこそ私たちはこの瞬間を愛でるんだろうし、美しいと感じるんだと思うんですよね。」ときたやまさんは絵から心理を読み取り語った。カサットは生涯独身だった。母性への眼差しは冷静で驚くほど細やかっだったという。きたむらさんは「眠たい子どもを沐浴させる母親」の絵を見ながら、「この絵を見た時に目に心があり、そして手にも心があるよね。だから母親の心って全身にあるって思いますよね。」と話した。中でもきたやまさんが惹かれたのは「母の愛撫」という作品。「子供をかかえながらも、お母さんは何か別のことを考えている。これ僕、この子が「お母さん何考えているの」って問いかけているのを感じるんだよ。」と上野さんはこれは子供に考える力を発達させるためのやり取りをしているように見えるとコメントした。

メアリー・カサットが画家を夢見てアメリカ東部からパリに出てきたのは、1865年、21歳のとき。着いて早々、大きな挫折を味わう。パリで最も権威あるパリ国立美術学校。入学を希望したが、女性にはその資格がないと門前払い。しかしカサットは諦めず、ルーブル美術館に向かい、世界中の巨匠たちの絵を模写して、デッサンや色彩など絵画技術を独自に身に着けた。カサットは知人に「美術館の導きだけで十分よ」と語っている。当時、一人前の画家として認められるには、サロンと呼ばれる権威ある展覧会に入選しなければならない。しかし女性にとってはあまりに狭き門。19世紀のフランスでは女性に対する差別や偏見が色濃く残っていた。ナポレオンが定めた法典では、女性は父親や夫の支配の元にあった。政治に参加することも、大学に参加することも、自由に働くことすら許されない。さらに、女性がサロンに入選するためには様々なセクハラにも耐えなければならなかった。当時は女性は画家になることはできないと考えられ、たとえなれたとしても制約が多すぎた。今のように女性が1人で外出することもできなかった為、家の中で花や赤ん坊でも描いていればいいと言われた。アメリア東部の裕福な銀行家の娘で、反対する父を説得しパリにやってきたカサット。なんとか教えてくれる画家を見つけ修行を積む。パリに来て3年、差別や偏見と戦いながら身につけた伝統的な技術も活かし、ようやくサロンに入選した。

ある時、印象派のエドガー・ドガという画家と出会う。ドガの絵には宗教画など伝統的な絵画にはない、現実に生きる人間が描かれていた。カサットはこれこそ自分が目指す方向だと考えた。ドガとカサットの創作を支えた画商の末裔が今もパリに居る。カサットとドガの出会いは特別なもので、2人はすぐに親しくなりカサットはドガと同じような視点を身に着けた。現実の中の一瞬の光景を見て、人間のありのままの姿を現実にそこに見ているかのように表した。

しかし女性であるカサットはドガのように自由に外を出歩けなかった。どうやって絵の題材を見つけたらいいか。そんな時、アメリカの兄夫婦と4人の子どもたちが夏休みに訪ねてきた。母と子のふれあいを間近で観察する内、カサットは子どもたちの何気ない仕草や表情に、思いがけないドラマが有ることに気がつく。挑んだのが「浜辺で遊ぶ子どもたち」という絵。砂遊びをする姉妹、互いに自分の遊びに夢中でありながら体を寄せ合っている微笑ましい光景。さらに母とこの間には毎日違った物語が生まれていることに気がつく。女性の自分にはそれが見える。そんなカサットの人柄をよく表している絵が「桟敷席にて」。黒いドレスに身を包み、男性の視線にも動じず舞台に熱中する凛とした女性。女性にしか見えない視点で芯の強い女性像が描かれている。

なぜここまで複雑な心情を母と子の絵で表そうとしたのか、そこには家族との関係がかかわっていた。カサットはパリに来た頃、両親と姉と暮らしていた。姉のリディアは何度も絵のモデルになっている。7歳年上の姉は腎臓の病をかかえていた、姉がなくなってからカサットは半年以上も筆を握れなくなったという。さらに今度は母親の介護に追われ、10年以上続いた。母・キャサリンは絵の最も良き理解者で、母への感謝の気持ちを思いながら時に疎ましくも思う大変な日々。複雑なこころの葛藤を抱えながら、介護の合間に絵を描き続けた。母との体験がカサットの絵をより深いものにしていった。美術史家のパメラさんは、「カサットの人生で最も深い絆を感じていたのが母でした。そして画家としてのカサットを支え続けたのも母でした。そんな密接な関係がああたからこそ、母と子というテーマがあれほど重要になったんだと思います。」と語った。40代後半カサットは新たな技法に取り組んだ、日本の浮世絵から学んだ銅版画だ。こうしてカサットはさらに人間表現を磨いていった。

自らの苦境を切り開く芯の強さがなければカサット自身も母と子の豊かな物語にたどり着けなかったかもしれない。女性は基本的に家庭に入って母として子どもを産んで育てるというのが使命とされていたので、職業係になりたいというのが考えられない世界だった。国立美術学校は規則のため入学できず、その他の私学などでも女性クラスには裸体モデルが使われないなど様々な制約があった。カサット以降、母子像はそれまでと違い母と子だけをクローズアップする絵画になった。制約があったからこそ最も身近な母子像がテーマになっていった。女性が子どもや母親を見て切り取った場面を多く描いている。カサットの目はそれまでの画家と違う目線を斬新に開発していった。

銅版画「母と子」。母と子の心情をシンプルに、油絵とは違った技法で表現しきっている。技法は日本の浮世絵版画にもかなりの影響を受けている。喜多川歌麿の母子絵「行水」などから多くの刺激を受けたという。手を大きく描くなどして、包み込むような感情をシンプルな輪郭線で描いている。引き算をすることで際立っている。母子像を数多く描いた理由として、彼女自身と母親との関係がある。彼女はかなり長期間自分の母の介護をしており、母親と自分との関係は彼女の人生にとって極めて重い事柄であり、母子像を深めていくのは無関係ではない。数多くの母子像を描くに連れ、自分の想いも変化していった。

カサットは47歳で初の個展を開く。フランスでようやく評価されるようになった。しかしふる里ではほぼ無名、アメリカでも認められたい、まだ知られていない印象派の絵を広めたいと新たな挑戦をした。ニューヨークのメトロポリタン美術館に、印象派の名画がずらりと並ぶ展示室がある。その大半を集めたのはカサットだった。きっかけはヘンリー・ハブマイヤーという大富豪。その妻、ルイジーン・ハブマイヤー夫人とは若い頃からの親友だった。アメリカに最初に渡った印象派の作品は、カサットがルイジーンに購入を進めたドガの絵。わずか100ドルだった。カサットはハブマイヤー夫妻の美術収拾アドバイザーとなる。夫妻は作品を次々に購入、印象派だけで200点以上の膨大なコレクションを作り上げた。さらに印象派を広めるため、寸暇を惜しんで画商やオークション会場を精力的に回り、優れた印象派の絵を選んだ。カサットは当時の心境を「美しい作品が大西洋を渡る手助けをすることは私の人生において最大の喜びです」と語っている。1886年、カサットの企画によりニューヨークで初めて印象派展が開かれた。その目録。モネ、ルノワール、自らの作品も含め、予想以上の好評を得た。こうしてカサットが広めた印象派の作品は全米各地に行き渡った。カサットの絵も徐々に注目を集め、母子像の画家として人気を博する。メトロポリタン美術館には、アメリカを代表する画家の作品としてカサットの母と子の絵が飾られている。

メアリー・カサットは、自分自身の作品を含め印象派の絵画をアメリカで認めて欲しいという想いがとても強かった。彼女の使命感でもあり、新しいフランス近代絵画をぜひともアメリカへという思いは、画家としての人生と同じくらいの重みを持って後半生広めていた。カサットがいなかったら今、アメリカの美術館がこれだけ印象派を持つことはなかった。強い迫害や差別に抗い、一歩一歩自分の道を切り開いていったカサット。最後は仲間たちの絵も広めていった。男性とまともに張り合うのではなく、女性にしか描けない世界を深めていった。

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横浜美術館
メアリー・カサット
メアリー・カサット展
京都国立近代美術館
眠たい子どもを沐浴させる母親
ベストマザー賞
カサット
芥川賞
木村伊兵衛賞
写真集「きずな」
下薗詠子
母の愛撫
ボーフレーヌ館
パリ国立美術学校
ルーブル美術館
サロン・ド・パリ
ナポレオン
女性画家を誘惑するサロン審査員
パリ(フランス)
アメリカ
バルコニーにて
エドガー・ドガ
2人の踊り子
りんご
ル・メニル=テリビュ(フランス)
浜辺で遊ぶ子どもたち
桟敷席にて
お茶を飲むリディアと母
タペストリー・フレームに向かうリディア
東京大学
リディア
国立美術学校
キャサリン
オランダ
ロバート・S・カサット夫人画家の母
編み物をするカサット夫人、横顔
手紙
母と子
喜多川歌麿
行水
メトロポリタン美術館
ヘンリー・ハブマイヤー
ルイジーン・ハブマイヤー
ドガ
ネルソン・アトキンス美術館
バレエの舞台稽古
バーで練習する踊り子たち
クロード・モネ
ポプラ並木
マネ
舟遊び
ルノワール
縫物をする若い母親
フランス
ニューヨーク(アメリカ)

エンディング (その他)
15:53~

「メアリー・カサット展」は9月11日まで横浜美術館にて開催。9月24日から12月4日は京都国立近代美術館にて開催。

「この番組は7月31日に放送したものです横浜美術館での開催は終了しました」のテロップ表示。

晩年、カサットは白内障になり視力を失う。それでも若い画家の卵を支援する活動を続けた。さらにはアメリカの女性参政権に係る活動を後押しする最後まで挑戦を辞めることはなかった。メアリー・カサットは1926年、パリ郊外で亡くなった。82歳だった。

エンディング映像とともに番組ホームページの案内が行われた。

キーワード
横浜美術館
メアリー・カサット展
京都国立近代美術館
メアリー・カサット
番組ホームページ
アメリカ
ル・メニル=テリビュ(フランス)
白内障
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