明日へ−つなげよう− ふるさとで一緒に暮らしたい〜熊本・益城町 東無田集落〜

放送日 2018年3月18日(日) 10:05~10:53
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
10:05~

熊本地震からまもなく2年を迎える熊本・益城町。震源地となった益城町には被災からの教訓を学ぼうと多くの人が訪れる。案内するのは東無田まちづくり協議会代表の田崎眞一さん。この集落は家屋の7割以上が全半壊という壊滅的被害。倒れた家の跡はいまも多くが更地のまま。いま東無田は大きな課題を抱える。仮設住宅に入っている人の大半は高齢者。自力で家を再建することは難しく、多くは益城町が建設する災害公営住宅に入る予定。しかし、その建設場所をめぐり住民と行政の意見の違いが浮き彫りに。住民たちは専門家をまじえて何度も話し合い、災害公営住宅を集落の中央に作りたいと考えた。集落再生のシンボルにしようと考えているが、益城町役場は災害公営住宅を集落の農地に建てる案を住民に示した。熊本地震で最も大きな被害を受けた地域のひとつである益城町・東無田地域。以前より活気に満ちたコミュニティを作ろうとする住民たちの記録だ。

キーワード
熊本地震
田崎眞一さん
仮設住宅
災害公営住宅
益城町役場
益城町(熊本)
東無田(熊本)

ふるさとで一緒に暮らしたい〜熊本・益城町 東無田集落〜 (バラエティ/情報)
10:07~

2年前の4月にて震度7の強い揺れが熊本を襲った。震源地は益城町。全半壊は5739戸で、20人に上る死者を出した。最も大きな被害を出した東無田地域では7割以上が全半壊。去年4月、震災から1年経った集落では新しい家が建った。自力で家を再建する人たちだ。一方で壊れた家の片付けが集落ではあちこちに空き地が目立つ。その多くが自宅を再建できずにいる人たちの土地だ。集落が今後どうなるのか心配している人がいた。集落のリーダーのひとりである宮永和典さんは元消防士で、定年後は農業をしている。宮永さんの家は全壊し、今は集落に隣接した仮設住宅で暮らす。宮永さんは妻の俊子さんと2人ぐらし。この日は結婚した娘が隣町から遊びに来ていた。宮永さんの子どもは2人。息子も家を出て働いている。子どものどちらかが集落に帰り、家を継いでほしいと願ってきた。人口370人、田んぼを挟んで熊本市に接している東無田。震災前には122戸の家があったが、地震により82軒が全半壊。そのうち約60戸は再建予定。再建予定の無い空き地に住んでいた人の多くが町役場がこれから建設する災害公営住宅に入居することになる。

東無田の仮設住宅は住人の7割が高齢者だ。災害公営住宅の入居を希望する豊永秀子さんは夫を14年前に亡くし、ひとり暮らしを続けてきた。豊永さんは災害公営住宅に移っても集落の人のつながりの中で暮らしていきたいと考えている。東無田に熊本地震をバネに集落を以前より元気にしたいと考えた人がいる。田崎眞一さんは集落で唯一の雑貨店を営み、東無田まちづくり協議会の代表も務める。田崎さんは地震後のおととし夏に集落の有志とともに集落の未来を考える会を結成。秋には震度7の地震の体験を伝えるスタディツアーを開催。東京や福岡などから次々とツアー客が訪れるようになった。田崎さんは妻と母、娘は2人。この日帰っていた長女は去年結婚し家を離れている。次女も結婚し熊本市内で働く。このまま若い人が減ると集落に未来はない。田崎さんはスタディツアーで知り合った都会の人とともに集落の未来を築いていけたらと思っている。

去年春、益城町はこれから建設される災害公営住宅の整備方針を発表。戸数は町全体で300戸。建設にあたり暮らしの再建、コミュニティの継承に着目。地域活性化など考慮していくとしていた。東無田含む飯野地区については20戸を予定していたが、建設場所はまだ決まっていなかった。去年6月、仮設住宅の集会場に住民が集まった。災害公営住宅について住民たちが話し合う。20人ほどが集まり、アドバイザーとして都市計画が専門の中央大学教授の石川幹子さんが招かれた。まず、集落内の広い空き地を割り出し、そこを利用して災害公営住宅を建てるプランを立てた。災害公営住宅は平屋で5件程度建設し、なるべく集落の中央に寄せる。災害公営住宅は高齢者が多く入る。中央に集めれば近隣住民による介護や見守りなどもしやすい。公園から八幡宮間の災害公営住宅まで花や木を植えて繋げる。集落の中央に人の賑わいを生み出そうとするアイデア。八幡宮の広場に農家レストランと集会所を作り、都会の人との交流の場を作ろうというアイデアも生まれた。集落が元気になれば出ていった若い世代も戻ってくるのではないかと住民たちの期待は膨らんでいた。

田崎さんたち住民はこの復興プランをまとめた町役場に提出しようと準備に入った。通常、自治体が被災者の入る災害公営住宅を建てる場合、自治体が用地を選定し、被災者に青写真を示す。しかし、東無田の場合は住民たちが集落の復興デザインを話し合い、災害公営住宅の候補地も選んで町役場に提案しようとしていた。住民たちの話し合いから4日後、仮設住宅の集会場で災害公営住宅について町役場による初の説明会があった。集まった住民は40人ほど。益城町役場から担当者が説明に来ていた。家賃や入居条件など示された後に説明が問題の建設場所に移る。すでに町役場が東無田内ではなく周辺農地に15戸を建設の計画を立てていたことがわかった。住民から予想外の町役場の動きに戸惑いの声が出た。どこに災害公営住宅を建てるかについては今後町役場の案も含めて住民からの意見を聞いて結論を出すことに決めた。住民が話し合った災害公営住宅候補地は集落内にある。一方で町が動き始めていた災害公営住宅建設予定地は住民の住宅案から東側にある農地。町は農地に建設すればまとめて広い土地が取得でき、土地の価格も安く抑えられる。建設後も早期に完了できるとした。住宅たちは災害公営住宅を集落内につくり、公園や集会場も作れば自然に人の流れができ、入居者の高齢者の見守りもできると考えていた。

石川幹子は地域の空き地を利用して災害公営住宅を建てることは首都直下地震の対策に応用できると話す。石川幹子は「首都直下地震はいつか必ずくる。さあどうしようかという時に、東京をざっくりと1つに見るのではなく、その中の小さなまとまった無数のコミュニティに着目する。災害公営住宅はそういうコミュニティを重視し、もう一回その地域の中に作ることが重要だと東無田を見ていて思う」とした。

東無田は去年10月、災害公営住宅の建設が大きな転機を迎えた。益城町役場は災害公営住宅検討委員会の場で、これまで災害公営住宅の戸数を300戸にする予定であったが、アンケート調査の結果680戸必要であることがわかったと発表した。町は用地や予算の確保の見直しを求められている。去年12月、町役場と住民らが話し合う場が作られた。今後は町役場の提案した農地案と住民が提案した4つの候補地について議論することとなった。住民はこの場で町役場の提案する農地を公営住宅の建設地とする案について「農地は地盤がゆるく、建物を建てるにはコストがかかる」などと指摘を行った。また、住民の出した案の抱える避難路の問題についてなども今後は議論を行っていくこととなった。田崎さんは「今まで話し合う機会もなかったので意見を出し合えてよかった」と話した。

田崎さんたちは住民たちの復興プランをまとめて急いだ。集落内の地権者の同意をとりつけ、同意が取れなかった土地は候補から外した。出来上がった東無田の復興グランドデザインは、集落内に配置された災害公営住宅と集会場、公園が1本の緑道で結ばれる計画。自力再建者と災害公営住宅利用者が一緒に暮らし、お互いに助け合い、見守り合いながら笑顔で生活したいと記されている。去年7月14日、田崎さんはみんなでまとめた復興プランをまとめて益城町役場へ。町長を始めとした災害公営住宅の担当者が担当。田崎さんらが復興プランと新しい集落のイメージ図を手渡す。町は復興プランの内容は評価したものの、課題として財源には限りがある、東無田を特別扱いはできないことを挙げた。こうした中、町役場の農地案に賛成する一部住民が災害公営住宅の農地への建設を実現するよう陳情書を提出。そこで田崎さんたちは集落の全区を訪問し、災害公営住宅をどこに建設すればいいのかという住民の意向調査をすることになった。仮設住宅をめぐり、集落内の災害公営住宅建設に賛成するという人には署名をしてもらう。災害公営住宅入居の希望も聞く。2日間で200人ほどが集落内に作る案に署名。東無田で災害公営住宅の入居希望者は20人、そのうち18人が集落内を希望。田崎さんらは署名と意向調査の結果を持って再び町役場に。非公開の話し合いは2時間近く続いたが、住民たちの声は届かず。仮設住宅に失望が広がっていた。

田崎さんらは自身の公営住宅建設案を実現するため、東無田についてのスタディツアーを開くなどし全国の人々と交流している。ツアーでは東無田集落の魅力についても紹介されている。この日は森永さんが被害に遭った当時について「集落全体が巨大ながれきの山になり思わず目をふさいだ」などと話した。この日は集落で取れたにんじん、かぼちゃ、よもぎを使った三色団子をが振る舞われた。また、お土産として地域の野菜や果物を販売し、最後に江戸時代から集落の人々のより何処である八幡様に対しみんなでお願いをした。ツアー参加者らは「もてなしてもらったので私達も何かしたい」、「とても前向きで驚いた」などとコメントした。

3月、災害公営住宅検討委員会の委員長で熊本県立大学の澤田道夫准教授が東無田を訪れていた。災害公営住宅の建設候補地を改めて確認するため。3月15日、益城町災害公営住宅検討委員会は意見書を益城町に提出。、地元住民が提案していた集落内2か所に合わせて16戸程度を優先的に整備し、町提案の用地には8戸程度整備、これが実現すれば集落内で暮らしたいとしていた全ての住民の希望が叶うことになる。住民たちはこの日も自分たちの集落をどんな集落にしていきたいか意見を出し合っていた。みんなで未来の暮らしを描いていく。

今年1月、東無田の集会所で再び住民と町役場で田崎さんらは再び町役場と話し合い検討が行われた。「既存の集落に近いか」、「老人を見守れる位置か」など様々な点から検証がおこなわれた。役場は変わらず農地を利用しようと考えているが、住民が提案した土地のうち2箇所が高く評価された。今後検討委員会の学識経験者はこれをもとに意見書を町に提出する。

今年1月末、東無田集落の女性らは新しい活動を始めた。この日は熊本市の子ども世帯に呼び掛け、手づくりの納豆を作った。若い盛大に農村の豊かさを知って移り住んでもらうためである。

キーワード
熊本地震
東無田(熊本)
小池島田仮設団地
仮設住宅
災害公営住宅
益城町(熊本)
熊本市(熊本)
東無田まちづくり協議会
東京都
福岡県
益城町役場
中央大学
八幡宮
飯野(熊本)
文京区(東京)
神楽坂(東京)
四谷(東京)
タヌキ
アブ
西村博則町長
向井康彦副町長
阪神淡路大震災
町役場
益城町災害公営住宅検討委員会
にんじん
よもぎ
かぼちゃ
三色団子

エンディング (その他)
10:47~

東無田集落で住民ち町役場が話し合いを続けてきた災害公営住宅をどこに作るのかについて、正式決定はことし5月末ごろになる見込み。

テロップ:NHKオンデマンドで配信します。ご案内はdボタンで。 

キーワード
益城町(熊本)
東無田(熊本)
熊本地震
災害公営住宅
NHKオンデマンド

特集 明日へ つなげよう 東日本大震災から7年 (バラエティ/情報)
10:48~

先週日曜日は3月11日、東日本大震災から7年になった。福島県相馬市松川浦では青海苔漁へ向かう漁師の姿があった。漁は原発事故の後先月まで自粛していた。1800人ほどが犠牲になった岩手県陸前高田市は最大12mほどの高さまで嵩上げする工事が進められてきた。熊谷幸さんは去年できた新しい市街地でお店を営んで初めての3月11日を迎える。宮城県仙台市では地震が発生した時間にて黙祷が捧げられた。被災した地域ではあの日のことをどう継承していくのかが課題になっている。岩手県の三陸鉄道では沿線をめぐりながら震災の記憶や経験を語りあう催しが開かれた。岩手県陸前高田市で行われた灯火での追悼。この日は夜遅くまで祈りが続いた。

宮城県名取市閖上から被災地からの声を紹介。渡邊成一さんは「閖上の記憶、新たなスタート。閖上において津波復興祈念資料館として閖上の記憶がある。一人一人の方々に自然災害の恐ろしさ、命の大切さを伝える活動をしている」など、佐藤幸弘さんは「お互い様。震災で消えかかっていた思い出の味を再現。閖上たこ焼きは名取のソウルフード。復興支援のためになにか出来るものはないかと思い、みなさんの意見を聞きながら再現した。閖上のことを知ってもらうため、思い出の味を残し続けたい」など述べた。

キーワード
東日本大震災
青のり
原発事故
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海上自衛隊
相馬市(福島)
陸前高田市(岩手)
仙台市(宮城)
宮古市(岩手)
松川浦
震災
津波復興祈念資料館
閖上たこ焼き
閖上(宮城)
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