明日へ−つなげよう− それでもイナサは吹き続ける〜ふるさとを紡ぎ直す人々〜

放送日 2017年6月11日(日) 10:20~11:08
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
10:20~

2005年仙台市若林区荒浜は美しい松林に抱かれ2400人あまりが暮らしていた。6年後荒浜は178人の命とともに町は跡形もなく消えた。営みが大津波によって奪われ、廃墟の中から人々は立ち上がった。南東の風”イナサ”は漁師に大漁、農家には豊作を情けのイナサと呼んでいた。2011年避難所から仮設住宅へ、ここでも荒浜の人たちは失われた営みを取り戻そうと助け合い暮らしてきた。そして6年後に仮設住宅は取り壊され新たな土地で別々の道を歩んでいる。かつてそこにあった故郷。人と人とのつながり。新たな道を歩んでいく人たちの震災6年目の記録。

キーワード
東日本大震災
津波
イナサ
荒浜(宮城)

それでもイナサは吹き続ける〜ふるさとを紡ぎ直す人々〜 (バラエティ/情報)
10:23~

荒浜から内陸に5キロほど入った荒井西地区は仮設住宅を出た多くの人が移り住んだ新しい住宅地。去年6月小さな庭で野菜を育てている佐藤利幸さん。作っているのは風よけで、震災で荒浜の松原がなくなり風の具合も変わったという。2011年津波で砂をかぶった先祖伝来300ヘクタールの農地で利幸さんは砂を掘り、わずかに残った土を新居に運んだ。

180世帯あまりが暮らす荒井西地区は7割が荒浜出身。利幸さんら新たな住民が町内会を立ち上げることになった。設立総会には全世帯の8割が集まり集会所は寿司詰め状態になった。住民たちはやっとできたや楽しみだなどと語った。

荒浜の沖合4キロの海で震災前と変わらず漁を続ける佐藤吉男さん。震災から1週間で漁を再開したという。海の仕事一筋67年の赤貝漁師で荒浜の我が家は津波で流された。しかし吉男さんは新しい住宅地には移らず少しでも海に近いところで暮らしたかったという。震災から4ヶ月後の吉男さんの自宅跡でテントから再出発し、毎日のように荒浜に通い流された作業小屋も自分の手で直し、元の暮らしを取り戻そうと海風を感じるこの場所で懸命に働いてきた。

わずかに残った荒浜の松林をのぞむ田んぼの一角に去年7月新しい家を建てた。震災後もひたすら漁に出続け、土地と家の資金はなんとか賄った。吉男さん安ければいいなと思ってたがこんなに立派な家に入るとは思わなかったとコメントした。かつて荒浜にあった我が家は家の裏側は松林で孫・眞優子さんのお気に入りの遊び場だった。眞優子さんは今年23歳になり、震災6年目にじいちゃんが取り戻してくれた海を感じる暮らしに、緑ある景色を見るとたそがれるような感じになるとコメントした。

蘇った農地にイナサが吹き渡る。農家の佐藤さんは新たな住宅地ではじめての夏を迎えた。荒浜の土をいれた庭の畑でできた作物について、ナスは100点に近い良い出来、トマトはまあまあだと話す。とれた野菜でお盆の準備がはじまる。元の仏壇は津波で流されてしまったので新たな仏壇をこしらえた。

荒浜のお盆では、故郷を離れて新たな生活を歩み始めた人々が一時集う。

去年の夏に東北は再び大きな災害に見舞われた。8月に4つの台風が襲来し、甚大な被害をもたらした。吉男さんの作業小屋も瓦礫が当たって屋根が吹き飛んでしまった。吉男さんの家では台風の後は海岸にでかけるのが恒例行事だ。孫の眞優子さんが探しているのは浮きだ。

秋にイナサからナライと呼ばれる冷たく乾いた西風へ変わって、荒井西地区では懐かしい風景の干し柿が蘇っていた。小さな畑を作っていた農家の利幸さんの家ではたくあんを作るために大根を干していた。利幸さんはナライの風だと乾きがいいと語り、震災にあって5年ぶりに復活したと喜び、住宅地にはちょっと不似合いな鮭を干していた。荒浜に近い吉男さんの家では、IHに慣れない手つきの妻・さちきさんが焼いていたのは舌平目で雑煮の出汁に使うと語った。舌平目もナライの風にあてて乾燥させるという。

荒浜の仮設住宅を訪れる。去年11月には取り壊しが進んでいた。震災から半年後の仮設住宅では館山さんが1人で暮らしていた。荒浜生まれの妻と一人娘を亡くしていた。震災前は近所付き合いは妻に任せきりだった館山さんは、1人になって初めて荒浜の人たちの暖かさが身にしみた。その頃館山さんが一日の大半を過ごしたのは仮設住宅の集会所だ。その頃が一番楽しかったという。復興住宅にいくと知っている人が誰もいない。復興公営住宅に来てからも仮設住宅がなくなるまで荒浜の人たちに会える集会所に通うのが日課だった。館山さんは運ぶのが面倒という理由でいつも台所でごはんを食べる。復興住宅の生活はすっかり面白くないという。楽しみは妻とよく食べたクジラの刺し身を肴にした晩酌だ。

この日は年末のおまかない漁で取れた魚や貝をお世話になった人へおすそ分けするという。漁師仲間の松木波男さんは義理堅くおすそ分けは欠かさない。荒井西の住宅地で暮らす波男さんが向かったのは、利幸さんの家でホッキ貝のおすそ分けをし、利幸さんは大根をおかえしした。波男さんは荒浜の習わしを今年も守り通した。荒井西の集会所に集まり人々は年末の大掃除をした。荒浜の頃も年に一度住民みんなで集落を掃除していた。

荒井西には最近は被災していない人も増えてきていて、すぐ近くには大きなショッピングモールもできた。公園で遊んでいる人は子供が遊ぶ場所がたくさんあるのがいいなどと話す。

3月11日に館山さんが荒浜に姿を見せた。妻と娘の7回忌だ。仮設住宅がなくなってからは1人閉じこもりがちな暮らしが続いていた。館山さんは妻と娘はもう帰ってこないから何にしても寂しいなどと話す。

仙台港に停泊した吉男さんの船には孫の眞優子さんも一緒だ。眞優子さんはこの時期まだ寒いし、じいちゃん1人だと心配になる、いつか船の免許を取ってじいちゃんを乗せて海を走るのが夢だなどと話す。

農家の佐藤さんの庭に二度目の春が巡ってきた。今年もダイコンの種をまく。山土と荒浜の土がまだよく混ざっていないので鍬に土が付いたままだとすぐに錆びてしまうとのことで手入れをしている。去年干したダイコンの漬物はちょうどよく漬かっていると話す。

仙台市内の小学校が入学式を迎える。生まれて間もなく震災に遭い仮設住宅で育った子たちも1年生となる。震災前住人たちが植えた花が咲いていた。

荒浜は震災から6度目の元旦を迎えた。吉男さんの家ではナライの風で乾かした舌平目を出汁にしたお雑煮に舌平目の味は美味いと述べた。5年前は本物の味じゃない味が変わってると言っていて仮設住宅には荒浜の風は届かなかったようだ。また吉男さんは毎年美味しいと妻さちきさんの料理の腕を褒めた。

荒井西の住宅地で荒波にあった人のつながりを取り戻そうという動きが始まっていた。月に一度の集まり「お茶っこサロン」。かつての荒浜では友引の日を選んで寺に集まり話に花を咲かせた。この友引の会は仮設住宅にも受け継がれ、それぞれに寂しさを抱えていた女性たちを励まし支える場となった。また地元の小学生達が在りし日の荒浜の姿を調べ59枚にまとめたカルタで遊んでいた。

キーワード
震災
津波
イナサ
荒井西地区(宮城)
荒浜(宮城)
町内会
赤貝
漁師
ナライ
大根
舌平目
たくあん
雑煮
柿の木
仙台港
ほっき貝
ホッキ貝
ちょっとお茶っこサロン
カニ
フナ
荒波(宮城)

明日へ つなげよう (バラエティ/情報)
11:03~

荒浜地区では小学校が震災遺構として公開されている。出来る限り当時の姿で保存されている。

荒浜地区から4kmほど行ったところにはせんだい3.11メモリアル交流館という施設がある。当時の状況や復旧・復興の歩みを紹介している。現在開かれている企画展がそれから、の声がきこえる。声を身近に感じてもらうため様々な声が流れる。100人を越す人が思いを語った。佐藤豊さんは周りの人を助けられなかったことを後悔していた。

キーワード
震災遺構
せんだい3.11メモリアル交流館
それから、の声がきこえる

被災地からの声 (バラエティ/情報)
11:06~

いわき市にある富岡町民の交流サロン。原田宏さん「これからも楽しみを見つけ出して生きる」、清水章子さん「寄り添える 人でありたい!」。

キーワード
富岡町(福島)
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