インタビュー ここから 澤穂希

放送日 2016年5月4日(水) 6:30~ 6:53
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
06:30~

日本女子サッカーをワールドカップ優勝に導いた澤穂希はFIFA女子年間最優秀選手に日本人で初めて選ばれた。去年引退を表明。試合に出られない少女時代、女子サッカー人気の低迷、チームからの解雇など悔しいことばかりだったが、世界一への夢を諦めなかった。

オープニング映像。

キーワード
ワールドカップ
FIFA女子年間最優秀選手

夢はかなえるもの ~元サッカー選手 澤穂希~ (バラエティ/情報)
06:32~

2011年ドイツワールドカップのアメリカとの決勝では澤さんが放ったシュートが同点ゴールになりPK戦を制し世界一になった。その時の心境を、夢のようだったが、次の日ベッドの横にメダルがあった時に夢じゃないと実感した。長い道程だったがやっと夢が叶った。女子サッカーが世界一になるとは思ってなかった、女子サッカー携わってくれたすべての人に感謝と話した。

15歳の時に当時、最年少で日本代表入りを果たした澤穂希。2年後のアトランタ五輪では3戦3敗、次のシドニー五輪は予選敗退で出場権を逃したことで女子サッカー人気は低迷し、スポンサーは撤退していき、澤穂希はクラブチームを解雇された。澤穂希は当時の状況について「全然子どもと大人がサッカーをやっているような印象だった」と振り返る。

澤と取材で知り合って8年、選手として最後の5年間を過ごした神戸で一柳アナがインタビュー。チームの練習場を訪れた。環境も良く大好きな街という。

女子サッカーが注目されていなかった中、観客も家族とか友達などがいるというのが見ればわかるというぐらいの人数だった。

澤は1978年東京・府中市生まれ。6歳で兄のサッカー練習についていき初めてボールを蹴った。小学生で地元クラブに入り男の子に混じってプレーした。

澤穂希はプレイの舞台を求め、アメリカへ。体の大きなアメリカ人とプレイするうちに持ち味のテクニックや判断の早さを活かすようになった。そのプレイスタイルは注目されるようになった。

澤穂希は「高さ・速さというのはまだアメリカ人とかに勝てない部分が多いけど、日本人の敏捷性だったり戦術理解度というのは負けないなというのはあって、そういうところを活かせばいいかなという感じだった。精神的には強くなって、人とのコミュニケーション能力が上がったかなと思う。日本代表となるといえば国際試合が増え、海外の選手とコミュニケーションを取りたいなと思う。レフリーに対しても日本語じゃ通じないし、話すっていうことは大切だなと思う」と話した。

去年現役を引退した澤さんは仙台で新婚生活を送っている。今後子どもができたら好きな事をやらせてあげたい。ずっと大切にしてきた言葉「夢はみるものでなくかなえるもの」を書いた。夢を叶えるためには時間がかかると思うが、継続や努力などが大切。挫折しそうになった事はいくらでもある。諦めなければつかめると思っていると話した。

女子がサッカーをするのは珍しい時代、当時澤は公式戦に出してもらえず悔しい思いの連続だったという。

アメリカから帰国した澤穂希は2004年アテネ五輪に出場し、ベスト8に進出。2008年北京五輪ではベスト4、メダルには手を届かなかったものの最後までボールを追い続けた。試合前、澤穂希は「苦しい時は私の背中を見て」という言葉をチームメイトにかけていた。言葉に込めた思いについて澤穂希は「日本が強豪のベスト4に入るっていうのは今までになかったし。考えられなかったのでみんなに戸惑いがあった。あのときぐらいから自分自身も世界一になりたいと思えた時期だった。」と話した。

澤は中学生になると社会人のいるクラブチームで本格的トレーニングを始めた。W杯など世界で戦いたいという夢を抱くようになった。練習後も泣きながらボールを蹴っていたという。

キーワード
アトランタ五輪
シドニー五輪
ドイツワールドカップ
澤穂希
神戸市(兵庫)
アメリカ
府中市(東京)
アテネ五輪
北京五輪
ワールドカップ
オリンピック
仙台(宮城)

エンディング (その他)
06:52~

現役最後の試合は自らのゴールで飾った。

キーワード
皇后杯 全日本女子選手権

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