ヒーローたちの名勝負 スペシャル 体操ニッポン復活の金メダル〜アテネ五輪男子団体

ヒーローたちの名勝負(ヒーローたちのめいしょうぶ)は、2013年4月より土曜日22時台(基本22:30-22:50、内容によっては22:20-22:40であったり、22:20-22:50の場合もある)でNHK総合テレビジョンで放送されるスポーツのドキュメンタリー。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年8月17日(土) 23:10~ 0:00
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープンング (その他)
23:10~

28年ぶりに王座を奪還した体操男子団体。かつて体操は日本のお家芸だといわれていたが、その輝きは失われていった。男子団体代表たちは、実現不可能なミッションをこなし、本番直前までミスを連発。チーム崩壊の危機にも陥ったが復活。今回はその真実に迫る。

日はまた昇った 体操ニッポン 復活の金メダル (バラエティ/情報)
23:13~

2004年5月3日、アテネ五輪代表を決める最終選考会(NHK杯)がおこなわれた。選ばれたのはアトランタ五輪・シドニー五輪出場の塚原直也、2003年世界選手権個人総合銅メダルを獲得した冨田洋之、2003年世界選手権「あん馬」「鉄棒」金メダルを獲得した鹿島丈博、そして初代表の米田功、伸び盛りの若手・水島寿思と中野大輔だった。そしてキャプテンを任されたのは、選考会を1位で通過した米田だった。

選手たちのムードが一変したのは、強化合宿初日の5月26日のことだった。米田がチームメイトの前で見せた“一本通し”の練習を見て、ヘッドコーチも「オーバーワークにならないか」と心配の色を見せた。このことに米田本人は「人生をかけたかった。貴重な時間を過ごしていることを共有したかった」と話した。

体操男子団体の金メダルは、体操王国・日本の誇りだった。1960~70年代にかけ、五輪5連覇を達成したが、世界では新しい技が次々と誕生。日本の体操界は危機感を募らせた。打開策を求めたのは当時の世界王者・ソビエトだった。日本体操協会常務理事の遠藤幸一さんは、「技をやるためには基礎の時間が必要だが、とくに姿勢の面をおろそかにしていた」と語った。また、ソビエトの指導書を見てみると、日本の往年の名選手の写真で教えていたことがわかった。それを見て、自分達が忘れていたところを大いに反省すべきことだったということがわかったという。

日本の体操界はジュニアの育成方法を見直した。小さい頃の鹿島たちを指導したのは、体操コーチの城間晃。すべての技の基本となる倒立を完璧にマスターさせないと、次のステップへと進ませなかった。

7月上旬、体操男子団体代表らは代表強化合宿をおこなっていた。団体戦では1種目につき3人が出場、6種目の総得点を競う。日本の最大の弱点は「ゆか」だが、このスペシャリストとしてメンバー入りしたのが中野大輔だった。ゆかの才能を買われて代表に抜擢された中野だが、五輪が近づいても平行棒の練習ばかりしていた。平行棒の補欠にも選ばれており、大技を決めれば平行棒にも抜擢されると、ゆかの練習をおろそかにしていた。

23日に公開試技会を迎え、中野はゆかの演技で宙返りのひねりが足りず、しりもちをついてしまった。指導陣から中野を代表から外すという意見まで出されるほどだった。合宿は翌日で終了となり、練習は午前中しかない中、監督は米田功を通して中野に早朝から練習させるよう指示した。そこで米田は、中野ひとりではなくみんなで練習をしようと思い、他の代表メンバーに声をかけ練習をおこなった。中野は5人の演技を見つめ、そしてそのときの気持ちを中野は「本当に申し訳ないなという気持ちだった。やってやるんだという気持ちが見えた」と語った。

2004年8月、アテネオリンピックが開幕した。16日に体操男子団体決勝を迎え、金メダルの最有力候補は前年の世界選手権で団体を制した中国、そして2番手と見られていたのはアメリカだった。第一種目のゆかには、塚原、米田、中野が出場。このときの中野の点数は9.412。最後の3週間で懸命に立て直した結果だった。この時点で日本は7位だったが、1位との差は1点にも満たなかった。

次の種目はつり輪。つり輪には塚原と冨田の2人しか世界で戦える選手がいなかった。そんな中で白羽の矢が立ったのは水鳥だった。つり輪の名手・冨田のアドバイスにより練習を重ね、そして本番は9.625という点数を打ち出した。3種目を終えた時点で日本は2位となった。

残すところあと1種目となり、この最終種目の鉄棒には米田、鹿島、冨田の3人が出場した。この時点でトップだったルーマニアはミスをおこし、優勝争いから脱落。3位だったアメリカも土壇場でミスをおこしてしまった。そして日本は米田からスタートし鹿島、そして冨田へとタスキをつなぎ、演技を披露。見事28年ぶりの金メダルを獲得した。

このときのことを振り返り、鹿島は「日本は低迷していたといわれているんですけれど、やっぱりそこでも積み重なってきたことが、アテネに繋がったのかなと。いいタイミングで僕たちが引き継げた」と語った。また中野も「最高のチームワークだった」、米田も「一体となっていたから結果が出せた」と語った。

キーワード
NHK杯
アトランタ五輪
シドニー五輪
アテネ五輪
日本体操協会
アテネオリンピック

スポット

この番組で紹介されたアイテムは登録されていません。
  1. 前回の放送
  2. 8月17日 放送
  3. 次回の放送