ヒーローたちの名勝負 三つ巴のデッドヒート 瀬古利彦×宗猛×宗茂

ヒーローたちの名勝負( -めいしょうぶ)は、2013年4月から2014年3月にかけて、NHK総合テレビジョンで土曜日22時台 に放送されたスポーツのドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年7月13日(土) 22:30~22:50
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
22:30~

毎年福岡市で行われる福岡国際マラソンは、かつて世界のトップランナーが勢揃いし、その覇者は世界最強と呼ばれた。その歴史の中でも名勝負と言われるのがモスクワ五輪の代表選考もかねた1979年の大会で、宗茂、宗猛、瀬古利彦の日本人選手3人が激烈な優勝争いを繰り広げた。今回は、世界最強の座をかけた三つ巴の戦いの裏側に迫る。

キーワード
福岡国際マラソン
モスクワ五輪
福岡市(福岡)

三つ巴のデッドヒート 瀬古利彦×宗猛×宗茂 (バラエティ/情報)
22:32~

双子のランナー・宗茂と宗猛は宮崎県延岡市を拠点に練習を積み、1970年代の日本のマラソン界を牽引する存在となっていた。二人がマラソンに出会ったのは小学6年生の時に開催された東京五輪で、アベベや円谷幸吉の力走に胸を躍らせた。高校時代、恩師に「素質がる。オリンピックに行ける」と言われ、オリンピック出場が明確な目標にる。その後、二人は同じ実業団に入り才能を開花させたが、モントリオール五輪の代表選考をかねた毎日マラソンで明暗が分かれた。兄の茂は五輪代表に選ばれ、弟の猛は落選したのだ。宗猛はその時を振り返り「悔しいという問題ではなく、情けないという気持ちの方が強かった」と語っている。

宗兄弟と瀬古利彦の福岡国際マラソンでの争いを振り返った。モスクワ五輪の選考を兼ねたレースで瀬古利彦が優勝を果たした。瀬古を育てた中村清監督は、「瀬古に金メダルを取らせる」という目標を掲げ、「4年計画」と促されていたことを瀬古利彦が語った。瀬古利彦は、トラック競技で培ったスピードを元にゴール前の走りでは無類の強さを誇った。宗兄弟は当時ライバルだったと語った。兄の宗茂は当時世界歴代2位の記録で別府大分毎日マラソンを優勝していた。瀬古らはお互いに延岡は雨でも東京は腫れているんだという思いで練習を行なっていたと語った。

1979年12月2日の福岡国際マラソンには、世界最強の座をかけてモントリオール五輪金メダリストのチェルピンスキーや欧米のトップランナーが福岡に集結。日本の選手にとってモスクワ五輪の代表選考がかかっていた。日本代表の枠数は3つ。レースは例年にないスローペースで始まり、その裏には宗茂の思惑があった。このとき体調が良くなく、ハイペースでいかれると対応ができなかったという。体調が悪くても自分のペースに持ち込む宗茂のしたたかな計算に救われたという瀬古利彦も、ものすごく疲れてい絶不調だったと語った。一方、宗猛はこの日絶好調だったがスローペースにあわせ、日本代表枠に入る確実性を求めた。

レースは30km過ぎに動いた。しかけたのは宗猛だった。次々と脱落していく中、残った日本人選手は4人。その中には伊藤国光がいたが、36km地点に入ると残りの日本人選手は宗兄弟と瀬古利彦だけになった。

3人になり、ここで勝負の流れを変える一瞬の出来事が起こった。それは、宗兄弟が後ろを振り向いたこと。このときのことについて、瀬古利彦は「苦しいから相手が来るんじゃないかと後ろを見る。見た瞬間に『これは追いつける』と思いました」と語った。そして土壇場で前を走っていた宗兄弟に追いついた瀬古利彦は、ラストスパートをかけて優勝。この3人のタイムの差はわずか5秒だった。

当時を振り返り、瀬古利彦は「勝負というのは絶対にゴールをするまで諦めてはいけない。それがこのレースです。人生でこのレースはすごく勉強になった」と語った。

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