ヒーローたちの名勝負 かばい手か?つき手か? 貴ノ花・伝説の一番

ヒーローたちの名勝負( -めいしょうぶ)は、2013年4月から2014年3月にかけて、NHK総合テレビジョンで土曜日22時台 に放送されたスポーツのドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年5月4日(土) 22:20~22:50
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
22:20~

昭和47年初場所、横綱 北の富士 対 関脇 貴ノ花は相撲史に残る名勝負となった。行事の軍配は貴ノ花にあがった。しかし、貴ノ花の体勢は死に体で、北の富士は倒されてついたつき手ではなく、貴ノ花を守るためのかばい手であると物言いがついた。軍配は覆り北の富士の勝ちとなったが、この一番が論争を巻き起こす。審判団の判定に対し抗議の電話が殺到し、新聞では一面トップで報じられた。この勝負の裏側にせまる。

キーワード
北の富士
貴ノ花
相撲

「つき手」か「かばい手」か?貴ノ花・伝説の一番 (バラエティ/情報)
22:23~

あれから41年、伝説として語られる一番について、北の富士はじっくり振り返った事はないとう。そこに現れたの対戦相手の息子の貴乃花親方。2人であの一戦の映像を見た。めまぐるしく入れ替わる攻防、この一番はナゼ生まれたのか。

昭和46年秋に大横綱の大鵬が引退し相撲界では新しいヒーローを必要としていた。その筆頭と目されていたのが東の横綱 北の富士。そして大鵬を破り引退に追い込んだ若手力士の関脇 貴ノ花。2人の対戦の1/3が日曜日にクマれ、サンデースペシャルとも呼ばれていた。2人の対戦は常にもつれ、行事泣かせと呼ばれていた。

そしてあの名勝負が生まれたもう一つの理由があった。前年に北の富士のライバルの横綱玉の海が急死した。 大鵬亡き後、ともに支えあった2人だった。1人横綱となり迎えた昭和47年の初場所、貴ノ花は大関取りがかかり重圧に苦しめられていた。

初場所8日目、2人の戦いはいつも以上に激しい攻防となった。2人の体はほぼ同時に土俵へ。勝負がついた途端軍配は貴ノ花にあがった。しかし物言いがつき、審議は5分間という異例の長さ。行事の木村庄之助は軍配をあげた理由を繰り返し訴えた。しかし4人の審判の考えは正反対で、行事差し違いで軍配は北の富士となった。日本相撲協会に抗議電話が殺到した。これに納得出来ない木村庄之助が引退する事態にまで波紋は広がった。

類まれな足腰を持つ貴ノ花だからこそ起こり得た一番だった。普通の力士ならばあの場面での起死回生はなかったが、貴ノ花だからこそ物言いがついた。貴ノ花は膝から下にもう一つの魂を宿していた。と本土雅輝は話した。

貴ノ花は中学時代は水泳選手だった。抜群のキック力でメキシコ五輪の代表候補に選ばれるほどだった。師匠は土俵の鬼と言われた、兄で、元横綱の若乃花。猛稽古で知られる二子山部屋のなかでも稽古量はヌキに出ていた。

高見山と貴ノ花は と数々の熱戦を演じてきた。高見山が忘れられないという高見山対貴ノ花の一戦を紹介。貴ノ花は決して手をつこうと しない。鍛えぬかれた下半身と勝負への執念、貴ノ花という存在無くして名勝負は生まれなかった。

名勝負から8ヶ月後、あの初場所以来優勝を逃していた北の富士は、秋場所で全勝優勝し見事に復活し一人横綱の責任を果たした。同じ秋場所の千秋楽で、大関取りに挑んでいた貴ノ花は輪島と対戦。3分59秒の激闘の末、輪島が勝利。負けはしたが、輪島と2人揃って大関に昇進。その後2度の優勝を果たし、昭和の名大関と呼ばれた。

貴ノ花は平成17年に55歳の若さでこの世をさったが、病床を見舞った親しい記者に、北の富士とのあの名勝負について、剣術の世界でいうと「相討ち」 で、あの勝負には勝ち負けはないと語っていた。北の富士は、貴ノ花に対しファン心理があったと明かした。伝説となったあの一番の記憶は今も鮮やかに刻まれている。

キーワード
貴ノ花
相撲
大鵬
玉の海
琴櫻
木村庄之助
若乃花

エンディング (その他)
22:48~

エンディング映像。

スポット

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