いつか来る日のために 証言記録スペシャル「我がことにするには」

放送日 2019年3月9日(土) 16:20~17:10
放送局 NHK総合大阪

番組概要

証言記録スペシャル いつか来る日のために 我がことにするには (バラエティ/情報)
16:20~

去年7月、日本列島を襲った豪雨は西日本に甚大な被害をもたらし、気象庁は早々から記者会見を行い注意を呼び掛けた。大雨をもたらす雨雲は中国・四国地方に次々と発生し50年に一度の大雨となった。しかし各地で避難勧告・指示が出されたにも関わらず避難を躊躇った人や避難しなかった人がいた。豪雨で各地の河川は氾濫し住宅地に流れ込んだ。その時になって初めて住民たちは危険を感じたという。被害は広範囲に及び犠牲者は230人以上に上った。災害が起きる度に命を守る術を学んできたが、何故多くの犠牲を未然に防ぐことが出来なかったのかを考える。

東日本大震災を経験しても避難行動に結びつかないことが課題となっている。気仙沼市で被災したサンドウィッチマンの2人、伊達は東日本大震災の際に逃げるという概念がなく、スタッフの指示で逃げたと語った。広島県出身の風見しんごは子供の頃の広島は瀬戸内気候の温暖で雨が少ないと言われていたため、雨で災害が起きることを想像出来なかったと話した。西日本豪雨の際気象庁は1府10県に大雨特別警報を発表、避難指示・勧告の対象者は焼く863万人だが実際に避難したのは約4.2万人だったという。

岡山・倉敷市真備町は街を流れる小田川が決壊し急激な浸水に襲われた。真備町は依然からハザードマップで洪水の恐れがあると警告されていたが、避難する人はほとんどいなかった。被災した秦さん夫婦は家が浸水被害を受けることは一切頭になく避難しなかった。倉敷市は7月6日午後10時に避難勧告を発したが、雨の音で防災無線が聞こえなかったという。午前0時には小田川が氾濫し、1階で寝ていた秦さんは慌てたことを語った。急上昇する水から逃れるため屋根へ上がり、打ち付ける雨に耐えることになってしまう。午前6時に秦さん夫婦は消防隊に救助された。ここまで水が来ると思わなかったという油断が避難しなかった理由だった。

逃げたくても逃げられなかった人もいる。高齢の方が住んでいるリストはあったのに助けに行く人達のリストはなかったという。専門家の山村さんにと防災士の柳原さんに話を聞く。柳原さんは短期間で大きな地震を2回経験している。東日本大震災で津波警報が入った当時、警報が入ったことすら知らなかったという。津波ということを聞いてもピンと来なかったというが子どもを連れて避難するとその後津波が来たという。自宅には膝上くらいまで水が来たという。避難に繋がらないのはいつか来るとは思っていたがまさか今日とは思わないという。多くの方が”正常性バイアス”で大丈夫だろうと思ってしまうという。熊本でもどうしたらいいか分からなく固まってしまう”凍りつき症候群”になった方も多かったよう。適切な判断や行動が出来なくなってしまうという。事前対策をしておくことが行動にうつせることになる。年に1度でも事前のシュミレーションをしておくことで安心もできるという。避難行動要支援者名簿というものが作られたが個別に助ける人のリストが無かった。しかし東広島市では事前に担当者を決めていて犠牲者はいなかった。また近所とのコミュニケーションが大切とした。

広島・呉市天応地区は大規模な土砂崩れが発生した。避難したくても出来なかったという黒川さんは当時父親と共に自宅にいたが、父親は寝たきりの状態で避難所や2階に連れて行くことも出来なかった。呉市では2年前から避難する際支援が必要な人のリストを作っていたが、誰が助けるかという具体的な計画が決まっていなかった。避難を諦めた夜8時頃に土砂崩れが発生、2人がいた隣の部屋まで土砂が流れ込んだ。隣に住む6人は亡くなってしまったという。逃げたくても逃げられなかったことが避難しなかった理由だった。

広島・呉市天応地区では西日本豪雨で11人の住民が命を落とした。災害が起こる直前に避難して助かった吉田さんは7月6日に高齢者への避難を呼びかけるメールを受け取るがその時点では逃げる気がなかった。夕方になりテレビで強い雨雲が呉市に迫ることを知り、家の外を流れる側溝から土砂崩れの前兆である泥の匂いを感じたという。吉田さんは避難を決断し、避難指示が出る前の午後6時頃に避難所に到着した。吉田さんの避難後に街は濁流に呑まれた。いつもと違う匂いに気付いたことが吉田さんの命を救った。

現在自治体が出す避難を呼びかける言葉は”避難準備・高齢者等避難開始”。その次が”避難勧告”で1番強い指示が”避難指示(緊急)”。そもそも”避難命令”という言葉は日本にはないという。日本で命令というと義務が生じたり空振りの場合などの責任でなかなか難しいという。たとえ空振りであっても許せるような社会であってほしいなどとした。空振りでも幸せなことだと思えるようになれば良いなどと話した。またNHKのアンケートで広島など3県の被害者を対象に避難するきっかけを聞いたもの。33.5%が周辺の環境の悪化で小石が落ちてくるなど。周りの人からの呼びかけでは約3割となった。また放送で”最後の放送です”というのも逃げなくてはとなるという。”高解像度降水ナウキャスト”も確認することがいいとした。情報が正しいかどうかを見極める力も大事だとした。HPなどで確認してから拡散するのもマナーなどと話した。

伊豆市土肥区では海水浴場などに恵まれ年間を通して多くの観光客が訪れる街。南海トラフ地震で大津波が来ると予想されている。地震による津波の高さは10mとされており僅か6分で到達するとされている。伊豆市は対策を講じる為に津波災害特別警戒区域の指定を受け防潮堤を建設しようと考えた。この考えに観光業者は風評被害が出るのではと一斉に猛反対した。防潮堤を作ることも受け入れなかった。話し合いは2年間続いた。市と住民は観光と防災を両立させるにはどうしたらいいのか検討した。その結果、特別警戒区域の指定を受け入れることを決めた。そして防災活動をしていくことに合意したという。まず旅館組合が率先して動く。旅館を指定避難所とし、避難者用の食料や備品を用意することを決め、さらに住民主体で高台に逃げるための避難路を整備した。夜間の避難のため電灯もつけられている。そして年1回だった避難訓練は3回行われることに。訓練を繰り返すことで市民の意識が変わってきているという。野毛登さんが考えていることは観光と防災を両立させる避難タワーの建設である。

2017年の九州北部豪雨、大分・日田市上宮町は甚大な被害を受けながらもリーダーの呼び掛けで住民全員が助かっている。自治会長の藤井さんは激しい雨が降ると自宅裏の川にある2mを超える岩を確認しているという。さらに詳しい情報を得ようと気象庁の「高解像度降水ナウキャスト」を利用した。午後1時に強い雨を示す赤い雲が帯状に迫っていた。川は増水し岩も見えなくなったという。自ら情報を集めた藤井さんは住民に自主避難を促そうと考え、市が指示を出す5時間前から町内の有線放送で避難を呼び掛けた。自身が避難する直前に行った放送により住民のほとんどが避難、日頃から知っている自治会長の呼び掛けが住民を救った。

スタジオでは収録を出演者らで振り返った。災害のために備えることについて山村さんによると”互近助”とのこと。「近くの人と互いに助け合うことが大事」などと伝えた。柳原も”互近助”に関して「いざという時に役に立つこと」などと述べ共感した。また山村さんによると”互近助”につながる活動として実際に都内には「東京防災隣組」があるとのこと。さらに行政と住民が災害対策を考える”ストレートミーティング”もあるという。

「証言記録あの日わたしは」の番組宣伝。

自治体が重点を利かせたとっさの呼びかけで津波の危機を救った茨城県大洗町。大洗町消防署で働く増田さんは当時住民に防災無線で避難を呼びかけた。現場の状況に合わして呼びかけを変えたとのこと。呼びかけを聞いた住民らは高台に集まったため、津波の被害者は一人もいなかった。決まりごとにとらわれず、柔軟な判断で人々を救った。

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17:09~

東日本大震災から8年。あの日の記憶を8K映像で記録され、今年地元の人々に公開される予定。

キーワード
8K
佐々木真さん
赤桐秀隆
南三陸町(宮城)
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