明日へ -支えあおう- 証言記録 東日本大震災 第41回「宮城県石巻市雄勝町」

放送日 2015年5月31日(日) 10:20~11:08
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
10:20~

オープニング映像。

明日へ-支えあおう- (バラエティ/情報)
10:20~

東日本大震災の証言記録。第41回は宮城県石巻市雄勝町。雄勝町中心部を襲った地震は震度6弱だった。その日、スーパーで働いていた佐藤麻紀さんは、2人の子どもを迎えに雄勝小学校に向かった。学校に到着した佐藤さんは、子どもたちが祖父が迎えにきてくれたと聞いて安心するも、同級生の子どもたちの顔をみたら、自分のこどもたちがそこにいるという気持ちになり帰れなくなってしまったという。雄勝小学校の当時の校長・土井正弘さんは避難先を考えていた。新山神社か体育館か迷っていた。結局、新山神社に避難することになった。佐藤さんも自身の子どもが避難したはずの高台を目指した。当時、雄勝小学校の教諭だった藤坂雄一さんは「まずは子ども達を上に上げなきゃ」と思い、下を見ないで前だけみて進みなさいと誘導したという。雄勝小学校の5年生だった秋山沙耶香さんは「必死でした。ずっと逃げてました」と語った。土井さんは体育館に避難していた場合のことを考えるとひやっとすると語った。

入り江の北側にも津波は迫っていた。阿部晃成さんは津波に気づいてないおばあさんの手をひいて高台の民家に逃げ込んだ。その直後に津波がその民家の二階にまで達した。阿部晃成さんは屋根の上にいたが、2階の部屋で叫び声をあげていた家族の声が急に聞こえなくなったという。その後、家が基礎から外れて浮いた。そして水位が下がり家族の声が聞こえたという。家は沖に引きづられた。阿部晃成さんは「津波は上がったり下がったりを繰り返すというのは体感した。小学校が見えるはずなのに見えなくて学校にいたら終わっていた」と語った。

佐藤麻紀さんは「雄勝小学校の方を見たんですが、見えなかった。呆然自失というか、自分の意識がどこにあるか分からなかった。誰かが夢じゃないよねと言っていた」と語った。雄勝小学校から避難した人たちは約1kmの清掃工場だ。学校にもっとも近い雨風をしのげるところだ。雄勝小学校の5年生だった秋山沙耶香さんは「すごい寒くてみんな集まってて、おじいちゃんとかおばあちゃんとかもダンボールとかした上に羽織るものがなかった」と語った。清掃工場には児童らのほか約200人ほどの住民が着の身着のままで集まっていた。当時、雄勝小学校の教諭だった藤坂雄一さんは「子どもたちには今日は食べ物はないと伝えた。みんな覚悟して一晩ここで過ごすということを伝えた」と語った。雄勝小学校の当時の校長・土井正弘さんは「ヘリがいて助けにきたのかと思ったけど、ヘリは降りて来なかった」と語った。

阿部晃成さんは町が全滅したと思っていた。阿部晃成さんらは岸からロープを投げてもらい18時間ぶりに陸に上がった。阿部晃成さん一家は高台の民家に避難した。40人ほどの住民が集まっていた。阿部晃成さんは「かなりの数の方が生きていて安心した。」と語った。清掃工場で一夜を明かした雄勝小学校の藤坂さんは「町の色味がなくなっていた。どこがみちだったのか。屋上に家屋が乗っていたりして、ショックだった」と語った。しかも雄勝町から外へ出る道は全て通れなくなっていた。旧道を使って山を超えることにした。使われていない道だった。長く使われていない道路は人一人が通るのがやっとの箇所もあった。上靴やサンダルで歩いていたので雪がしみてきたという。1時間歩くと藤坂さんらは釜谷地区に辿り着いた。しかし、本来田園風景だったところが湖のようになっていたという。藤坂さんは「山を越えればなんとかなると思っていた。焦りを感じた」と語った。

北上川を渡る鉄橋が崩落していて渡れなくなっていた。藤坂さんは「これはまずいと思った。山を越えたらなんとかなると思っていたのに、誰にも救助を要請できないと分かって愕然とした」と語った。小松光さんは仕事で雄勝を離れて、戻れずに一夜をすごしていた。真野峠ルートを通って雄勝に入ろうとしたががけ崩れなどで道が寸断されていたという。車が通るために手で岩をどかすなどした。小松さんの自宅は海から60メートルのところにある。小松さんには妻と子ども2人がいる。家族との連絡が取れなかった小松さんはラジオで情報を得るしかなかった。雪が10センチ以上積もった道を通った。地震のために道路に亀裂が走っていた。木の枝で道路の穴を確認しながら進んだということを小松さんは語った。

北上川で足止めとなった藤坂さんたちは2時間その場を動けなかった。救援を求める事ができないままでは困るため藤坂さんは歩いて渡ることを決意した。水中を足元を確かめながら進んだ。渡った先の道は石巻市役所につながっている。市役所まで行けばなんとかなると思い歩いた。渡った先に、地域の方や消防団の方々がいた。歩いて行くと時間がかかるので車に乗せてもらった。昼過ぎに藤坂さんは20きろ離れた石巻市役所に向かった。渋滞が発生していたが消防団の車だったのでサイレンを鳴らして進んだ。しかし、町の中心部が水没していた。消防団員が10キロ先の河北総合支所は被害を受けてないと言うので藤坂さんは行き先を変更してそちらを目指した。河北総合支所の人に食料・水・毛布の救援を頼んだ。偶然、救援を頼んだ人が「今から私たち雄勝に行くんです」と語った。藤坂さんが着く少し前に雄勝の住民が救援を訴えていた。河北総合支所の人は必ず届けることを藤坂さんに約束して12日夕方に雄勝へ向かった。藤坂さんは「子どもたちの口に食料が入ると思って安心した」と語った。

雪の真野峠を通って小松光さんは雄勝に辿り着いた。小松さんは「言葉が出なかった。家があった場所に行くしかないと思った」と語った。海から60メートルのところにあった家はなくなっていた。指定されていた避難所に行ってみた。しかし、それもなくなっていた。ダメかと思っていたら、家族と再会し抱き合った。真野峠ルートを小松さんらが切り開いたお陰で自衛隊や河北総合支所の車も通れるようになった。救援物資は雄勝森林公園に運ばれた。清掃工場にいた小学校の児童たちも森林公園に移動していた。雄勝小学校の5年生だった秋山沙耶香さんは「トラックにぎゅうぎゅうで乗って行った」と語った。河北総合支所の職員は当時の校長である土井さんに藤坂さんたちの救援を受けてやってきたことを伝えた。

翌13日、子どもたちは親や親戚のもとに帰ることができた。雄勝小学校の5年生だった秋山沙耶香さんは「13日にお母さんと会った。おばあさんとも会えて、お父さんの安否が2~3日してから大丈夫と確認がとれた。嬉しかった」と語った。雄勝小学校では全校児童104人のうち103人が高台に上がり無事だった。先に帰っていた児童1名は遺体で発見された。藤坂さんは河北総合支所に救援要請したあと、FMラジオ局に向かい雄勝の状況を伝えた。翌日、雄勝に戻り子どもたちと再会した。現在は各地で講演活動を通じ震災体験で得た教訓を伝えている。

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