明日へ -支えあおう- 証言記録 東日本大震災(21)富岡町 災害弱者突然の避難

放送日 2013年9月29日(日) 10:05~10:55
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
10:05~

オープニング映像。

証言記録 東日本大震災 (バラエティ/情報)
10:05~

福島県富岡町は福島第一原発事故の影響で現在も全町民が避難を続けている。住民たちは事故後、事故後一晩で避難せざるを得なかった多くの災害弱者についてインタビューを行う。高齢者施設施設である東風荘の高齢者や職員にとって、避難生活は過酷なものだった。また避難指示の際に逃げ遅れた高齢者は「もう誰にも助けてもらえないと思った。」と話した。

東日本大震災前の富岡町は1万6千人が暮らし、桜のトンネルなどのどかな自然豊かな街であった。50年の歴史を持ち、養護老人ホーム東風荘は73人の入所者がいる。志賀昭彦さんは「常にこの場所が自分の家だと思える雰囲気づくりを徹底している」と話した。震災当日津波の直接的な被害は受けなかったものの、菊田美知子が「全員を大部屋に集め、電気がない中湖凍えながら一晩を過ごした」と話す通り、混乱に見舞われた。

東日本大震災による福島第一原発事故発覚の翌日、枝野官房長官によって半径10キロ圏内の住民への避難命令がでた。住民の大半は直ぐに避難したが高齢者を多く抱える東風荘の入所者は避難できずにいた。志賀所長は「病気をもつ高齢者を安全な移動手段がなかった。」と話した。その後総理大臣命令の避難命令を電話で告げられ、ガスマスクをつけた警察に促され3台のバス人に無理やり入所者をのせ避難をした。菊田さんは「あっけにとられていた。何の説明もなかった」と話した。

福島第一原発事故の発生をきっかけに、富岡町の住民は川内村に避難した。避難が遅れた東風荘の住民の避難先が6時間見つからず、ようやく見つかった集会所では、寝返りをつく隙間もない場所であった。

福島第一原発事故をきっかけに富岡町から川内村に避難せざる負えなかった住民の内、障害施設東洋育成園は避難の際、最も多くの困難があった施設の1つだ。震災当時、当初の避難所から移動せざる負えなかったため川内小学校の体育館に移動した。伊賀さんは「一般の避難者が場所を開けてくれた。日頃から、大きな声や音を出してしまう入所者が多く、その方たちに迷惑をかけないよう努力した」と話した。翌日施設で作ったおにぎりを入所者に配った際、他の避難者に詰め寄られたことがああったという。伊賀さんは「原発事故という特殊な事故の中で、誰もが心の余裕を失っていた」と話した。

福島県富岡町の本居光子さんは人工透析を週3回行っており、透析のバスを待つため、避難お誘いを断り、家に残ったという。自宅から6キロにある福島第一原発事故の際、「地震が起きたと思った。ラジオで原発事故であると知り、もう外にはでれないとおもった。」という。本居さんは震災後電気も水もない中三日感を過ごした。、「人間は弱いなと感じた。このまま死ぬ覚悟をした」と話した。

 東風荘の入所者たちは 川内村の集会所での生活を送っていた。バスでの移動直後に亡くなった女性に続き、また別の女性が息をひきとった。職員も不眠不休で必死の介護を続けた。「娘や猫のことを思い出すたびに不安が襲ってくる。誰にもいうことも逃げる事もできなかった」と話す通り菊田さんは子供の安否がわからないまま介護を続けたという

川内村に全村避難命令が発令したため、東風荘の入所者はビッグパレットふくしまで避難生活を贈ることになった。2000人が雑魚寝をする劣悪な環境の中で、志賀さんは「環境が原因で日々体調が優れない入所者が多かった。ただ12日間不眠不休で介護を続ける職員も辛かった。限界を超えており、県内の病院や介護施設に入所者を移動させる決意をした。」と話した。その後16人の職員のうち7人が現場を離れた。菊田さんもその1人で、富岡町に帰ったらもう一度東風荘で勤めたいという強い思いがあったがそれはかなっていない。菊田さんは「やはり原発がにくい。人生を狂わされた」と話した。

住民避難後も富岡町に残った人工透析患者の本居光子さんは「生きることに貪欲でなくなった。毎日夜が来るのがこわかった。」と話す通り19日には毎日残していたカレンダーへの日記を記入する気力を失っていた。1人で過ごしてから11日目にドアにニックが来たという。「全身真っ白の人が立ち、私についてきた。いよいよ幽霊が現れたと本当に思った。その後自衛隊と名乗られ、このまま生きられるんだとホッとした」と話した。

知的障害者施設東洋育成園の入所者たちは田村市に有る系列の施設で避難生活を送った。200人が避難し、布団は4人に一枚しかない状況であった。職員の猪狩さんは家族との連絡が殆ど取れない中不眠不休の介護を行っていた。その後家族が避難するため北海道に移動することになったが「この仕事をやめるわけにいなかった。私がいなくなったら利用者を誰も見る人がいない」と話した。伊賀さんの家族は南相馬市の自宅で避難方法がなく取り残されていた。「妻のどうにもなりませんというメールが一番つらかった。」その晩家族のもとに駆けつけたが、10分で入所者の避難先に戻ったという。その後東洋育成園は千葉に避難先を移し、伊賀さん・猪狩さんも一年間千葉で介護にあたった、

震災後 東風荘は郡山市で新たに再開した。震災後各地の施設に散らばっていた懐かしい顔が集まったという。

東洋育成園は6つの施設を転々とし、1年後田村市の施設にようやく落ち着いたという。入所者と職員は富岡町にいつか帰れることを夢見て、生活をおくっている。

富岡町は5年異常戻ることが出来ない帰還困難区域に認定された。本居さんは許されている月一回の訪問で自宅を訪れ、ふるさとが日々遠い存在になっていくのが寂しく感じると話した。

キーワード
福島第一原発事故
東日本大震災
富岡町(福島)
枝野官房長官
川内村(福島)
東洋育成園
田村市(福島)

エンディング (その他)
10:48~

世界的に有名なボーカルユニット「イル・ディーヴォ」が英語版の「花は咲く」を歌った。親日家で有名なイル・ディーヴォは震災後も日本を度々訪れ日本に歌を届けてきた。イル・ディーヴォのデイヴィッド・ミラーは、この歌を通して英語版の親善大使として世界中の人達にこの曲を伝えたいと話した。

宮城県石巻市渡波地区の人達のメッセージを紹介した。

キーワード
花は咲く
イル・ディーヴォ
日本武道館

明日へ1min. (バラエティ/情報)
10:53~

平野美樹さんによる陸前高田市から東京に植えかえ、成長するひまわりに関するエピソードを紹介した。

キーワード
陸前高田市(岩手)
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