俳句紀行シリーズ 海の細道をゆく 「最終回 長崎の祈り」

放送日 2012年1月3日(火) 6:15~ 6:44
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
06:15~

芭蕉行脚図と共に松尾芭蕉の句が読まれた。芭蕉が夢見ながらなしえなかった西国への旅を現代の俳人 長谷川櫂が巡る。今回は旅の最終章 異国への玄関であり、芭蕉の旅のお供の墓があるという長崎。

キーワード
松尾芭蕉
芭蕉行脚図
長崎県

長崎 (バラエティ/情報)
06:17~

中国の船が行き交う様子を芭蕉も見たがったと言う、16世紀後半には既に異国との交易の中心となっていた長崎の港。長崎で暮らす中国の人の象徴とも言える崇福寺で、毎年旧暦の7月に行われる盆の様子が流れた。現在の長崎華僑総会副会長陳東華さんに話を聞いた。陳さんの曽祖父は貿易の為長崎に根を下ろしたという。

崇福寺を訪れる人々を背景に俳句を読んだ。「長崎は遠き昔の帰り花 櫂」芭蕉の死から300年余り、今も長崎は異国の香で満ちていた。

日本二十六聖人殉教の地を訪れた。かつて、豊臣秀吉のキリスト教弾圧により磔にされた26人の像が祀られている。かつての施政者にとってキリスト教徒が脅威となり迫害をされた事、しかしキリスト教徒達は身を潜めて信仰を持ち続けた事を解説した。俳句が読まれた。「十字架の露のいのちと思へども 櫂」

長崎市の北、浦上にも多くの隠れキリシタンが居た。浦上天主堂を訪れた。浦上天主堂はかつての姿を模して再建されたものであり、1945年8月9日に原子爆弾を受け崩壊している。被ばくしたマリア像の一部は今でも祀られている。

被ばくしたマリア像への想いを長谷川が語った。また。生前の松尾芭蕉の旅を踏まえて、現代に長崎を訪れたら、立ち寄って追悼の一句を残したのではと推測した。爆風で吹き飛ばされながらも残った鐘はその4か月のクリスマス、永井隆の提案によって鳴らされた。永井の句が読まれた。

教会のすぐ傍にある永井の家に訪れた。医者であった永井は爆撃で妻を失い、自身も治療中に病院で被ばくした。残して行く幼い子ども達へ向けた句が読まれた。現在記念館の館長であり、孫の永井徳三郎に話を聞いた。かつて永井隆が強く訴えていた如己愛人の精神を伝えているという。

俳句を読んだ。「長崎の大地吹き冷ませ秋の風 櫂」

九州北部の壱岐へと向かった。島の北側にある漁港勝本へ訪れた。毎朝開かれているという朝市の賑やかな様子が流れた。長谷川は奥の細道で芭蕉の共をしてまわった曾良の墓が壱岐にあると聞き、訪れたかったのだと語った。

奥の細道の旅などで曾良が芭蕉を支え続けたこと、晩年、芭蕉の夢見た九州へ向かう旅へ出て、壱岐の勝本までやってきた所で病に倒れた事が解説された。河合曾良の墓を参った。曾良の句が読まれた。行き倒れても悔いはないとの句であった。

長谷川が俳句から性格が分かる、曾良の句から素直で純朴な人物だったと思うと話した。松尾芭蕉や曾良の旅に想い馳せた。俳句を読んだ。「吹き渡る松風白し曾良の墓 櫂」

芭蕉が果たせなかった夢を追いながら旅をして、水路ぞいの歴史の中で色々な事があったのだとわかったと話した。海により守られつつつながっている事や、それによって作られる日本の文化などについて、またこれからも旅を続けて行きたいと語った。俳句を読んだ。「西国をさすらひて秋惜しみけり 櫂」

キーワード
長崎県
中国
芭蕉
キリスト教
豊臣秀吉
長崎市(長崎)
浦上(長崎)
原子爆弾
永井隆
松尾芭蕉
被ばく
爆撃
勝本町(長崎)
壱岐
曾良
奥の細道
河合曾良

エンディング (その他)
06:43~

エンディング映像。番組HPのアドレスが表示された。

キーワード
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