ファミリーヒストリー 恵俊彰〜家族を支えた大島紬(つむぎ) “恵”姓の謎〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2016年10月6日(木) 0:15~ 1:00
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
00:15~

お笑いのほか情報番組の司会や俳優などで活躍している恵俊彰さんは4人の子どもの父親であり自らのルーツをいつか伝えたいと思っている。

ゲストの恵俊彰さんの紹介をした。

キーワード
石塚英彦

恵俊彰〜家族を支えた大島紬(つむぎ) “恵”姓の謎〜 (バラエティ/情報)
00:16~

恵俊彰のルーツが紹介された。恵家はかつて奄美大島で暮らしていた。元々の名字は萩原で、曽祖父の代から恵に変わったという。また昔には島津の配下にあった武士であったという。

恵俊彰のルーツが紹介された。元々は萩原家という家名で島津家に従えた武士で恵俊彰の6代前の萩原佐次右衛門が代官の補佐役として奄美大島に渡っていた。また無人島を探検した人の中に恵俊彰の先祖である萩原萩和志が記録として記されているという。

恵俊彰のルーツが紹介された。恵俊彰の先祖である萩原萩和志は、奄美大島で暮らすことになり、明治12年には次男の太助を養子に出した。太助が恵俊彰の曽祖父に当たる人物であるという。

恵俊彰のルーツが紹介された。恵俊彰の祖父である恵積五郎さんは父の再婚にともなって家を出たという。その後、恵積五郎さんは大島紬の職人となった。まもなく恵積五郎さんは同じ職場で働く女性と結婚した。

恵俊彰のルーツが紹介された。恵俊彰の祖父である恵積五郎さんは太平洋戦争を経て一から工場を立て直すこととなった。その後、恵積五郎さんは積五郎柄を考案し、昭和天皇に献上された。

恵俊彰のルーツが紹介された。

恵俊彰のルーツが紹介された。高度経済成長期、大島紬は特に女性たちの間で人気となった。しかし、積五郎は小さな柄が特徴の男物ばかりを製造。美知雄は父を必死に説得し、職人たちを使って女物の製造を始めた。売上げは順調に伸び、昭和44年に美知雄が社長に就任した。取引先から泥染めの風合いのある白い大島紬を作れないか相談を受け、試作を繰り返すこと7年で泥染めをした白い大島紬が出来上がった。染色方法は白恵泥と名付けられ特許も取得した。さらに、一反12mに100枚以上の屏風絵を織り込んだこれまでになかった柄にも挑戦。業界にも名が知られるようになった恵家は、従業員約80人を抱える会社になった。

母・祥子は長男の俊彰に跡を継がせるつもりだった。しかし東京での浪人生活で俊彰は突然、芸能界に入りたいと言い出した。俊彰は昭和62年に11人のお笑い集団「ホンジャマカ」としてデビュー。メンバーが次々と抜け活動休止状態に陥り、2年後に石塚英彦とホンジャマカを再結成。平成9年には大河ドラマ「毛利元就」で元就の三男・小早川隆景役に抜擢された。勘当を言い渡した父・美知雄も頑張りを認めざるをえなかった。

恵俊彰のルーツを紹介した。昭和63年、俊彰の祖父・積五郎が91歳で死去。12年後、跡を継いだ美知雄は昭和33年に天皇の鹿児島訪問に合わせて積五郎が丹精込めて考案した献上柄の製作に取り掛かった。現在、工場の従業員はわずか4人。着物離れが進み、大島紬の業界全体の生産量は最盛期の30分の1になっている。母・祥子さんに下手だといわれた演技は話題となったドラマ「下町ロケット」で演じた中小企業を守る弁護士役で高く評価された。原作者の池井戸潤さんは「とてもクレバーな演者です。下町ロケットではストーリーの重傷な役である神谷弁護士を見事に演じて頂きました」と評している。

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