ファミリーヒストリー 里見浩太朗〜父の死の真実 母が誓った覚悟〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2014年12月14日(日) 9:00~ 9:50
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
09:00~

JR身延線の井出駅で、昭和12年12月28日に撮影された1枚の写真が残されている。戦死した軍人の遺骨の到着を村人総出で出迎えた時のものだ。写真の中に、戦死した軍人の妻の母に背負われた1人の赤ん坊が写っている。その赤ん坊はその後、日本を代表する俳優へと成長する。俳優の名はドラマ「水戸黄門」などで知られる里見浩太朗。今回、里見は自分が生まれるまでの父と母について知りたいと番組に依頼。父の戦死と向き合う。

キーワード
身延線
水戸黄門

里見浩太朗~父の死の真実 母が誓った覚悟~ (バラエティ/情報)
09:03~

山梨県南部町。里見浩太朗の本名は佐野邦俊。実家の佐野家はこの集落にあった。この集落のほとんどが佐野姓。佐野家の歴史は、戦国時代まで遡る。初代・佐野光次は武田信虎に使えた武将。郷土史を研究する佐野辰巳さんは、代々武田に使えて武田の家臣としてこの村に住み着いた佐野一族と語る。祖父・佐野勝三郎は、農業・林業に加え商店を営んでいた。国の専売事業だった塩の販売を許されている。ハワイに出稼ぎに行く親戚の保証人になったときの書類には、勝三郎の資産が千円と書かれていおり、現在の価値で2000万円になると言われている。明治37年の元日、亀一が生まれる。亀一の小学校時代の記録として、成績優秀な生徒に贈られる証書があった。亀一のめいに当たる佐野うめのさんは、亀一に勉強を見てもらったことを覚えている。

19歳になった亀一は陸軍に志願する。亀一の長男、里見浩太朗の兄・佐野要さんが、亀一に付与された軍隊手帳を見せてくれる。近衛歩兵第二連隊に配属された亀一。防衛研究所 戦史研究センターの原剛さんは、近衛歩兵第二連隊について「性格や家柄が考慮されて選ばれる」などと語った。大正12年9月、関東大震災が起きる。亀一は皇居周辺の警備にあたったと記されている。翌年8月、亀一は東京憲兵隊への転属を命じられた。憲兵には多くの特権が与えられていた。

亀一は、憲兵になって6年目、路地裏のパン屋を訪ねた。そこで美しい店員・木伏エツの姿に息を呑む。エツのおいに当たる木伏功さんは、エツについて「スタイルも良いし、美人のほうだし」などと話した。一目惚れした亀一は、パン屋に通うようになり、すぐに惹かれ合うが、エツの両親は交際を認めなかった。昭和6年4月、二人は神田明神で質素な結婚式を挙げる。亀一29歳、エツ20歳。里見浩太朗は「パン屋に勤めていたなんて初めて知った」「微笑ましいおやじとおふくろが想像できる」などと語った。

昭和11年1月、父島勤務を終え、亀一は再び東京麹町憲兵隊勤務を命じられる。当時軍部には不穏が空気が流れていた。青年将校の一部が、政権を打倒し、新しい政府と作るべきと主張していた。亀一たち憲兵隊は昼夜を徹して情報収集にあたっていた。明治11年2月25日、亀一は一ヶ月ぶりに帰宅した。ところが翌日のみ未明、青年将校が決起し、二・二六事件が起きた。亀一は招集され、その後2ヶ月の間、帰宅できなかったという。その年の11月、エツが邦俊、後の里見浩太朗を出産した。エツは、里見浩太朗に「この子は偉い軍人さんや政治家が死んだ夜に出来た子だから、きっと目立つ人物になる、とおふくろが言っていた」などと話した。

昭和6年、満州事変が勃発。麹町憲兵隊に所属していた佐野亀一は、参謀本部の警備を命じられた。亀一の同僚・上原文雄が「ある憲兵の一生」という手記を残していた。そして里見浩太朗の兄・長男要が生まれる。要が生まれた翌年、亀一に父島分駐所勤務という新たな事例が下る。当時、父島までは1週間の船旅。妻・エツと長男・要を伴っての赴任だった。父島で迎えた正月の記念写真が映る。島での勤務には余裕があり、家族で過ごす時間が増えた。亀一が、休みを使って夢中になっていたのは、花瓶作り。エツの願いは、家族で過ごす穏やかな日々がずっと続いてほしいというものだった。

昭和12年7月17日、日中戦争が始まり、佐野亀一には現地の治安維持のため派遣の命が下された。出発の朝、亀一は妻に手紙を書くことを約束、当時5歳だった要さんはその時の姿を今も覚えているという。

昭和12年7月28日、亀一は中国・天津に到着。ところがいきなり戦闘に巻き込まれ、亀一も緊急出動を余儀なくされる。戦いが落ち着いたのは4日後、早速妻に手紙を書き、その手紙には家族を心配する内容が綴られていた。そして8月中旬、亀一の部隊は進軍を開始、家族の元には2通目の手紙が届くが、それ以降は何の音沙汰もなかったという。

2通目の手紙を送った9月25日、亀一達は山西省の近くを進んでいた。しかしこの時、圧倒的兵力を持つ中国軍が崖の上で待ち構えていたという。当時の父の姿を知った里見浩太朗は、戦争によって2人の愛が引き裂かれて悔しいと語った。

昭和12年10月4日、自宅にいたエツに電報が届き、夫・亀一の戦死が知らされた。敵を前に自ら命を絶つ壮絶な最期だったという。亀一の故郷である山梨県には、亀一の遺骨が帰った時の様子が綴られている。佐野亀一の葬儀は駅から行われ、一緒にいた佐野うめのさんは、気丈に振舞うエツさんの姿が忘れられないと語った。

しばらく経ったある日のこと、亀一の最期について新聞とは異なる内容の報告書が届けられた。中国で亀一と同じ部隊に所属していた憲兵によると、亀一達は山西省を進んでいたが、突然崖の上から中国軍の猛攻撃が始まり、亀一は弾丸に倒れてしまう。しかし亀一は怯むことなく軍刀を抜き、敵に向かっていくが、手榴弾を受けて壮絶な最期を遂げた。

物資は不足し、物価も上昇。夫の軍人恩給も廃止され、エツは慣れない行商を開始。次男である里見浩太朗は高校を卒業後に上京し、東映ニューフェイスに合格するが、妻はお金のことを心配していたという。しかしそんな心配をよそに、里見は映画主演を果たし、順調に仕事も増えていった。苦労してきた母に楽をさせてやりたいと一軒家まで購入した。

夫の死後、エツは自分の実家のある静岡に戻り、友人の家に間借りしながら親子3人で暮らしていた。家計は夫の恩給を頼りにやりくりし、エツは子ども達を立派に育てるため必死だったという。苦しい生活の中でも長男・要は旧制中学に合格、昭和20年8月に終戦を迎えた。

里見浩太朗は苦労して来た母に、どれだけの親孝行が出来てきたのかを悔やみ、両親は悲しい夫婦であると語った。しかし2人の出会いや生活には救いがあり、苦労した夫婦にそんな一時があって良かったと話した。

昭和39年、時代劇映画のスタートして脚光を浴びた里見浩太朗の収入は驚くほど増えていった。生活も派手になり、母・エツはそんな里見浩太朗を叱りつける。まもなく、時代劇は下火になり、冬の時代を迎える。それまでの派手な生活を改めなければならなかった。里見浩太朗は「お金 経済ということに関して、心を引き締めて生活していかなきゃいけない、そういう言葉だったと思う」などと話した。その後里見はテレビの時代劇「長七郎江戸日記スペシャル」などに進出する。介護施設で暮らすようになったエツさんの施設で七夕の祭りが開かれ、それぞれの願いを短冊にしたためた。当時、エツさんの担当だった福澤春美さんはエツさんの短冊の内容が忘れられないという。「がんばれがんばれ浩太朗 と何枚も書かれてかけてくださいとおっしゃった」と話した。

平成15年10月、佐野エツさんは享年93で亡くなる。亡くなるまで大切にしていたものは、亀一が彫っていた花瓶だった。エツさんが保管していた報告書には戦死した場所が記されている。中国山西省小寨村に向かった。孫江さんは、今もその場所が当時のまま残されているという。20メートル以上の切り立った崖が始まるこの場所で、父・亀一さんは、壮絶な最期を遂げた。山梨・南部町で亀一とエツは一緒に眠っている。俳優・里見浩太朗のファミリーヒストリーは、過酷な時代を生き抜いた歳月が刻まれていた。

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南部町(山梨)
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大手町(東京)
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エンディング (その他)
09:47~

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